09、覚えてないかもしれないけど
目を開けると、周辺の景色は嘘のように一変していた。
それなりに広い空間のあちこちに、滑り台やジャングルジム、鉄棒などがまばらに配置されている。少し離れた位置にはベンチもいくつか並んでいた。周囲をぐるりと見渡しても人の気配は全くなくて、見上げた空は先ほどまでの草原と同じように一面赤い色をしていた。
「公園?」
「うん、そうだよ。宝探しのステージはこの公園」
ぽつりとつぶやいたイツキの言葉に、ハスキーボイスが背後から答えた。先ほどまでより明らかに距離が近い声に反射的に振り返る。
どうやら自分は公園の隅にいるらしい、というのは周囲を見渡した時点でわかっていた。ちょうど公園の角になるイツキの背後には、先ほどまでの草原にあったものと比べると非常に小さな――というよりむしろこちらが大きさとしては普通なのだが――木が一本立っているのもちらりとだが確認済だった。
さっきはどこにも人なんていなかったのに、と思いながらその木を振り返るが。
「残念でした。私はそこにいるわけじゃないよ」
やはり人の姿はどこにも見えないまま、やはり草原の時よりも近い距離でハスキーボイスが笑う気配がした。その笑い声が何だか悔しくて、空と同じように赤く照らされた周囲をイツキは何度もぐるぐる見回す。
「今言ったの聞こえなかったかい? どれだけ探しても絶対見つからないよ、ごめんね」
「いや、でもお前、さっきより明らかに近くにいるだろ。声が近い」
「うーん、間違ってはいないんだけどね。どっちかって言うと、逆かなぁ」
「……どういう意味だ、それ」
逆、という言葉の意味が理解できず、探し回る動きを一度止めて木の方をもう一度軽く睨む。どこにいるかが分かっていないが、最初に聞こえたのが背後だと思うと当てずっぽうで睨むのは自然とその方向になった。
「声が近いのは私が近くに寄ったからじゃないよ、ってこと。イツキの方が、私の方に近寄ったんだ」
「結局近くにいる、って意味だろそれ」
「全然違うよ、分かってないなあイツキは」
さすがにもう声のトーンだけで相手の感情がある程度読めるのでイツキには声が軽く拗ねたのが分かった。
だからどうしてお前がそこで拗ねる。と文句の一つもつけたいところだが、それで話を止められてはイツキだって困るのでそれ以上の追及はやめておくことにした。
「それで、結局なんだよ宝探しって。こんな公園でやるのか?」
「まあね」
返ってきた声はなおも少し不貞腐れ気味だが、それでも説明を放棄する気はないらしかった。
「イツキには、今からこの公園の中で宝探しをしてもらうよ。公園の外に出るのはルール違反。宝物は絶対に一個、この公園の中にあるから。別に時間制限とかそう言うのは無いけど、これがイツキの夢の中だっていう事は忘れないでね」
要するに、強いて制限時間を挙げるならそれは朝が来て目を覚ますまで、という事なのだろう。夢の中の体感時間と実際の時間が同じなのかどうかイツキには判断できないが、昨日の目覚めの事を思うと決して短いものではないはずだ。
それにしたってなぁ、とイツキは改めて公園の全体を見渡しながら小さくぼやいた。赤い空とオレンジ色の夕日に満たされた公園は結構広い。遊具も複数あるしベンチも置かれている。イツキの背後にあるような木も数本立っているのだ。
ここで宝探しとなると、まず手始めにどこを探せばいいのか、そしてどんなふうに探せばいいのか。
――小学校の卒業式で経験ない? タイムカプセルを作って埋めましょう、とかさ。
昼間にジンと話した事がこのタイミングで脳内に反響する。もし彼が言ったように宝物とやらが埋められていた場合、掘り起こす際の目印になりそうだという意味も含めて公園内の設置物を見ると、探せそうなポイントが豊富過ぎてげんなりしてくるイツキであった。
「なんかこう、ヒントとかないのか。何を探せばいいのかもわからないんだけど、俺」
姿が見えない声に対してどこを向いて呼びかけたものか、と少し迷ってから最初に声がしたと勘違いした木の方をもう一度見て言う。そこにはいないと言われても、とりあえず声を向ける方向を決めておく方が話しやすかった。
イツキの問いかけに、少しの間だけ無言の時間が続いた。聞いたことに明確に答える、というわけではなくとも相槌なり笑い声なりの反応はほぼ必ず返ってきていた事を思うと少し違和感を覚える沈黙だった。
「おーい。聞こえてるのか? えーと……」
再度呼びかけようとしてようやく、イツキはこの声をどう呼べばいいのかわからないことに気がついた。頭の中ではただ「声」とだけ呼べばいいし普段の会話では名前を呼びかける必要もなかったが、今のように名指しをしたいときには少々不便な状態だ。
どうしたものかと迷っていると、イツキが答えを出すよりも前に「ああ、ごめんごめん」と少し慌てた声が返ってきた。
「ヒントってどう出せばいいかなあってちょっと考えこんじゃって。ちゃんと聞こえてるから安心してくれていいよ。心配かけてごめんね」
「別に心配してるとかじゃねえよ」
「まあまあ、そんな慌てて言わなくてもただの冗談だってば」
反射的に否定したが、さらりと付け足されたその言葉にどことなく気恥ずかしくなる。なんだか照れ隠しのように思われていそうで居心地が悪い。既に何度も思っている事ではあるが、やっぱりどうにもこの声を相手にしていると調子が狂うイツキだった。
「ああそれと、私の事は好きな呼び方してくれていいよ。妖精でもユーレイでも、なんだったらお姉ちゃんとでも」
「誰が呼ぶか、誰が。お前なんかただの『声』だ」
「うっわ、味気ない! もうちょっと捻ってよ!」
「捻ってほしけりゃさっさとヒントを出せって」
今後呼び方を迷っても堂々と『声』と呼んでやる、と内心で決めながらイツキは言い放つ。そうだなあ、と呟いた後に小さい唸り声が聞こえてから。
「正直に言うと、イツキは知ってるはずなんだよ。その宝物を」
静かに、けれど自信を持った口調がそれに続いた。
「どんな宝物かも、どこに隠してあるのかも、全部。イツキは知ってる。今は多分、覚えてないかもしれないけどね」
「なんだよそれ。じゃあ結局何のヒントでもないだろ」
「そこはほら、ここがどこなのかを思い出してもらえないかなあって」
「ここが……って、夢だろ? 普通の夢、っていうのとは全然違うと思うけど」
ここはイツキの夢の中だ、というのは寝る前に老人からも聞いたし、この声からも言われた記憶がある。
返ってきたのは、短い「うん」という相槌だ。
「オルゴールを聞くのが鍵になってるとはいえ、それでもこれはイツキの見る夢だよ」
「それは聞いた。だから、それがどうしたんだよ」
「イツキ自身が覚えていない事だって、ここにはあるよってこと」
遠回しな物言いに、イツキは小さく鼻を鳴らして腕組みをした。
老人といいこの声といい、わざわざ迂遠な言い方をすること自体はもう「そういうものだ」と割り切ることにしたしもういいのだが、それは別にストレスを感じないというわけではない。特にこの意味深な内容を自分なりに噛み砕こうとする手間はひどくもどかしいものである。
「もういい。とにかく探せばいいんだろ、探せば」
結局言われた内容を自分なりに解釈するのは早々に諦めたイツキは、吐き捨てるなり視線を公園の中央の方へ向けた。
――とりあえずまずは、物を埋める時に目印になりそうな所を探すところからだ。
公園の広さを考えると気が遠くなるのを堪えつつ、イツキはその「宝探し」を始めようとして。
そこで初めて、公園に自分以外の人を見つけた。
子供だ、と遠目にも分かった。
公園の隅にいるイツキから見て、ほぼ対角線上の反対側にいるその姿はそれほどまでに小柄だったのだ。おそらくは小学生で、さらに言えば明らかに背丈が高学年のそれではない。
膝上までの短パンに明るいオレンジ色のシャツを着て、その頭には黒い野球帽を被ったその子供は、こちらに背中を向けていた。子供の向いている先には背の高いジャングルジムがあって、首の角度的にはどうやらそれを見上げているらしい。
「……さて。なあ声」
「えっ、本当にその呼び方で通すの……?」
「うっさい。呼んでほしい名前くらい自分で決めろ、俺に決めさせたらこれ以外じゃ呼ばないからな。いや、そんなことよりも」
姿の見えない声に呼びかけながらイツキは遠くに見えている子供の背中を指さした。それなりに広い公園の端から見るその姿は、目を凝らすと薄ぼんやりと光を纏っているようにも見えた。
夕日に照らされているから、というだけではない。燐光を放っているように、その子供の周囲だけ白く光っているのだ。
「さっき言ってたヒントの事を考えると、あれも俺の夢の一部?」
「うん、そうだよ」
声が端的にしか返ってこないのはおそらく拗ねている。何にかは分かっているがイツキとしては今それどころではなかった。
イツキの夢の中に出てくる、イツキには心当たりのない人物。しかもこの「宝探し」をいざ始めようかというタイミングで。何の脈絡もない単なる偶然とするよりも、何かしらの手がかりかもしれないと思いたくなるのは至極当然のことだ。
「おーい、そこの子供!」
手始めに大きな声で呼びかけてみる。が、反応は一切なかった。距離がそれなりにあるとはいえ、他に物音は聞こえずイツキとその子供しか姿の見える存在がいない公園だ。口元で手をメガホン代わりにして大声で呼んで、それが聞こえないはずはない。
だというのに、子供の背中はぴくりと動くことすらせずにじっとジャングルジムを見上げていた。
もし仮に聞こえないフリをしているのだとしたら、大した精神力と演技力である。背後から突然見知らぬ男の大声がしたらもう少し驚いたような反応があるものではないだろうか。
呼んでも反応が無いのなら、とイツキの足は背中を向けたままの子供の方へと動いた。
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