08、そうすれば、きっと少しは

 気がつくと、頬を暖かい風が撫でていた。目を開けて、そこが見渡す限りの草原と赤い空である事を認識する。間違いなく昨日も夢で見た場所だった。


 暗闇の中にすっかり消えてしまった老人に驚きつつ、だからといって何ができるわけでもなく、落ち着かない気持ちのままで帰宅したイツキだったが、わかった事も少なからずあった。

 そのうちの一つが、昨日見た夢とオルゴールの関係性だ。

 燕尾服の奇妙な老人は、イツキに念押しをする際確かに「オルゴールのネジを巻かなければそれで済む」と言った。裏を返せばそれはつまり、オルゴールのネジを巻いたから例の夢を見た、ということになるではないか。


 それはそのまま、昨日見た夢が単に「疲れていたから見た変な夢」の枠に収まるものではないという事の証明にもなるわけだが、イツキにとって重要なのはそこではなかった。

 そもそも、夕焼け空に思い出す光景やらジンだけしか言わないはずのやり取りなど、本来老人が知らないはずの事を知られていた時点で既にただ事ではないはずなのだ。今更理屈で納得できないことが一つ増えた所で何が変わるというのか。


 重要なのは、オルゴールを鳴らせばまた昨日と同じ夢を見ることができる事と、もう一つ。

 ――その夢は確かに、お前さんが求めているものをくれるさ。

 老人がはっきりと断言したその言葉だ。


 夢の中のハスキーボイスはイツキに、思い出そうと言った。それはもちろん、イツキが長く追い求めてきた、夕焼け空に思い浮かべるあの記憶の事だ。あの奇妙な夢がイツキの求めているものをくれる、という老人の言葉もまた、指しているものは同じだ。その時点でイツキに、オルゴールのネジを巻かないという選択肢は存在していなかった。

 時間は有限だとも老人が言っていた事を考えれば、少しでも迷っている暇が惜しかった。


 かくしてイツキは家に帰って少し考えをまとめるなり、食事や風呂もそこそこに済ませてオルゴールのネジを巻いたのだ。元々あまり多趣味ではないおかげで、寝ようと思えば特にやり残したことも無く寝られる人種なことが幸いした。


 そうしてオルゴールから昨日と同じ子守歌が流れ、それが引き金だったかのように意識が遠のいて――気がつけばイツキはそこにいた。


「なるほど、やっぱりオルゴールが鍵なんだな」

「おっ、鋭いね」


 ぽつり、と小さく零したはずの独り言は、聞き覚えのあるハスキーボイスに素早く拾われた。


「今日も来てくれてありがとう、イツキ。声が聞けて嬉しいよ」

「だろうな」


 落ち着き払った声のトーンと小ざっぱりした口調は変わらないが、今日は最初からどことなく声が弾んでいるようにイツキには感じられた。

 昨日はさらりと「好き」などという単語が飛び出したことに狼狽えたりもしたが、さすがに二度目の直球は慣れが強い。来ると分かっているなら狼狽えることも無く平然と流せた。おそらくはイツキが昨日のような反応をすることを期待していたのだろう、声はしばらく間を空けてから「……それだけ?」とつまらなさそうに催促をしてきた。


「もっとこう、照れたり戸惑ったりさあ。そうでなくても同じように、俺も嬉しいぜ、とか言ってくれてもよくないかい?」

「照れが見たけりゃもう少し緩急覚えろ。あと同じノリで返すわけないだろ、そっちの方が恥ずかしいわ」


 実際の所、平静を装えるだけで内心が完全に凪いでいるわけではない。姿も見えず、一応は女性だろうと思えるだけの、昨日少し話したばかりの声のはずなのに直球の好意的な言葉は妙にイツキの心を揺らすのだ。

 ――なんなんだろうな、こいつ。調子狂う。

 ジンからも言われ、自身でもそうと認めている「乾いている」はずのイツキにとっては由々しき事態だ。少なくともこれまでの二十五年間、記憶にある限りでこんな風に調子が狂った事は一度もない。声だけでなく、面と向かって「好きです」と言われたこともあるが、その時ですら今ほど動揺したことは無いはずなのに。


 独り言は拾えても、イツキの内心まではさすがに拾えないらしい声は少しだけ低く「恥ずかしいか……そっかー……」などと少し呟いた後で、大きな咳ばらいを一つした。


「まあその、こういう雑談も楽しみたいけれどさ。そろそろ本題に入ろうか」

「おう」


 短く雑に返したのは、本題という言葉に思わず飛び上がりそうになった反動だ。待ってましたとばかりにがっつくのは少し恥じらいが顔を出して、逆に平然と応じるフリをしようとして力が入り過ぎた。

 木の向こうからくすくすと笑い声が聞こえたのでおそらく向こうには悟られている。不機嫌な顔になったイツキの事を知ってか知らずか、声はそのまま続けた。


「イツキは、宝探しは好きかい?」

「……昨日も聞いたな、その話題」

「そうそう、昨日の続き。ちゃんと覚えていてくれて嬉しいよ」


 小さな声でイツキが呟くと、返ってくる声は分かりやすく弾んでいた。


「好きか嫌いか以前に、やった事無いしそこまで興味も無いって。もうスーツ着て仕事に行くような歳の男が飛びつく内容じゃないだろ」


 言いながら、昼間に宝探しの話題を振った友人の事を思い出す。ジンなら今の年齢でも嬉々として飛びつくかもなぁ、などと思ってから、それは思いつかなかったことにして思考の隅に押し込んだ。

 仮に飛びつく友人の心当たりがあったとしても、それはあくまで特例である。少なくともイツキは飛びつかない。


「ふぅん、そっかぁ。今はそうなんだね」

「なんだよ、言いたいことがあるなら言えよ」

「ううん、別に何があるってわけじゃないさ。けどちょっと、意外だなぁって」


 はっきりと言い切ったイツキに対して、声は少しだけ含みのある言い方だった。声には出さない事を意識しながら、イツキは思いっきり顔をしかめた。どれだけ小声でも口に出したら拾うかもしれないが、無言で表情を動かすだけなら察することはないだろう、と踏んだのだ。

 ちょっと含んで、何か思う所がありげで、けれどそれを言わずに含み笑いでごまかす。される側としては決して気分の良いものではない。こういう態度の相手はこれ以上突っ込んだところでどうせ口を割りはしないのだ。イツキは早々に話題を切り替えることにした。


「それで、宝探しがどうしたんだよ。まさかやるのか、今から」

「うん、そのまさか」


 ほんの少しの澱みも無く返ってきた言葉に、座り込んでいたイツキの腰が少し浮いた。


「冗談のつもりで言ったんだぞ俺は」

「だとしたら残念でした。私のほうは本気だよ。イツキには今から、宝探しをしてもらいます――といっても、さすがにこの場所じゃないよ。そこは安心してね」


 確かに、この場で宝探しだ、と言われていたら途方に暮れていただろう。右も左も見渡す限りの大草原で、目立つものと言えば今背を預けている大樹と、遠くにちらほら見える低い木だけ。探すとしたら自分の足元を掘り返すくらいしか思いつかない。


 ――けど、じゃあどこで。

 その問いは口に出すよりも早く、答えの方からやって来た。


 胸元に仄かな熱を感じて、次の瞬間熱を感じたのと同じ辺りが光りはじめる。光源は自分の胸元、服の内側だ。大型の電球でも仕込んだかと思うオレンジ色の光はとても強く、しかし不思議と感じる熱はそれほどでもない。ほんのり暖かいままだった。


「目を閉じてね、イツキ。ほんの少しの間目を閉じて、私がいいよって言ったら目を開けて。そうすれば、きっと少しは分かるはずだよ」


 そろそろ聴き慣れてきた声がそんな風に忠告をするまでもない。既に眩しくて、目を開けていろという方が無茶な状態であった。

 ぎゅっと目を強く閉じて、自身の胸元に手をやる。暖かさと眩しさの原因を手で探ると、手のひらに五百円玉くらいの大きさをした円形の何かが触れた。細い側面がぎざぎざしているのが、手に触れた感触でわかる。


 昨日老人から渡されたペンダントだ。すぐに気がつけたのは、寝る前にしばらく手に持って眺めたり側面を指でなぞったりしていた感覚を指先がまだ覚えていたからだ。

 寝る前につけたっけ、それとも関係なく夢の中にはついてくるんだろうか。握りしめてもなお指の隙間からあふれる光に目を開けられないままにそんなことを考え始めた矢先。


「うん、もういいよ、イツキ」


 ハスキーボイスが聞こえて、胸元の暖かさが消える。さっきまでほんのり熱を持っていた事など嘘のように、イツキの手の上でペンダントの感触はひんやりとしていた。閉じた瞼の上からでもわかるほど眩しかったオレンジ色も暗くなっていった。

 ろうそくの火が吹き消されるように呆気なく光が消え去ってからたっぷり十秒は躊躇ってようやく、恐る恐るイツキは目を開けた。

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