10、ふっ、と口元が緩んだのは
いくら広いとはいえ公園の端から端の距離など、大人の足で大股に歩けばたかが知れている。
――聞こえないのか、聞こえないフリなのかは分からないが肩でも掴んでやれば無視はできないだろうし、ついでに言えば夢の中だから見知らぬ子供に声をかけたところで不審者扱いはされないはず。そう踏んでいた。
要するにイツキは完全に無警戒で、さらに言えば呼びかけても無反応なことから背を向けた子供が動いたり返事をしたりすることは初めから頭に入れずに近寄ったというわけで。
「――宝さがしって、宝物を埋めて隠しちゃうのは後が大変なんだってさ」
突然そんな声が、聴き慣れてきた声とはまた別の幼い声で聞こえればぎくりと固まってしまうのも無理のない事であった。
突然の不意打ちにイツキの方が声を出せなくなっていると、こちらに背を向けた子供の方からやはり幼い声が続く。
「タイムカプセルとかあるだろ? あれって、ちゃんと後から見つけようとするなら、いろいろとカンリ? が大事なんだってさ。シツドとか、オンドとか、それを続けるための……えっと、イジヒヨー……だっけ? とにかく、そういうのが必要なんだって、うちの父ちゃんが言ってた」
所々で、ああこれは意味が分からないまま言葉だけを覚えたなというのが伝わる棒読みが混ざる。難しい言葉をあまり知らず、聞いたまま口に出す小さな子供にありがちな言動だ。
おそらく意味は分かっていないだろうが、それでも難しい内容を喋った事への自慢げな感情が声の隅っこに混ざっているのが微笑ましい。
「うん。そう。だから、土の中に埋めちゃうのってダメなんだってさ。マンガとかゲームだったら地面にお宝を埋めるお話もいっぱいあるのに、変だよな」
――おや、これは。
前後が繋がっていない事やその口調から、イツキはすぐにぴんと来た。
目の前の子供は少なくとも自分に向けて語り掛けてきているのではない。見えない誰かに向かって、自分も父親から聞きかじっただけの知識を我が物顔で語っている最中なのだ。
話し相手の姿が見えないのは、単に目の前の子供が脳内のどこかに友達を持っているような少し寂しいタイプだからか、それともイツキに見えていないだけなのか。
どんな仮説にもひとまず「これは夢だし」と前置きができてしまえるのは細かい事に迷わなくていい代わりにこういう時の疑問が解決できなくて不便でもあった。
「なあ、ちょっとそこの――」
「イツキ、ちょっとだけ待って」
わからないことを放っておいたりわからないまま迷うくらいなら、と再度呼びかけようとしたところを、今度は耳に馴染んだ方の声が遮る。強く張り上げたわけでも、きつい口調だったわけでもないはずの声は、ただその真剣味だけでイツキの動きを止めた。
「呼びかけちゃ駄目なのかよ」
「駄目ってわけじゃないけど」
じゃあなんで止めた、と何もない空間を睨みつけるイツキに返ってきたのは、何か意味深なものを含んだ小さな笑い声だった。
「たぶんあの子の話を聞いていれば、イツキはすぐにわかるよ。私が止めた理由」
だからほら、と促されたイツキが、苦虫を噛み潰しながらもう一度子供の方へ視線を向ける。背中を向けたままではあったが、先ほどまでと比べて子供の首の向きが少しだけ横を向いて、それからもう一度真正面に向く。
イツキには見えない誰かを見ているのだろうか。だとしたら、その人物は少なくとも目の前の子供よりは背が高いらしい。
「だからさ。埋めるより、もっといい方法があるんだよ」
子供の声がそう言って、反射的にイツキの眉が片方、ピクリと跳ねた。
そのまま次にどう動くのかを無言で見守っていると、少しの間を空けてから子供の手がゆっくりと、斜め上を指さした。
指の先になにがあるのか、と少し腰をかがめて視線の高さを合わせて、指の方向を子供の背中越しに見上げる。視線の先で、子供の細い人差し指が一本の木と重なった。
イツキが目を開けた時に背中側にあったのとはまた別のものだ。こちらは木の幹がそこそこ太いが、高さは背後の一本より劣っている。指の角度を考えるとあの辺りか、と見立てを付けた場所はイツキの身長なら背伸びをすれば手が届く位置の枝だ。
「木の枝……? 埋める代わりに枝って、なんだよ。吊るすのか?」
一人暮らしで独り言が増えることの弊害はこういう時に不意に出る。黙っているつもりでいたのに無意識に口からそんな言葉がこぼれて、その瞬間。
ふっ、と吐息のような短い風が吹いて、すぐ目の前で背中を向けていたはずの子供の姿がかき消えた。
あーあ、とハスキーボイスの呆れた声が耳に届く。
「もう少し様子見れたかもしれないのに、消えちゃったじゃないか」
「今のは俺のせいか!? ちょっと呟いただけで消えるとか聞いてないぞ!」
「少なくとも私は一回止めたよ」
ほんのり非難するような響きの混じった声は確かに嘘をついているわけではないが、だったらその「一回止めた」時にもう少し明確に止める理由を言えと言いたいイツキである。
「だけどまあ、正真正銘のヒントはちゃんと出たね」
声にそう言われてイツキは少し不機嫌な顔のまま、小さく頷いた。
お宝を地面に埋めるのはよくない、という話の後に、もっといい方法があると言いながら指を向けられた木の枝。これがヒントでなければなんだというのか。
――けど、ヒントって言ってもなぁ。
小さくため息を混ぜながらぼやくイツキの視線はその木全体をゆっくりと観察してから、もう一度指で示されたと思しき一本の枝に戻ってきた。
指さされた先にある枝はイツキの腕くらいには太く、しっかりしている。眺めてわかる限りでは何かが吊るされているわけでも、括りつけられているわけでもなさそうだ。
「無いけど、宝物」
「ぱっと見ただけで判断早すぎるよ、イツキ」
うるせえ、と笑みを含んだ声に対して吐き捨てた。木の枝を指さされたものだから、と勝手に吊るされているイメージだけで進んでいたのはイツキの非だが、違うのだとしたら今の「ヒント」とやらは何を示していたのか皆目見当もつかない。
「もっと近寄ってみれば」
姿を見せない声にそう促されてようやく一歩、二歩と距離を詰める。斜陽の当たり加減にそこで少し違和感を覚えて、もう一歩。そうしてようやく、枝の根元に深いくぼみがあることに気がついた。
大きさはだいたい握りこぶし大くらいだろうか。光の当たる位置的にうまい具合に影になるせいで目立たないが、そこに何か小さい布袋のようなものが入っているようにイツキの目には映っていた。
ふっ、と口元が緩んだのは、拍子抜けした反動だ。
「土の中に埋めると管理が大変だとか言っておきながら、木のくぼみの中に放り込むのかよ。これじゃ土の中の方がずっとマシじゃないのか」
おそらくは土の中がダメならば、という逆転の発想を子供なりにしているのだろうが、自分のアイデアに夢中になってデメリットが見えていない。
枝葉が上にもいくつかあるとはいえ、雨が降れば確実に袋の中身は濡れるだろう。鳥や事情を知らない第三者の目に留まる事だってあるだろうし、そうなったときに持ち出される可能性はかなり高い。まさに今イツキが見つけたような事態は普通に有り得る。
一応枝の位置はイツキが少し背伸びして手が届く程度には高いが、すぐ近くにジャングルジムがあるものだから高さを理由に「誰にも気付かれない」とは評し難い場所だった。
呆れ半分、子供らしいなという微笑ましさが半分で呟いたイツキの耳に届いたのは、んぐぅ、という奇妙な唸り声だ。一応声の高さは先ほどまで聞こえていた声のものと変わらないが、一体何事だとイツキの眉間に皺が寄る。
「どうした、声」
「いや、ごめっ、別に大したことじゃないんだけど……っ! 気にしないで、まずはほら。宝物を手に取ってみれば?」
尋ねたイツキへの返答は明らかに普通ではない。ところどころでどもったり言葉がつっかえたりしているのもそうだが、先ほどから微かに声が震えていたりするのが妙に気にかかる。
何だよ変な奴、と眉間のシワを深くしたままではあったがイツキはとりあえず助言の通り、木の枝のくぼみに手を伸ばした。
片手を木の幹に添えて、そのままつま先立ちになってもう片方の手を伸ばす。指先に木の枝とは違う柔らかい布の感触がして、それを木のくぼみから引き抜いて。
――なあなあ、知ってる?
あどけない少年の声が耳に届いた、その瞬間。
空を照らす夕日が一際強く輝いて、イツキの視界全てをオレンジに染め上げた。
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