13、聞きたいのは、小僧自身の
「まあ別に、俺もそんなに詳しいわけでもないんだがなぁ」
おそらくは朝剃り残したのであろう薄い髭を指で撫でつつ、五十嵐は視線を少し斜め上へと逸らした。考え事をしたり、頭の中にあるものをどう言語化しようかと悩んでいる時によく見せる癖だ。
「確か最初に聞いたのは俺が大学生くらいの時だったと思うんだが」
脳内である程度まとめたらしい言葉を、五十嵐はそんな風に切り出した。彼が大学生くらいの頃合いというと、ざっと数えて十年と少しくらい前ということになる。どうやら「魔法の館」はそこそこ由緒正しい噂話であるらしい。
「どの辺の地域だったか覚えてないが、普通に探しても見つけられない骨董屋があるんだとか聞いたな。で、そこの店では願い事が一つだけ叶うってやつ。普通に探して見つからないならどうやって見つけるのかってのは、話を聞いた奴によってバラバラだったからなあ」
「胡散臭いお爺さんに連れて行かれる、とか」
冗談のつもりを半分混ぜてそんな風に呟くと、五十嵐は目を丸くしてイツキを見つめた。
「そうそう、あったあったそんな説も。なんだよ黛、やっぱりお前詳しいだろう」
「や、あの、今見てたサイトにあっただけなんで」
「俺が聞いた頃だとかなりマイナーだったはずだぞ、老人説。誰かに呼ばれて気がついたら着くものだとか、綺麗な黒猫を追いかけて行ったら着くとか、他はもう少しメルヘンなのが多いからやけに浮いてるんだよな。聞いたときは印象強かったんだよ」
咄嗟に取り繕ったイツキだったが、内心はとても話を聞くどころではない。できる事なら今すぐにでも会社を飛び出して例のアンティークショップを探しに出たいくらいだ。
まだ確実にそうだと決まったわけではないが、現時点であの店がその「歯車堂」なる場所である可能性はかなり高い。願いが一つ叶うというのも、今まさにイツキは叶えてもらっている最中なのだと言えなくもないではないか。
――やっぱ今日、絶対行こう。あの店の場所まで絶対にもう一度行こう。
確かめたから何がどうなるというわけでもないかもしれないが、それでも一度店まで行って看板を確かめたいという気持ちを持つのはどうしようもない好奇心だ。
内心で強く決意しながら、後は五十嵐に適当な相槌を打って昼休みを過ごす。ため込んだ苛立ち任せで仕事していた午前はそれなりに時間が経つのが早かったはずだが、仕事終わりを今か今かと待ちながらの午後は随分と長く感じた。
***
ばたん、と勢いよく開いた扉の衝撃で店が微かに揺れた。それほど力一杯に開けたつもりは無かったのだが、逸る気持ちとここまでの道のりでの疲労が力加減を狂わせたらしい。一瞬だけ身を縮めながらも、イツキは早足で薄暗い店の中へと足を踏み入れ、棚の間をすり抜けて、店の奥に腰掛ける老人のすぐ目の前にたどり着いた。
「……どうした、小僧。なんぞ命でも狙われとるんか」
飴色をした肘掛け椅子に腰を預けていた燕尾服の老人は、この数回の遭遇でイツキが一度も見たことのない表情をしていた。目を丸く見開いて、眉間に皺を寄せ、奇怪なものを見るような表情を向けている。
尋ねてくる内容も随分と素っ頓狂な老人の言葉に、イツキは素早く首を横に振った。そんなんじゃねえけど、と口に出そうとした言葉は乾いた喉と荒れた呼吸に引っかかって上手く出てこなかった。だいたい全部、以前通った道はこれだったはずと上り坂をいくつも歩いたせいである。まだ夏と呼ぶには少し早い季節だが、それでも夕暮れの日差しを浴びながら坂道を登り続ければ汗だって止まらなくなって酷いものだ。イツキを見る老人の目も大げさなものではないというのはイツキ自身も自覚している。
ちょっと待ってくれ、と手ぶりで伝えると老人は表情こそ変えないままだったがその頼みを聞いてくれた。数回の深呼吸を挟んでようやく、イツキの喉は言葉を音に変えた。
「この店の……名前」
「おう」
「調べたら結構有名なやつが出たんだけど。歯車堂、で合ってるか?」
返事はたっぷり十秒、無言だった。
「まさかとは思うが、それを尋ねたくて、その有様かね」
「悪かったな、その程度の理由で」
例の夢の声ほどではないが、この短期間に何度か話をした老人の口調はある程度読めなくもない。聞き慣れないトーンではあったが、これ以上ないというほどに困惑しているのだということはイツキにも分かった。
今度は喉に引っかからずに出てきた言葉を返しながら、イツキは小さく身構える。どうせまた笑うんだろう、馬鹿か小僧はと肩を震わせてあの耳障りな笑い声を響かせるのだろう――そう思っていたせいで完全に意表を突かれた。
無言のままに老人はゆっくりと立ち上がると、背筋を伸ばしてイツキを見据え、そうして。
「改めて、言うておこう。――ようこそ、歯車堂へ」
ハッキリと、聞き間違えようのない声で、そう言うなり深々とお辞儀をした。背筋は真っすぐ伸ばしたまま、腰の位置で綺麗に体を折り曲げたお辞儀は老人の背の高さや服装もあって様になる。
予想外の反応を老人から返されて呆気にとられるイツキに対して、一拍遅れて老人の表情が見慣れたニタニタ笑いに変わった。
「そもそもその名は、儂がつけたものではなくてなァ。だから名乗らんかった。他所からそんな風に呼ばれておるのは事実だとも。もちろん、どんな場所だと言われておるのかも含めてな」
「それってつまり、願い事が……ってやつも」
「小僧にとってそれが何なのかは言うまでもあるまいて」
明言こそせずともその返しはほぼ肯定と同義だ。イツキは足元が少しだけふらつくのを感じた。知られるはずのない事を知る胡散臭い老人に、夢の中の変な声に、おかしな夢へと繋ぐオルゴール。既に十分非現実的なものは揃っていると思っていたが、今回のそれはハッキリ答えを突き付けられただけに驚きが大きい。
ひょっとして今まさに自分は夢の中にでもいるのだろうか、などと不意に考えて頬を軽く抓ると鋭い痛みが走った。
「今更、疑うこともなかろうになァ」
耳障りな笑い声とセットでそんな言葉を投げられて、仕方ないだろこんな話を聞かされたら、と反論しようとしたその正面に急に老人の手が迫った。音もなく文字通り目と鼻の先に差し出された白い手袋はいつぞやのペンダントと同じように、その指先からぶら下げた小さな巾着袋を揺らしていた。
見覚えがある、どころの騒ぎではない。これもペンダントの時と同じだ。
「来たついでじゃ。宝探しが上手くいったようなのでな、これをやろう」
「ペンダントの時もそうだったけど、なんであんたが持ってるんだよ、これを」
「さあて、なァ」
聞いたところでとぼけられるか、回りくどい言葉を返されるかのどちらかだろうとは思っていた。今回は前者だったらしい。
それよりも、と言葉を続けたのは老人の方だった。
「儂からも一つ、尋ねてみたいことができたんじゃがな。答える気はあるかね、小僧」
「……なんだよ。今更また、無理に知ろうとする必要はないとか言っても聞かないからな」
差し出された巾着袋を半ばひったくるような力加減で受け取りつつ、牽制のつもりで放った言葉は緩やかに首を振って否定された。
巾着袋を渡して空いた手が、そっと人差し指だけを立ててイツキの胸元を軽く突く。
「聞きたいのは、小僧自身の事じゃ。乾いた人生を良しとしておるはずの、捻くれた小僧」
露骨な含みのあるその言葉。大声だったわけでも詰るような荒い語調だったわけでもないが、反射的にイツキの肩は微かに跳ねた。
「夕暮れの空に感傷的になり、幻覚じみた思い出の切れっ端一つに何年もしがみつき、自分で言うのも馬鹿らしいがこんな胡散臭い年寄りの言葉を一蹴もできぬ。眉唾としか思えぬ噂話一つを確かめるためだけにわざわざこの場所までくるその理由はなんじゃね。どうしてそこまで思い出したいか、一番思い出したいものが何か、お前はもう気付いておるだろう」
返事はしない。だが脳裏に浮かんだものは一つだった。夕暮れに見る光景の中でも、宝探しを経てやり取りを思い出しても依然として名前や声すら出てこない。夕日で
「――さて、それならばお前が自分を乾いていると思うのは、友人からの誘いにお前がその乾いた反応をするのは、どうしてだろうなァ? それは、本当に乾いているのを良しと思っておるのかなァ?」
「何が言いたいんだあんたは」
ようやく吐き出したのは短い言葉だった。
言わんとしている事は分からないわけではない。
小ばかにしているような、楽しんでいるような、逆に微かに怒りを抱いているような。問いかけてくる老人の真意が読めないせいか、それとも単に距離が近いせいか。ともかく得体のしれない圧がイツキの言葉を鈍らせていた。
「ええか、小僧」
妙な圧を持ったまま、老人がゆっくりと続ける。
「もうこの際思い出すことを止めはせん。ただし」
――腹はきちんと、
薄暗く、無音の、時代を感じさせる小物たちに囲まれた空間でその囁くような言葉は、しばらくイツキの耳から離れる事がなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます