第12話 白蓮有情

 仁問が案内された酒家は、日中だというのに灯りがともり、すでに多くの人々が酒杯や箸を片手に高歌放吟こうかほうぎんしていた。


 白蓮は酔客たちの注目を集めたが、彼女はそれに流し目をくれてやっただけで、ほうぼうに置かれた卓の間をすり抜けていく。仁問もそれに続いたが、客ふたりのこんな会話を耳にして眉を上げた。


「……なあ、この間ひからびて殺されちまった野郎がいただろう?なんでもたいそうな男前だったらしいね」

「その前のひからびた奴も、女どもが騒ぐほどの美男子だったとか」

「美男子好きの妖怪でもいるのかねえ、おおこわ。とっとと捕まえてもらわないと、おちおち酒も飲んでられない」

「馬鹿だな、お前さんなど妖怪が襲いたくなるようなご面相かよ……」


――極秘に、と楊将軍は言っていたが、人の口に戸は立てられぬものだな。


 彼はそのまま中二階の、通りに面した部屋に通された。ほどなく、童子が酒器一式、肴が盛られた銀や陶の器を盆に載せて運んでくる。窓から外を見やれば、隊商が連れている駱駝らくだと目が合った。西域の隊商は長安に着くと、ここからそう遠くもない西の開遠門をくぐるのだ。


――この都ならでは、か。


 彼はくすりと笑い、膳を整える白蓮に向き直った。

「長安にきて、長いのか?」

「いえ、まだ三年にもなりません。あなたさまは?」

「私はさらに短い、たった数か月といったところだ」

「この広い都、あちこち見て回られました?」

「時々は。だが、やはり勤めがある身ゆえ……」


 何気ない風を装いながら、あれこれ聞いてくるからには、もしやこの女性は西方の間者なのではないか、皇上のお側に仕えることも看破されているのではないか――仁問は白蓮の挙措のあでやかさに目を奪われながらも、わずかな疑念を身の守りとして、勧められるままに腰を下ろした。


 踊り子はそんな彼の気持ちを見抜いているのか否か、用意した銀の箸をわざわざ示してから卓に置いた。銀は毒を察知する力を持っており、貴人の食卓にはつきものである。


「まあ、立て続けに伺いましたので、ご気分を害しました?申し訳ありません。よるべなき身の上の私、異国人はこの都では珍しくもありませんが、やはり同じ立場の人と見るや、ついあれこれ聞いてしまうのです」

「その気持ち、わからないでもない」


つい故郷を懐かしんでしまう仁問は、深く頷いた。白蓮が優雅な手つきで酒を杯につぎ、仁問は一気に飲み干す。


「西と言っても広いが、そなたはどこから来たのか?」

波斯ペルシアですわ。葡萄が実り、泉が湧き、空はどこまでも青くて……心から片時も離れぬ、わが父祖の地にして愛する大地」

 白蓮は寂しげに微笑んだ。

「でも、私たちの国は敵に攻められて風前の灯火、私も、大勢の人々も命からがら逃げるように故国を後にしました。今頃は、あの国も……」


 つられて、仁問もせつなげな眼差しになる。

「……他人事ではない」


「あら、そんな顔をなさらないでくださいまし。悪いことばかりではありませんのよ。私はこれまで西から東へ、舞い、歌いながら流れに流れてここまでたどり着きましたが、この長安ほど人の気が横溢していて、天を衝かんとするほど燃え上がっている場所はありません。私はこの気が好きなのです」

 そう言う白蓮の翠の両眼もらんらんと輝き、仁問は気が付けば魅入られたようになっていた。


――これは、いけない。


 本能的な危険を察知したのか、ぞくりとした仁問は頭を横に振り、強いて微笑んで見せた。あろうことか、白蓮の面差しが、なぜか自分の秘めたる高貴な想い人と重なったからである。


「商売柄、と言ってしまえばそれまでだが、そなたは勧め上手だな。私としたことが、すっかり酒を過ごしてしまったのか、私の気は濁ってしまったのかもしれない。ならば、そなたの舞で濁りを払ってもらおうか?」

「ふふふ、長安の月と新羅の月、どちらが美しいでしょうか?長安の酒と新羅の酒、どちらが芳醇でしょうか?そして長安の舞姫と新羅の舞姫、どちらがお気に召して?」


 人をからかうでない、と抗議する王子をいなして、白蓮はすっと立ち上がる。


「新羅にも舞姫はおりましょうが、私の舞は長安一と己惚れておりますの。先ほどの市での舞は、ほんの小手調べですし、歌も歌ってみせますわ……」

 その間合いを図るかのように、階下ではにぎやかに音楽が鳴り出した。白蓮は歌いながら緩やかに舞う。


――セプティミア・バト・ザッバイ 君知るや はるかな沙中の国よ

  セプティミア・バト・ザッバイ 黄金も乳香にゅうこうも今はただ風のかなた


 白蓮の歌声は高く低く、ある時は泣くように、またある時は朗らかに響き渡り、舞と同様、仁問の目を見張らせるには十分であった。


「―—セプティミア・バト・ザッバイ?どういう意味だ?人の名前か?」

「私も存じませんの、呪文か人の名前かとは思うのですが……私は祖母からこの歌を教わりました。そう、子守唄のように。いまは唐語に訳して歌っていますが、セプティミア・バト・ザッバイという言葉は意味がわからないので、そのままです」

「ふむ。意味はわからないながらも、よい響きだな。悲しいような、幸せなような……」

  それ以上は仁問も気に留めることなく、再び舞い始めた白蓮をひたすら目で追っていた。

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