18、このまま帰る方が、きっと

 聞き間違えようもない。アンティークショップにいた、ニタニタ笑いの胡散臭い老人の声だった。


 視線の先には細長い道が二つ。そして、やはりそこには燕尾服の老人が佇んでいた。

 片方の道は、随分と明るい。緩やかな上り坂になっているのが見て取れた。もう片方の道は上りでも下りでもなく、ただ真っすぐに伸びている。周囲が薄暗いせいだろうか、道の先に何があるのかはハッキリと見えない。

 一度背後を振り返って確認していたから断言できるが、ついさっきまでは絶対にそんな道は無かったはずだ。自分がここにたどり着くまでに歩いてきた道とも明らかに違う。


 ――さァて、どうする小僧。

 直前に聞こえてきたのはそんな言葉だ。

 何を選べと言うのかは、さすがにこの状況だから見ればわかった。明るい上り坂か、薄暗く真っすぐ伸びた道か。


 心象的には明らかに前者の方がいい。緩やかに上を向いているというのも、ここが夢の中だからということを考えればいかにも「夢から覚める」という印象を受けた。

 だとしたら後者は。薄暗いままの道が真っすぐ続くこちらの道は、少なくとも明るい道のように「こっちを選べば目が覚めるんじゃないだろうか」というようなイメージすらわかない。手がかりが一切ない状態だった。


「お前が選ぶのは、これが最後じゃ」


 二つの道のちょうど間に立った老人がゆっくりと口を開いた。

 その表情に笑みは無い。胡散臭さを増すニタニタ笑いが引っ込んだその表情は以前にも一度見たことがあった。

 あれは、最初にオルゴールを開けて、夢を見た次の日だったはずだ。その時に言われた言葉もイツキはまだ覚えている。


 時間は有限で、イツキが見ている記憶さがしの夢はいずれ見ることができなくなる、ということが一つ目。

 夢はあくまで夢である、という念押しが二つ目。

 そして最後は、


「小僧。お前には選ぶ権利がある。思い出すか否か、じゃな」


 無表情のままで老人が口にした言葉は、記憶の中から三つ目の言葉を辿っていたイツキの思考とぴったり重なった。


「夢から覚めるか、思い出すか。どっちを選んだところでそれは小僧にとって何を与えるでもないし、何を損なうでもない。それは紛れもない事実じゃ」

「覚めるか、思い出すか……」


 言われた言葉をおうむ返しに繰り返す。


「もちろん、お前がさっき見たアレで全部を思い出したと思えるのなら、それもまたよかろう。むしろ儂はその方がええ。楽だからの」


 さらりとそんなことを言って、老人の口の端に少しだけ笑みが戻る。思い出したようなその笑い方に、どうやら冗談を言ったつもりらしいと一瞬遅れて気付いた。


「実際、それも嘘ではないでな。小僧が忘れておった、思い出したいものはもう見ることができたじゃろ」

「……それ、は」


 確かにそれは事実だ。いつも姿だけを夕焼け空に見て、その名前も声も思い出せなかった相手が誰なのかはもう思い出せる。どういうやり取りをしていたのかも、その相手に自分がどういう感情を抱いていたのかも。

 けれど、これが全部ではない。そんな実感が確かにあった。返事の歯切れが悪いのは、その実感故だ。


 そもそも自分がいつも見ていたのは、夕焼けの中で思い出していたのは、オレンジ色に染まる景色だった。その景色の中で「琴乃ちゃん」の笑顔と、平べったいペンダントが眩しく映る光景だった。夏祭りの日に意を決して告白した記憶とは時間も状況もきっと違う。

 まだ何か、自分は思い出せていないことがある。それは間違いない事だと、自分の記憶も直感も全てがそう訴えていた。


 イツキの態度からそれを察したらしく、老人の首が小さく縦に揺れる。


「時間は有限じゃと言うたな。これが、最後じゃ。刻限が来たのだよ」


 そう言いながら老人の手が、薄暗い方の道を示す。


「最後まで知る気がもしあるのなら、こっちじゃ。ただし、儂は勧めぬ。このまま帰る方が、きっと小僧にとってはええぞ」


 初めて聞いた吐き捨てるような口調が、その言葉を本当の事なのだろうと思わせた。


「何度でも言うがな、夢は夢であって、何を知ろうが、何を知るまいが、小僧の現実になんの影響も持たぬ。それを思い出した小僧自身が前向きになるか、塞ぎこむか意外にはな」

「それ、要するにこの先には塞ぎこむような何かがあるって言ってるみたいだけどな」


 何度か経たやり取りの間に「とりあえず軽く煽ればこの爺さんは乗らないが何かしら喋る」と覚えたせいでどうしても挑発気味な口調になってしまうイツキだったが、今回ばかりは老人の口は重いらしい。反応は首を軽く左右に振るだけで、しかしこの場でその動作はほとんど肯定に等しかった。


「別に、もうよかろう? 小僧はもう、これ以上を思い出さずとも十分じゃろう」


 ボサボサの髪の向こうから真っすぐに視線を向けつつ、老人は言外に促す。さっさとここから帰れ、目を覚ましてしまえ、と。

 そのことが、少しだけイツキの中の何かを刺激した。


「爺さん」


 言いながら一歩前に足を踏み出す。

 そうだ、目の前の老人に言われたからと素直に引き下がってどうする。自分が思い出したいと思っていた光景はまだ思い出せていない。

 それにもう一つ理由はあった。


「悪いけどまだちょっと帰れない。今俺、かくれんぼの真っ最中なんだわ」


 イツキが来るのを待ってるからね、とあの声は言った。イツキはまだ見つけていない。

 ちゃんと最後にお別れの挨拶くらいはしたい、と言っていた。イツキはまだ挨拶なんてしていないし、その前に問い詰めてやらねば気が済まない。


「儂は止めたぞ」


 そう言いながら、老人は深いため息をついてから薄暗い道の方を空けるように半歩だけ身をずらした。

 諦めた口調をしながら、投げやりな態度をしながら、随分とあっさりと。

 まるで最初からイツキがそうすると知っていたような動きだった。

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Lullaby Box 水城たんぽぽ @mizusirotanpopo

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