ゼノビアの宝石箱 ~シルクロードを巡る煌めきの物語~
結城かおる
第1章 翡翠行旅
第1話 天蓋の星
あさまだき。
ころころり、ころころり。
乳白色の川霧に包まれた岸辺を、緑と白のまだら模様になった石ころが転がっている。大きさは人のこぶし大で、風に吹かれて飛んでいるわけでもなく、水に流されているわけでもなく、軽やかに、そして羽が生えているかのごとき速さで、川上から川下へ。
ころころり、ころころり。
――女神さま、我らが
石は薄緑色の煙を発するが、それこそが石の声であり、言葉である。
――お待ちください、姫さま。
石の声は煙となってたなびき、川霧と混じり合ってぼんやりと発光する。
石が転がる先には、人らしきものの影が動いている。やがてそれは呼ぶ声に気づいたのか、振り向いた。
かの人――いや、人ではない、神である。黒髪はそれこそ
――奴奈川姫さま、奴奈川姫さま。
女神は微笑みながら、石ころが馳せ寄ってくるさまを眺めていた。
――ああ、姫さま。この良き日というのに、朝からあなた様に凶事、うらみごとを申し上げる罪をお許しくださいませ。
石から濃い煙が吹きあがり、女神の裳裾に寄っていく。
――おや、
――奴奈川姫さま。何故に私を捨て置かれますか。あなた様は遠くへ行ってしまわれるのに、なぜ私をお伴に加えてくださいませぬ。
石ころは一人前の人間よろしく、身を震わせた。
――おいで。
女神が手を差し伸べると、石はぴょんと飛んでその手のひらに乗った。奴奈川姫は愛おしげに翡翠の原石を撫でさする。
――私は月が爪の先まで欠ける日に、
――ですから、なぜ私を
――それは。
女神はふうっと息を手のひらの愛玩物に吹きかける。すると一瞬、石は内部から輝かんばかりの光を発した。
――汝の運命は出雲にはないからじゃ。ほれ、ご覧。あそこで水を飲む若鹿はこの川に生まれ、この川で死ぬさだめ。私はこの川に生まれ、出雲に嫁すさだめ。だが、そなたはここには留まれず、また私とともに行けぬ運命でもあれば……。
――そ、そんな。では、私の運命は一体どこに?
女神はすうっと川面に足を滑らせる。瞬時に川岸は飛び去り、やがてはるか海を見はるかす石浜へと出た。そして、女神は右の人差し指を西方に向ける。
――ご覧。汝の運命の指し示す先を。いずれ汝は海を越えて谷を渡り、森を駆け抜けて乾いた大地へと至る。千の星が天蓋より落ち、万の月を数え終わるまで、汝は遠くに旅を続けるのじゃ。
――私が? この海を越えて? どこまで行くのです? 海の向こうには大きな陸があると聞きますが……。
石から出る煙がわずかに震え、
――人の世をつぶさに見聞し、彼らの喜び、嘆き、怒り、笑い、涙……全てを記憶し、その肌に焼き付けて記憶せよ。それが我が汝に下す使命なり、心して受けよ。愛しい、小さな私のしもべ。
命じた女神はふっと微笑み、ぽおんと翡翠を石浜に投げる。
――あっ、何をなさいます。
――そこで波音を聞きながら眠るが良い、時が来るまで。
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