I give the key to Pandora’s box
12、魔法の館というよりは
「くっそ」
ぽつりと小さく吐き捨てたのは月曜日の昼間であった。
遠回しな言葉がどんな風に聞こえたからといってそれで大人しく納得するつもりのなかったイツキだが、掴みかかる姿も見えない上にどこを向いて食って掛かればいいのかも分からないのではいまいち分が悪い。それでもなお退くつもりは無かったのに、見えないなりに当てずっぽうで伸ばした手はふと気がつけば自宅の天井に向かって伸びていた。
窓からの日光とデジタル時計のアラームが、朝であることを教えていた。
勤め人をやっている以上、イツキ自身が諦めておらずとも再度オルゴールを鳴らして寝なおすわけにはいかない。今日覚えてろよお前、とオルゴールに向かって言ったところで意味は無いだろうが、それでも吐き捨てるのを我慢できずにイツキは家を出て、やり場のないフラストレーションをそのまま仕事にぶつけて昼休みを迎えたのだ。接客業や営業でなく、デスクワークが中心の仕事だった事は幸いである。
手っ取り早く昼飯を済ませて、昼休みの間にスマホを取り出す。特にあてもなくSNSでも開こうとしてから、ふと思い付いたことがあった。
「オルゴール、アンティークショップ、それからえーっと……」
ブラウザアプリを起動してから少しだけ思考を回し、お目当ての地名を思い出す。検索をかけたのは数日前に訪れた、あの怪しい燕尾服の老人がいたアンティークショップのある地域である。そういえば店の名前を聞いていなかったなと思い出しつつ、検索結果の表示を待つ。
店名こそ思い出せなくても、近い距離でアンティークショップが二つも三つも集まっていることは無いだろうし、仮にあってもあれほど胡散臭い店主は他にいるまい――そう思っていたのだが。
「……出ない、か」
手のひらよりも大きく広いスマホの画面に出た検索結果はイツキの期待したものとは全く異なっていた。地名まで指定したのだからそこに建っている店の名前くらい出てもいいだろうに、そこにはアンティークショップのアの字も無かったのだ。並ぶのは通販サイトのページばかりで、並ぶ商品だけは検索した通りのオルゴールだ。だが今イツキが求めているのは別に新しいオルゴールではない。
隠れ家的な店で本当に誰にも知られていないのだろうか、なんてことを考えてふと目に留まったのは検索画面の上部に出た「もしかして」の欄だ。表示されているのはアンティークショップがあったはずの地名と、オルゴールと、それから。
「都市伝説、ねぇ」
さすがに昼休みとはいえ職場内だ。周りに聞かれはしないように口の中だけで小さく呟き、そこに並んだ文字列を眺める。少しだけ間を空けてから画面をタップしたのは、完全に気まぐれだった。強いて理由を挙げるなら、例の老人といい夢といい、そこらの都市伝説よりはよっぽど不思議な体験してるよな俺――という自覚があったからだろうか。
次の検索結果は、一番上に目を惹くものが一つあった。
夢をかなえる魔法の館。
んぐぅ、と妙な唸り声が喉から出たのは、笑い声を咄嗟に我慢したからだ。なるほど夢で声もこんな状態だったのかとそれはそれで新鮮な発見ではあるがしかし、正直に言ってそれどころではない。直前に思い描いていたのが例の老人とあの古ぼけた店だったものだから余計に。
――あれが魔法の館とか、ましてや夢をかなえるだとか。
雰囲気自体は確かにまあ、ばっちりだろう。明らかにあの空間と老人は異質な何かだ。非現実的な事を承知で言うなら、多分それは雰囲気だけのものではない。
けれど夢をかなえてくれる、という明るく前向きな雰囲気と合うかといえば明らかに違う。薄暗く静かで、魔法の館というよりは魔女と亡霊の住処、もっと言えばお化け屋敷的な何かだ。
試しにページを開いてみてまた吹き出しそうになるのを堪える。明らかに広告収入目当ての適当な紹介文が並ぶページはパステルカラーに星のイラストや可愛らしい猫の絵があちこちに並んでおり、魔法の館とやらはいかにも童話やおとぎ話に出てきそうなふわふわしたファンタジーの産物のように語られている。
確証はないが脳内で勝手にこの話の館を自分が見た老人の店と結びつけているせいで、イメージと記憶のギャップにこらえきれず肩が震えた。
そうだ今日は仕事帰りにもう一回あの店行ってやろう、そしてあの爺さんにこのページ見せてやろう。そんなことを内心で決意し、おかげで朝から続いていた声への苛立ちもかなり鎮まったそんなタイミングだった。
「おお、なんだ
背後から不意打ち気味にそんな声がかかって、小さく肩が跳ねた。振り返るとそこにいたのは五十嵐という職場の先輩だった。イツキの一回り年上で、入社してすぐの頃のイツキに仕事を教えたのもこの五十嵐だ。
「人の携帯勝手に覗かないでください、五十嵐さん」
「いやお前、さっきから肩ぷるぷるさせてて明らかに様子おかしかったから気にもなるだろ。ついでに言うと最初から覗こうと思って覗きに来たんじゃねえよ」
視線が明らかにイツキの手元を向いていることに気付いてそう抗議したが、平然と開き直ったうえで五十嵐は手に持った煙草とライターを見せる。五十嵐のデスクから喫煙所までの間にイツキの席があるので、通りすがりに偶然見ただけということらしい。じゃあ足を止めてないでそのまま通り過ぎてくださいよ、と仮に言ったところでどうせ聞きはしないのだろうというのは性格上わかるので、イツキにできるのは小さくため息をつくことだけだ。
追い払う構えを取らないのにはもう一つ理由があった。
「懐かしい、っていうのは」
「おう、今のってあれだろう。歯車堂」
聞きなれない名前が飛んできて、一瞬戸惑う。目をぱちくりさせたイツキの反応に五十嵐は少し首を傾げて「都市伝説のやつだろう、願いが叶う館とかいうやつ」と言葉を付け足してきた。指しているものはイツキがさっきまで見ていたもので間違いないらしい。ただ建物の名前はざっと見た限りでサイトの何処にも書かれていなかった。
「そんな名前なんですか、その館って」
「確かそのはずだぞ。なんだ、名前は知らなかったのか」
驚いたような呆れたような口調で言ってくる五十嵐だが、イツキからすればむしろ「なんでそんなことまで知ってるんですか」と逆に言いたいくらいである。実際そのまま問い詰めようとして、その直前ではたと気がついた。
――話していいのだろうか、これは。
小説などによくあるパターンだと、こういう不思議な経験は誰かに話してはいけないというのがセオリーだ。話しても信用してもらえなかったり、むしろ変な奴だと思われてしまったり。
さすがに職場で自分の教育係だった相手にそんな認識をされるのは辛いものがある。
心配になったのはそれだけではない。老人や声にそんなことは言われていないが、例えば誰かに話したせいで例の夢を見ることができなくなったりしたら。
それも物語内のタブーとしては定番だ。記憶を辿る夢とのつながりが断たれるというのは、イツキが今最も避けたい事だ。
あるかどうかも分からない大きなリスクを承知で問い詰めるか、それとも知らぬふりを通すか。
ほんの少しだけ迷った末にイツキが選んだのは。
「最近ちらっと聞いて、ちょっと気になったというか……興味はあるんですけど」
曖昧にぼかしつつ、聞けることがあればと少し欲を出してみるという選択肢だった。
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