03、俺が納得できないから

 一かけらの懐かしさを感じ取ったその直後、イツキは盛大なくしゃみをした。甘い香りと埃っぽさの比率を考えれば当然の結果とも言えた。


 扉を開けたその先にあったのは、薄暗くて広い部屋だった。入って最初に出迎えてくれたのはたくさんの小さい棚と、飴色をした肘掛け椅子である。棚の上には小さな皿や西洋風のドール、置時計などなど。

 そういえば老人は連れてくる際に「あの店」と言っていた。並んでいる小物が商品だとすると雑貨屋か何かか――と思いながら部屋の隅に視線を向けてその考えを改めた。


 真鍮製の百合の花のような形をした上半分と、黒地に金の装飾が映える木製の箱のような下半分。今まで実物を見た事がないイツキでも蓄音機と言う名前はすぐに出た。その隣には天井まで届きそうなほど背の高い振り子時計もある。

 少し距離を置いて、部屋の隅っこの方にある天体望遠鏡は真鍮製だろうか。望遠鏡の足元には革張りで角の部分を金属で補強した古めかしいトランクまで置かれている。それと同じような形のものを、イツキは映画やおとぎ話の中でしか見た事がない。


 それらを意識してから改めて棚や小物を眺めてみると、どれもこれも時代を感じるというかなんというか、やけに古びたものや年季の入った品々が目立つ。

 ――アンティークショップというやつか、これは。

 こういった方向には詳しくないイツキだが、それでも単に「雑貨屋」と呼ぶよりはそちらの方がしっくりくるような気がした。


「そんなに珍しいか、小僧」


 きょろきょろと周囲を見渡しては近くの棚を覗き込んでを繰り返していると、唐突に背後から老人の声がして、イツキは短い悲鳴をあげて思わず飛びのいた。

 周囲の品々に意識が向いていたこともあって完全な不意打ちである。薄暗い店内は日常とは明らかに違う異様な雰囲気が満ちていて、そこへこの老人の不意打ちが背後から来ればそれは単なるホラー映画のワンシーンでしかない。


「おう、どうしたかね小僧。幽霊でも見たようなツラァしとるぞ」

「肩震えさせてニタニタしながら白々しい! 幽霊みたいなジジイが背後から不意打ちしてきたら悲鳴くらい誰でもあげるだろ!」


 耳障りな声で笑われることが納得いかずに言い返すも、老人は大して堪えていない様子である。最初から驚かせるつもりでやっているのが丸わかりな反応に、ますますイツキは不機嫌になった。

 視線を店の奥に向けると、薄暗い部屋の隅の方にイツキが入ってきたのとはまた別の扉が見えた。今の今まで姿を見せなかったのは、その扉の向こう側にでも行っていたからだろう。

 少なくとも、棚を眺めながら店内をうろついた限りでは他に老人がいて気づけない場所は無かったように思う。


 ドアの開閉音を聞き逃すほど没頭して店内を見ていたつもりは無いのだが、ぴったりと閉じられたドアを見るにかなり慎重に開閉したらしい。

 もし音が耳に届いていたならきっと気付けたはずで、背後に立って驚かせるためだけに随分な気合いの入れようである。


「それで、結局なんなんだよ。わざわざあんな坂道歩かせて、こんな店の中に呼んでさ」


 放っておくといつまでもニタニタと笑っていそうな老人に我慢できず、イツキの方から話を促した。来るつもりのなかった場所に連れてこられて散々笑われているだけ、というのは気分の良いものではない。できる事ならさっさと本題に入って、手早くここを立ち去りたいというのが今のイツキの本音だった。

 老人が声をかけなかったらまだしばらく店内で見慣れぬ家具や小物を見て楽しんでいただろう、というのは自覚があったがわざと気付かないふりをした。


 おおそうじゃな、とイツキが気付かないふりをした所に触れることはないまま老人はゆっくりと右手をイツキの方へ差し出した。緩く拳を握ったまま、白い手袋に包まれた老人の手がイツキの胸元で制止する。

 手を出せ、ということらしい。


 促されるままに老人の握った拳より少し下で右手を開くと、


「とりあえず、まずはこれじゃ」


 ぽとり、と手のひらの上に固い感触が落ちてきた。老人の手が引っ込むと、イツキの掌の上には金色で平べったい円形が乗っていた。夕焼け空を見るたびに記憶の底から顔を出して、老人の後を追ってくる理由にもなった件のペンダントである。


「金はいらん。そいつは、お前さんのものじゃ」

「……え、マジで?」


 実にあっけなく手に入ってしまったペンダントを握りしめながら、何度か瞬きをして、ようやく老人の方を見てそう尋ねた。

 確かに欲しいと思ったし、だからこそ逆に「欲しかったらついて来い」とこの老人に言われた時に警戒もしたのだ。都合のいい話には大抵、何かしらの罠が仕掛けられているものである。

 老人の後をついては来たものの、仮にこれで怪しい宗教の話でも出ようものなら逃げることを優先せねばと思っていたところへ実に見事な肩透かしだ。


「……受け取る代わりに大金よこせとか」

「金はいらんと言うとろうが」

「じゃあなんだ、寿命でも取るってか。それとも血か、死後の魂でも持っていく気か」


 重ねた言葉は半分冗談だが、半分は本気で警戒しての発言だった。得体のしれない老人と、見慣れないものの並んだ薄暗い店内という組み合わせはそんなオカルトじみた事すら笑い飛ばせないくらいに雰囲気ばっちりである。


「血やら魂やら、貰ったところで嬉しくもないわい。じゃがまあ……寿命というのは、うむ。まあ」

「取るのか!?」

「取らぬが、当たらずとも遠からず、というかの。寿命というのを、生きている時間の事だというならば、そのうち少し、小僧はもう儂に使ったじゃろう」

「もう使った……って」


 いつ自分がこの老人に、と一瞬考えて、思い当たるのは一つだけである。ついて来いと言われて後を追ったあの上り坂の二十分は「老人のために時間を使った」と強引に言えなくもない。言えなくも無いのだが、


「でもたかがそれだけで……?」


 薄暗く、老人とイツキしかいないアンティークショップはしんと静まり返っている。ぽつりと呟いた声が老人に聞こえなかったはずはなく、イツキも独り言と問いかけの中間くらいの気持ちで零した声だったので返答を期待したのだが。

 老人から返ってきたのはまたもや、ひぇひぇひぇ、という耳障りな笑い声だけであった。


 耳障りなしゃがれ声で笑う老人に真正面から何を言っても、まずまともな答えは返ってこないだろう。そう割り切って意識から追い出し、イツキは手のひらに乗ったペンダントを改めて眺める。

 記憶と異なる、と感じるところは無いのだが、いざ手に取ってみるとただ思い出すだけの時より目につく点が多い。五百円玉硬貨を二つ重ねたくらいの厚みがあって、想像していたよりも手の上の重量感はしっかりしていた。


 表面と外周にばかり目が行っていたが、裏返してみて初めてそこに凝った装飾が施されていることに気がつく。


 ペンダントの裏面を細い針か何かで削ったのだろうか、幅がほんの一ミリあるかどうかといった細い線が何本も彫り込まれていた。ぐねぐねとうねったり、なだらかにカーブしたり、渦巻いたり。無数の細い線が組み合わさって、全体的な形は大きな一本の木を描いている。


 どれほどの時間をかけてどんな技術があればこれを彫れるのだろう。少なくともイツキには想像がつかなかったし、一生かかっても真似すらできないと感じるような、実に手の込んだデザインだった。


 ――いや、これ、明らかに高いやつだろ。

 デザインを見てすぐさま、力いっぱい叫びそうになるのを押さえて脳内で突っ込むに留める。明らかにそのデザインと装飾の技術そのものに価値がつくタイプの逸品だというのは素人でも否応なく理解できた。

 二束三文で手に入るものでは絶対にないし、ましてや「金はいらん」などと無造作に手の上へ落とされていい類の物ではない。


「なあ爺さん、これ本当に金取らなくていいのか」

「なんだ、タダで貰える事がそうも居心地悪いか小僧」

「少なくともこれは居心地悪い」


 首を軽く左右に振りながら、イツキは手に持ったペンダントを老人の方へ差し出した。

 いらんのか、と問いかけてくる老人に、もう一度首を振る。縦ではなく横だ。


「いくらだ、値段。払えそうなら払うし、無理そうだったら分割払いとかさ、そういうので」


 居心地の悪さに耐えきる自信が無くてそう申し出ると、老人はふむ、と小さく唸ってから腕組みをした。

 ほんの三十分程前に遭遇したばかりの相手だが、不機嫌からくる仕草ではないということがなんとなく理解できたのは、老人の口角が緩く上がったままだったからだ。

 困っているとか、せっかく譲るというのに固辞することを良く思わないとか、そういう表情ではない。明らかに面白がっている顔だ。


「なら仕方あるまい。こういうのはどうじゃ」


 ほんの数秒考えるようなしぐさをして、老人はすぐに再び口を開いた。


「そのペンダントは本当に売り物ではないのでな。値段の付けようがないからこっちも要求できんのじゃ。仮につけたとして、小僧が十年かけても払えると思えんしなァ」


 ぐ、と喉奥で言葉が詰まる。何も言い返せないイツキに構わず、老人が近くの棚に歩み寄って、そこから小さな箱を手に取った。そのままイツキのほうへ、手に取った箱を向ける。仕方あるまい、などと前置いた割には随分と迷いのない仕草だ。


「そいつの代わりに、これを売ろう。こいつならまァ、小僧の小遣いでも手が届くでな。ペンダントは、こいつを買ったオマケとでも思えばよかろうて」


 老人が手に持っている箱はペンダントと違ってシンプルなものだった。全体が濃い焦げ茶色をしており、目立つような装飾は殆ど見当たらない。大きさは文庫本を二冊重ねたくらいのものだろうか。ポケットに入るほど小さくはないが、家に置いて邪魔になるほど大きくもない。

 金具の位置から察するに箱の上面が開閉できるようになっているらしい。小物入れだろうか、とイツキは見立てをつけた。確かに凝った装飾が無い分見ただけで気後れするほど高価な印象はないが、こういう手合いは大抵素材が高いのではなかろうか。


「……ちなみに、値段は」


 恐る恐る尋ねると、ニタニタ笑ったままの老人は箱を持っていない方の手で指を三本立てた。


「……三千円?」


 それくらいならこの場で出せる。使い道の思いつかない小箱に出すのはもったいない金額だが、老人にオマケ呼ばわりされたペンダントを入れておくには丁度よさそうな大きさをしていた。

 が、老人は緩やかに首を振った。


「ゼロがひとつ多いわい」

「嘘だろ、さすがに」


 いくら何でも三百円で手に入るような安っぽい代物には見えない。そう思って即座に言い返したが、まるでイツキの返事が聞こえていないかのように老人は動じなかった。皺だらけの目元と濃いグレーの瞳が、これ以上交渉の余地はないと無音で語っていた。

 少し迷って、視線を店内のあちこちに泳がせて、最終的にイツキは。


「……本当に、その金額で買って文句ないんだな」

「おうとも。元々タダでやるつもりのものだというのに、小僧は気に病みすぎだのう」


 言われた通りの金額を差し出そうとして、一度その手を途中で止める。しばらく迷ってから、結局取り出したのは「ゼロが一つ多い」と言われた方の額だった。


「いいか、俺は三百円なんて納得してないからな。これは俺が納得できないから勝手に出すんだ。要らないなら要らないでそっちも勝手にすればいい」


 吐き捨てるような勢いでそう伝えながら三千円を握らせて、代わりに老人の手から小箱を掴み取る。

 ペンダントの時と違って、今度は素早く避けられることは無かった。


「ええか、小僧」


 代わりに老人は口を開く。何か文句でも言われるか、と身構えてイツキは老人の口元から笑みがすっかり消えていることに気がついた。目は真っすぐ、しっかりとイツキの顔を見据えている。そういえば公園で遭遇してから今まで、イツキの方から挑発した時以外で口角の上がっていない表情を見たのはこれが初めてではないだろうか。


「その箱をな、今夜寝る前に必ず開けるんじゃ。ええな、絶対にじゃ」


 先ほどまでとの差もあって余計に真剣さを感じるその目でイツキを見据えたまま、燕尾服の老人は一言一言を噛みしめるようにゆっくりと、しっかりと言い聞かせる口調でそう言った。

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