11、宝物を一緒に見つける日を

***


「なあなあ、知ってる? 宝さがしって、宝物を埋めて隠しちゃうのは後が大変なんだってさ」


 つい何日か前に、父さんに聞いた話だった。学校のクラスメイトや先生にに教えるととても驚いていたので、あんまり知っている人がいない豆知識ってやつなのだろう。だから僕はそれを、胸を張って自信たっぷりに教えた。


 誰に?

 ――もちろん、■■■ちゃんに、だ。

 その日も公園で一緒に遊ぶ約束をしていた。僕より二つ年上のくせにおどおどして、ちょっとしたことですぐ鼻声になって、だけどとっても優しい子なんだってことを僕は知っている。笑った顔がとてもキレイで、見るとちょっとドキドキする。■■■ちゃんが一番よく笑うのは、面白い豆知識を教えてあげた時だ。

 

 ――すごいね、いつき君。そんなこと知ってるなんて。

 

 そう笑ってから「でもこれは知ってるかな?」なんて言って僕が全然知らない事を一つ教えてくれる。その事に僕がすっげーって驚いた時の笑顔が、僕は一番好きだ。

 だから、その笑顔が見たくて、そのやり取りがしたくて本を読むようになったのはナイショだ。おかげでクラスの誰よりもむずかしい漢字が書けるけど、その理由は誰にも教えた事がない。

 

「タイムカプセルとかあるだろ? あれって、ちゃんと後から見つけようとするなら、いろいろとカンリ? が大事なんだってさ。シツドとか、オンドとか、それを続けるための……えっと、イジヒヨー……だっけ? とにかく、そういうのが必要なんだって、うちの父ちゃんが言ってた」


 この辺りは実を言うと、聞いた時によくわからなかった。だからちょっと自分でも自信が無いので、どこからもらった豆知識なのかはかなり早いうちにバラしてしまった。

 大事なのは僕がどこで知ったか、じゃない。あんまり知られていない事を教えた時の、■■■ちゃんの笑顔と「すごいね」が大事なんだ。


 ちらりと顔を少しだけ上に向ける。まだ小学生の僕に比べると、■■■ちゃんは背が高い。いつか僕もあれくらい、とは思うんだけれど、まだその「いつか」は来てくれないらしい。


 見上げた先にある、■■■ちゃんの顔。

 ちょうど夕日がその向こう側にあって、よく見えない。

 けれど僕にはわかる。あの、ちょっとドキドキするような、けれどちょっと落ち着くような、胸の少し上の当たりがざわざわするあの笑顔をしているに違いなかった。

 

 ――じゃあ、漫画やゲームでやってるようなタイムカプセルって大変なんだね。

 

 感心したような、呆れたような、のんびりした喋り方をするその声が嬉しくて、僕は首を大きく縦に動かした。

 

「うん。そう。だから、土の中に埋めちゃうのってダメなんだってさ。マンガとかゲームだったら地面にお宝を埋めるお話もいっぱいあるのに、変だよな」


 そうだね、という声が聞こえるまで待ってから、僕は「だからさ」とちょっと早口になる。

 今日この公園で、わざわざジャングルジムの前まで来て、宝物を埋める事についての豆知識なんか話して聞かせた一番の理由は、ここからだ。なにせ昨日一晩布団の中でずっと考えていたんだ。これ以上のアイデアなんてありっこない。

 

「埋めるより、もっといい方法があるんだよ」


 そう言いながら指を向けたのは、背の高い木だ。少し離れた位置にジャングルジムがあって、前にそこへ登った時に偶然見つけたくぼみは、他の誰にも教えていない。

 枝に吊るすの? と小さく首を傾げた■■■ちゃんに、今度はジャングルジムの方を指さしてみせる。あっちに登れば僕の言いたいことはきっとわかるよ、と。

 指さしたままに■■■ちゃんがゆっくりジャングルジムを登って、木の方を見下ろして――それから、小さく笑った。


 ――やっぱり面白いし凄いね、いつき君は。


 何か変だったかな、と少しだけ不安になる僕に、■■■ちゃんは小さな声でそんなことを言った。少しだけ声が震えていたように聞こえたけど、きっと気のせいだ。そう思うことにした。


 ――じゃあ、今日の宝物はここにしようか。


 そう言って、■■■ちゃんが懐から小さな巾着袋を取り出した。中身はまだ空っぽなのを僕はよく知っている。これから二人で中身を入れるんだ。夕日に照らされて、暖かくオレンジ色に染まったその袋。

 二人で大事なものを一つずつ入れて、それを街のあちこちに隠す。

 僕たち二人だけがずっと続けてきた、僕たちだけの遊びだ。

 いつか大人になって、二人で一緒に隠した宝物を一緒に見つける日を、僕は毎日、毎日。


 ずっと楽しみにしている。

 

***


 オレンジに染まった視界が元に戻ってゆく。

 ほんの一瞬だったようにも感じるし、逆にかなり長い間そうして視界がオレンジ一色になっていたようにも感じる。

 なんにせよ、イツキは口を開いてまず最初に言うべきことがあった。


「そこの声。笑うな」


 つっけんどんな言葉の矛先は当然、姿の見えない例の声だ。奇妙な唸り声も、様子がおかしかったのも理由は分かった。要するに爆笑しそうになっているのを堪えているのだ。


「や、ごめっ……笑っちゃ悪いとは思ってるし我慢してるんだけどさぁ……!」

「うるせえな! 悪かったよ悪うございましたよ! 自分がその木のくぼみに隠そうぜとか自信満々に言ったくせに大人になってからさも他人事みたいに駄目出しなんかしてすいませんでした好きなだけ笑えこの野郎!」


 あえてハッキリとそう言葉に出すと、いよいよ耐えられなくなったらしい声はついに憚ることもせず笑い始めた。

 なるべく強い口調で吐き捨てるように言ったのだが、生憎とその程度で大人しくなってくれる声ではない。そんなことは百も承知だがそれでも言わずにはいられなかったのだ。


 イツキの視界をオレンジ色に染めた光が、それと引き換えに見せたのはイツキが今立っているこの公園の、今この場所とはまた異なる情景だった。


 瞼を閉じていたはずなのに、それでも見える。オレンジ色だけで構成された視界がまるで映画のスクリーンのように、鮮明に、大きく。

 目を逸らせないそれは、自身も同じ空間に立って、子供の頃の自分を後ろから眺めているようにすら思えた。

 後ろ姿だけで、ついさっきは見知らぬ子供だとばかり思っていたはずの背中は、しかしイツキだけが見る夕日色のスクリーンの中で間違いなく自分自身だったのだ。子供の頃の自分を背後から眺めるというのは何とも言えない不思議な感覚である。声が既に何度も言っていた「思い出す」というのはどうやらこういうやり方らしい。


 もちろん、思い出せたのは自分の後ろ姿だけなどではない。子供の頃の自分は確かにこの公園で誰かと一緒にいた。

 幼少期の自分より少し背の高い女の子。その会話も、その時に何を思っていたのかも、何もかも。直前まではイツキの記憶の何処にも存在していなかったと自信を持って言えるそれら全ては今なら間違いなく「あれは小学生の頃の黛イツキだ」と自信をもって言える。


 そして言い切れてしまうのが、今まさにイツキが仏頂面になって声が爆笑している理由でもあった。


 ――なんて恥ずかしい事を、自分は!


 なにが「これじゃ土の中の方がずっとマシじゃないのか」だと少し前の自分を全力で叱りつけたい衝動に駆られる。その「土の中の方がずっとマシ」に気付かず自信満々で布袋を隠したのは他ならぬイツキ自身ではないか。

 木のくぼみの中に布袋を見つけた時、呆れ顔でコメントした自分に対して姿のない声が奇妙な反応をしたのも今なら理由がわかる。イツキだって逆の立場だったなら笑いをこらえきる自信などなかった。


「あっははは、いやー笑った笑った。本当に久しぶりに笑ったよ。ありがとうねイツキ」

「お礼を言うな。嫌味か」


 どうにか落ち着いた声がそんな風に話しかけてくるまでどれくらい待っただろうか。顔から火が出るとはこういう事かと散々思い知ったイツキの吐く毒も大した効果は無く、声は「悪かったから本題に入ろうよ」とすっかりいつも通りの調子を取り戻していた。


「さて、イツキ。わかってると思うけど、宝探し成功だね。そのお宝はイツキにあげる」

「あげるもなにも……」


 半分は俺のだろう、と言おうとして、ふと気にかかることがあった。少しだけ考えて、それから。


「なあ、。さっきのってお前も見えてたのか」


 うん、という返事には、少しだけ間があった。


「じゃあさ、俺と一緒にいた女の子は」

「イツキも想像してる通りじゃないかな。ずっとイツキが、夕暮れ時に見てたはずのあの子だよ」


 少しの間があったその次は、逆に半分ほど食い気味な返答だった。やはりそうか、と思うのが半分。だが、本当に聞きたかったのはそこではない。


?」


 布袋を手にして、それを隠した「宝さがし」の事は思い出した。ついさっき見た光景の中にあるものは今ならば話した言葉から自分の胸の内まで事細かに語れる、はずだ。

 ただ一人、そこにいたはずの女の子に関することを除いて。


 もう一度記憶を辿る。

 名前は、一文字も出てこない。

 顔は、陰になっているのか塗りつぶされたように暗かった。

 声は、確かに聞こえたはずなのに思い出せない。口を開いていたことは分かる。どんなことを言っていたのかも思い出せる。しかしどんな声がその言葉を紡いでいたのかだけは思い出せない。


 オレンジ色をした映画のスクリーン、と自分で思った言葉をそのまま使うなら、その映画の中で彼女の言葉だけが字幕になっていたような。決して気持ちの良い感覚ではなかった。


「もし、イツキがそれを思い出せないなら」


 そんな風に返ってきた言葉は、心なしか少し沈んでいた。


「それはきっと、まだ私が話すべき事じゃないんだよ」


 ともすれば突き放しているようにも聞こえる、シンプルで短い答え。

 けれど向けられたイツキはそれが、どこか許しを請うようにも聞こえたのだった。

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