初恋は少し、夢に似ている

みゅう

本編

プロローグ 入学式

第1話 不安と期待

 春、舞い散る桜の中、高校の正門をくぐる。


 私立聖調せいちょう学園。それが今日から俺の通う事になる学校の名前だ。


 聖調学園といえば、県内では多少名の知れた女子高で、そこに今日から俺が通うというのは少し妙な気分ではある。


 今年度から聖調学園は共学となった。

 その理由は、生徒数の減少やら時代の流れやら色々とあるらしいが、正直、そんな学校側の事情は俺には一切関係なくまた興味もなかった。


 そもそも、この学校を進学先に選んだのも、家からそれなりに近く、自分の偏差値より少し高めの所を選んだというだけで、聖調学園自体にはそれほど思い入れはない。担任が推薦すいせんをくれるから受けてみた、と、そんな感じだ。


「ふわぁ……」


 欠伸あくびみ殺し、昇降口へと向かう。


 去年まで女子高だったという事もあり、今年入学する生徒数も男子より女子の方が明らかに多く、また今日見掛ける生徒もやはり男子より女子の方が多い。


 前もって分かっていた事だが、見ると聞くでは大違い。現状を目の当たりにし、多少不安を覚えないでもない。が、しかし、裏を返せば、〝多少〟しか不安を覚えていないわけで、平常時でない事を考慮に入れれば、それは弱いくらいだろう。


 今の俺が冷静な思考を保っていられるのは、今更うろたえても仕方ないという諦めにも似た境地に達しているからであり、またこの場に一人でいるわけではないからだった。


すごい人だね」


 周りを歩く生徒達を見て、隣を歩くセミロングのかみの少女――岡崎おかざきがテンション高めに声をげる。


 岡崎にしても、見ると聞くでは大違い、なのだろう。紙に書かれた数字を見るのと、実際に歩いている生徒達を見るのでは、やはり受ける印象が違う。


「新入生だけで、六百人以上って話だからな」

「同級生が六百人って……なんか、ピンと来ないね」


 あまりに多いその数に、岡崎が苦笑を浮かべる。


「ま、中には三年間、全く面識のない人間も出てくるだろうけど」

「だね」


 俺と岡崎は、三年間同じ学校で授業を受けた、いわゆる同中おなちゅう出身者だ。とはいえ、お互いを知ったのは三年生になってからで、更に話し始めたのは二学期に入ってからだった。


 岡崎と初めてまともな会話をしたのは確か、面接練習の前だったと思う。練習が始まるまでの待ち時間の間に少しずつ話すようになり、次第に他の時でも普通に会話するようになったのだった。


 昇降口で事務員らしき女性から、クラス分けの紙をもらい、それに目を通す。


「同じクラスだね」


 お互いの名前を見つけ、先に口を開いたのは、岡崎の方だった。


 同じクラスで、しかも同じ名簿番号。入ったばかりの学校で、これほど心強い事はない。


「良かった。岡崎と同じクラスになれて」

「え? なんで?」

「〝なんで?〟って。そりゃ、知らない人間ばかりの所に放り込まれるのと、一人でも知り合いがいるのとじゃ気持ちが全然違うだろ」

「あぁ……。うん。そうだよね」


 俺の言葉に、何やら微妙な笑みを浮かべる岡崎。


 どうしたんだろう? 今、俺は、普通の事を言っただけだと思うのだが。


 クラス分けの紙の裏に書かれた校内図を見て、自分の教室の場所を確認する。どうやら、俺達の教室は、南校舎の五階にあるようだ。


「教室までどうやって行こうか?」

「うーん。どう行くのが近いのかな?」


 今、俺達がいるのは、北校舎の一階の中央。というわけで、教室まで行くには、階層と校舎、その二つを移動する必要がある。


 北校舎から南校舎に渡る手段は、大きく分けて三つ。


 右に進み、一階の渡り廊下を通るか。一度外に出て、中庭を突っ切るか。階段を上がり、二階の中央付近にある渡り廊下を通るか――だ。


「とりあえず、階段登ろうか」

「そうだね」


 どの行き方が最適かは追々考えるとして、今は無難な選択肢の内の一つを選ぶ事にしよう。中庭を突っ切るためには、三度くつえなければならず非常に面倒そうだ。


 ま、慣れてきたら、中庭だろうが、上履うわばきのままで行ってしまうんだろうけど。


 昇降口で靴をき換え、目の前の階段を登る。


 ちなみに、まだ自分の下駄箱は決まっておらず、皆、自分のクラスの所を適当に使っているようだ。実際、俺達もそうした。


「教室まで結構遠そうだね」


 階段を登りながら、岡崎が言う。


「確かに、これが毎日となると、きついかもな」

「でも、いい運動にはなりそう。これが毎日続けば、少しせるかも」

「? 岡崎の場合、痩せる必要ないだろ?」

「あるの。春休みで二キロ太っちゃったんだから」


 二キロと言われても、見た目には全然分からない。というか、単純に身長が伸びたんじゃないだろうか。気のせいとも思える程度にだが、わずかに大きくなった気がする。


「あー。今、〝確かに〟って思ったでしょ?」

「そんな事ないって。むしろ、なんで、女の子がそこまで体重気にするのか分からないくらいだよ」

城島きじま君は、少しぐらいなら太ってても気にしないって事」

「ガリガリよりは健康的でいいんじゃない?」


 少なくとも、俺はそう思う。


「ホントに?」

「ああ」

「そっか……」


 それにしても、なぜ女性はどうしてもそこまで自分の体重や体型を気にするんだろう?


 男性も全く気にしないわけではないが、女子のそれは俺からしてみれば、神経質過ぎるようにすら思える。それだけ人の視線に敏感で、自分に厳しいという事だろうか。


 二階に上がると、眼前に職員室が現れた。渡り廊下は、これを越えた向こう側にある。


「城島君はさぁ――」


 岡崎が何か言い掛けたその時だった。職員室の方から、一人の女生徒がこちらに向かって歩いてきた。


 長い黒髪が女生徒の動きに合わせて揺れる。洗練されたその動きは、まるで優雅な舞か流れるように繰り出される武道の型を見ているようだった。無駄がなくそれでいて速度は少し速め、だがしかし、慌てた様子や動きに乱れは一切見受けられない。


 女生徒が立ち尽くす俺達の前を通過していく。


 一瞬、彼女と目が合う。微笑ほほえまれた――気がした。気付いた時には、女生徒は俺達に会釈えしゃくをし、来た時とは反対側の方向に消えていく所だった。


 先ほど見た校内図に寄れば、あっちは体育館。こんな時間に体育館に向かうという事は、式の準備や実行に関係する人物なのだろうか?


綺麗きれいな人だったね」


 俺同様、女生徒に目を奪われていたらしい岡崎が、余韻よいんをまだ引きずったような声色こわいろつぶやくようにそう言う。


「あぁ……」


 うなずきながら、止めていた足を再び前に動かす。


 心が揺れていた。思考が落ち着かない。


 今、自分の感じた感情が分からない。一目れ――というのとは、少し違う気がする。あえて、無理矢理にでも今感じた感情に名前を付けるなら、夢からめた時のような……。


 その後、教室に着くまでの間に、岡崎と交わした会話の内容を俺は全くと言っていいほど覚えていなかった。




 式は静かに、また退屈に進んでいく。


 教師や来賓らいひんの話を右から左に聞き流しながら、俺は先ほど会った女生徒の事を考えていた。


 何だったんだろう? さっき感じた感情は……。


 我ながら、夢から醒めた時の感覚というのは言い得て妙だった。


 先程の感情を考えようとしても思考にもやが掛かったようになってしまい、一向に先に進めない。そう。それはまるで今見たばかりの夢が思い出せない時の感覚に似ており……。


 しかし、今、俺がしようとしている行為は思い出すという行為ではなく、考えるという行為。なので、言い得て妙。似ているが、二つの感覚と感情の間には大きく開きがあった。


「ねぇ、城島君」

「ん?」


 隣に立つ岡崎が抑え目の声で話し掛けてきたので、視線だけをそちらに向ける。


「あそこにいるのって……」


 岡崎の視線を追うと、そこには舞台の隅の方に座る生徒達がいた。遠い上に、舞台までは距離があり、三人の顔はよく見えないが、全員が女子である事は遠目にも分かった。


「あぁ。生徒会の人達じゃない?」


 俺も、中学時代はああして舞台の上に座ったものだ。大抵、ただ座っているだけだったが。


「うん。そうなんだろうけど、あの人ってさっき擦れ違った人じゃないかな?」

「え?」


 岡崎に言われ、改めて目をらして舞台上を見る。


 言われてみれば、そう見えなくもない。やはり、よく見えないが。


 式は静かに、またゆっくりと進行していく。


 岡崎の言葉を確かめる機会は、意外にも早く訪れた。


 進行役を務める女性教師が、次に舞台中央に立つ者の肩書を呼ぶ。


 舞台の隅に座っていた中の一人が立ち上がり、舞台の中央に進む。その美しい足運びに、俺は見覚えがあった。


 黒く長い髪の女生徒が、舞台の中央に立つ。


「この学校の生徒会長を任されている、姫城ひめしろ静香しずかです」


 女生徒――姫城先輩は、はっきりとした口調でそう名乗る。


 透き通るような綺麗な声だった。その声は多分、マイクなど無くても、俺達の耳にしっかり届いただろう。


「生徒会長さんだったんだ……」


 おそらく、ひとごとだろう。岡崎のそんな言葉が隣から聞こえてきた。


「新入生の皆さん――」


 姫城先輩の話は、はっきりとした口調ながら優しく、また内容が明瞭めいりょうで非常に聞きやすかった。場慣れしている、というのもその理由としてはあるのかもしれないが、きっと彼女の頭の良さや人柄が話の〝聞きやすさ〟を生み出しているのだろう。


 生徒会長の話が終わり、続いて他の生徒会メンバーも紹介される。


 肩書と名前を呼ばれ、一人の女生徒が舞台中央に足を進める。姫城先輩同様、美しい足運びながら、そこには少し硬さが見て取れる。しかし、強張こわばっているわけではなく、どちらかと言うと、正確に足を運んでいるという印象だった。


「副会長兼書記の岸本きしもと由佳里ゆかりです」


 岸本先輩は、綺麗というより格好かっこういい感じの女生徒だった。失礼ながら、男子より女子にモテそうだ。


 ピンと伸びた背筋が、元々高い背をよりいっそう高く見せていた。髪は短く、ショートに近い。鋭い目つきと顔つきが、彼女の性格を表しているように思えた。


 三人目の女生徒が、舞台中央に向かう。足取りは軽やかで、今が式の最中だという事を一瞬忘れさせる。


「執行部兼会計の東雲しののめ志緒しおです」


 東雲先輩は、一言で言い表すと元気一杯の女の子といった感じだ。周りの女子からは、いつも可愛がられているのではないだろうか。


 身長は女子としても低めで、他の二人は三年生だが、彼女だけ二年生らしい。髪はセミロングで、全体に軽くパーマ掛かっている。


 三人の女生徒が並び立ち、進行役の女性教師の台詞せりふの後、一斉に頭を下げる。


 彼女達を見ていると、自分が今までと違う環境に足をみ入れたのだと、改めて実感させられた。


 不安と期待。両方の感情が渦巻く中、俺の新しい学校生活はこうして幕を開けた。姫城先輩に対する妙な感情と共に……。

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