14、高校の時も同じような

 黛、最近顔色良くなったな。

 そんな風に職場で言われる回数がそこから次の週末までの間に軽く十回を超えた。

 最初に言い出したのは特に親しかったこともあって五十嵐で、同じ日に同僚の一人からも言われ、そこからはちらほらと「五十嵐さんが言ってた通りだ」と野次馬のように様子を確かめに来る者がいたほどで、要するにそれほどまでに自分は普段顔色が悪かったのかとイツキ的には小さな傷が内心に増え続ける一週間であった。ましてや人に言われるだけでなく自分でも少し体が軽く感じたり、そもそも変化の原因にハッキリと心当たりがあるものだから余計に。


 だから、その週の金曜日に昔馴染みの野郎同士で集まって酒でも飲もうという話になった時点である程度、再会した面々に何を言われるのかを身構えるくらいの事はイツキにも可能だったのだが。


「うおっ、お前本当にイツキか?」


 などと軽く仰け反るほど驚かれたり、


「ちょっと心配だったけど最近はいい生活してるんだな、イツキ」


 などと息子を案じる親のような微笑みで出迎えられたりするのはさすがに想定外だったと言わざるを得ない。

 お前らふざけるのもいい加減にしろよ、と言いたいところだったが、つい一週間前にも会ったはずで今回の集まりを企画したジンにまで同じように驚かれた時点で反論するのを諦めたイツキであった。


 ジンとは比較的頻繁に会っているが、それ以外の友人とは会う機会がそれほど多くはない。そもそもイツキ自身が積極的に周りと連絡を取ろうとしないこともあって、うっかりすると疎遠になってしまいがちな所を定期的にジンが繋いでくれている節はあった。今回も「先週誕生日だったから」という理由の裏に多分そういう意図があるのだろう。

 わざわざ気を回してくれるジンもそうだが、自分から動くことの少ないイツキをそれでも歓迎してくれる面々も高校時代から変わらず気のいい連中だ。自分から動くことこそ少なくても、イツキとて感謝はしているのだ。

 言葉にしたことは事は無いのにその辺りの気持ちを汲んでいる気配のある彼らに対して、イツキは基本頭が上がらない。


 結局集まった人数はイツキとジンを含めて五人。安い事が売りのチェーンの居酒屋で酒を煽って話すことなどジンの時と大差はないが、人数が増えるとそれだけで楽しくなるのだから単純なものである。


「さて、それじゃ本題だ」


 肩の力が抜けた馬鹿話をいくつか交わした後に友人の一人が切り出して、一斉に視線が集まったのはイツキの方だ。

 全員アルコールが二杯以上は回ったところで、どいつもこいつも口やら気分やらが軽くなる頃合いである。


「イツキは最近何かあっただろ、絶対。なあジン」

「おう、先週会った時より絶対景気のいい顔してる」

「普段そんなに景気の悪い顔してるか俺は」


 悪ふざけ半分の掛け合いを聞きながら、イツキも口の端は軽く上がっていた。口が軽くなるのはイツキだって例外ではない。


「別に特別な事は何もないよ、マジで。ただ……」


 実際の所、顔色が良くなった事については自分でもはっきりわかっている。言うまでもなく例の夢だ。

 老人の店を訪れたその日も、そのまた次の日も、イツキは結局毎日帰宅後にオルゴールのネジを回していたのだ。食事と風呂くらいはさすがに欠かさなかったが、それ以外の事は殆ど放棄して毎晩夢の中での記憶さがしに明け暮れていたと言っても過言ではない。趣味のために夜更かしすることも多いジン辺りが今のイツキの生活サイクルを聞いたら卒倒するだろう。


 とにかく毎日欠かさず夢の中で例の巨木と平原の景色の中に座り込み、自分の記憶を探し続けた。声は相変わらず姿を決して見せようとしなかったが、眠りについたイツキが目を開くといつも嬉しそうに歓迎の言葉を述べて、それからちょっとした冗談や軽口を交わして、そうして必ず「イツキ、準備はできているかい?」の一言から記憶さがしが始まる。記憶さがしの場所は毎度違っていた。


 月曜日は小学校の図書室で、火曜日には見覚えのないどこかの家の一室にいたし、水曜日の舞台は実家の近くにあった川の上にかかる小さな橋の上。そして木曜日――つまり昨日――の舞台は当時住んでいた地域の商店街。

 内容はどれも同じ。自分ではどこに何を隠したかも覚えていないはずの、奇妙な宝探しだ。


 図書室でお気に入りだった本の内容を、何処がどう面白かったのか、どの部分がお勧めなのか、好きなキャラクターは誰なのかを誇らしげに語る自分を思い出した。

 どこかの家の一室では折り紙を手にして、何度も首を捻ったり目を白黒させつつ複雑そうな折り方を教わりながら挑戦する自分がいた。

 小さな橋の上にいた自分は、少し前の誕生日に買ってもらったおもちゃのカメラで景色をあちこち撮影して、プロのカメラマン気分を味わっていた。

 商店街にいた自分は、小さく丸みのある綺麗な文字が並んだメモ用紙を片手に、空っぽの買い物袋を抱きかかえていた。


 そして、どの記憶にも必ず、幼い頃のイツキの隣に例の女の子の姿があった。本の内容を聞いて興味深そうなリアクションを返すのも、折り紙のコツを横で教えてくれていたのも、カメラマン気取りな自分のモデルとして恥じらい混じりにピースサインを見せていたのも、店を探してうろうろする自分の隣でどの店かを指さしていたのも。

 相変わらず顔が見えず、声が聞こえず、しかし間違いなく同じ人物だと、思い出したイツキには分かる存在だった。こればかりは理屈抜きの、感覚的なものだ。


 とはいえありのままに言うわけにもいかない。丸ごと全てを話すとただの世迷言か幻覚かと心配されそうなことは酔った頭でもわかるので、せめてどこまでなら話せるかの線引きを大雑把に脳内で済ませてから言葉を続ける。

 話せるとしたら、以前ジンにも伝えた程度の所までだろう。


「この前の休みにちょっといい買い物したから機嫌が良いっていうのはあると思う」

「ああ、例の胡散臭い店か」


 軽く目配せしながら切り出すと、ジンからはすぐに相槌が返ってきた。胡散臭い店でいい買い物、なんて話題に食いつかない面々ではなく、すぐに全員が聞きの姿勢に入ったのが分かった。

 店の中の様子や老人の格好の話だけでも十分に盛り上がって、ちょっとその店の場所教えろよなんて催促には「結構入り組んでたからもう一回行けって言われても俺だって覚えてない」とそこだけ少し嘘を混ぜて、そんなタイミングだった。


「なあまゆずみ、高校の時も同じような話してなかったっけ。もしかしてその時と同じ店?」


 イツキ含め全員の視線が、その発言をした一人の方へと向いた。ここにいる全員がジンを経由して仲良くなった面々で、要するにだいたいの場合はジンと波長が合う者――人懐っこかったり世話好きだったり明るい者だったり――が多い。九条くじょうと言う名前の彼は、比較的大人しい性格をしている事がむしろ仲間内では目立つ一人だった。

 他の者に加えてイツキまで同じように驚きの表情をしていた事に、まずは自分の記憶が不安になったのだろう。あれ違ったっけごめん、などと話題を引っ込めようとする彼に、他の誰より早くイツキが食いついた。


「ちょっと待ってくれ、その話詳しく」

「いや、あの、確か高校の二年の時、ちょうど今くらいの季節にイツキがやけに明るい時期あって、確かその時も何か良いことでもあったのかよって茶化したら似たような事言ってたなって……イツキが覚えてないんだったら、俺の勘違いじゃないかな」

「いや、勘違いじゃないと思うぞ」


 少し逃げ腰になりかけていた九条とイツキの間に割り込んだのは野堀のぼりという。高校時代から若干掘りの深い顔立ちのせいで老けて見えていた彼は、今でもまだ実年齢より上に見える顔のラインを軽くさすりながら少し眉間に皺を寄せた。記憶の糸を辿っているらしい。

 少し間を空けてから、うん、と小さく彼は頷いた。


「そうだな、確かに一回そんなことあったはずだ。言われるまで俺も完全に忘れてたわ。よく覚えてんな九条」

「え、マジで? 俺覚えてないんだけど」


 ジンが驚きの表情を見せるのに合わせてもう一人、瀬尾せおという五人目の友人も小さく頷いていた。その視線は九条のほうからイツキの方へともう一度向きを変えている。


「俺も聞いた覚えない。黛ってそんな話してたっけ」

「いや、俺も実は記憶になくて」


 覚えているのが二人、覚えていないのは話した当の本人含めて三人。二人揃って勘違いだろうと言うには、九条はともかく野堀の表情や口調は確信に満ちていた。なにより内容が内容だけにイツキ自身が一蹴できない。

 もうちょっと聞かせてくれ、と視線を覚えている二人に向けると、どちらも少しだけ怪訝そうな顔をした。話したはずの本人が覚えていないから詳しく聞かせてくれ、と食いつく勢いが少々不自然だったのだろう。

 先に口を開いたのは野堀だった。


「二年の時だからほら、クラスが違ったんじゃなかったか、お前ら二人は。で、クラスが同じだった俺と九条が休み時間とかに軽く話してたやつだと思う。本当に九条が覚えてたことが驚きなんだけどな。でも言われたら確かにしたわそんな話。喋った本人が覚えてないのもまあ仕方ないだろ」

「うん、話した内容自体はそこまで大袈裟な事言ってなかったんだけど、単純に黛が今までに見た事無いくらい生き生きしてたのと、アンティークショップなんて言葉が出てきたこと自体が割と意外だったっていうかさ」


 軽い口調でそんな補足が入ったおかげか、言い出しっぺの九条も自分の言葉に少し自信が出たらしい。先ほどまでよりは少し力の抜けた表情で頷いた言葉は少なくとも嘘をついているようには聞こえなかった。


「もう一個、前にも言ったわって証拠になるかも。なあ黛、お前顔色が良い理由って買い物で機嫌が良いだけじゃないだろ」


 隣から言葉を続けたのはまた野堀の方だ。人差し指をイツキの方に軽く向けて、何故だか少し得意げな表情を見せる。


「ずばり、最近は睡眠がしっかり取れてる。時間的にも、気分的にも。図星だろう」


 図星――というより正確には「丸ごと真実でもないが話しても大丈夫そうな範囲の概要としては嘘でもないだろうな」と頭の中で用意していたものを見事に言い当てられてイツキは目を見開いた。イツキの反応がそのまま答え合わせとしては十分だったのだろう。野堀はやはり得意げな表情のまま「前に聞いた時も同じ事言ってたんだよ」と続けた。

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