第26話 再会と連絡先

 ピンポーン、とチャイムの音が鳴り響く。


 その音に、リビングのソファーに座っていた俺と夏樹なつきは、そろって身構えた。


 この時間に、たまたま誰かが来たという可能性もなくはないが、おそらく、来たのは〝あの人達〟だろう。


 顔を見合わせ、うなずくと、俺達は立ち上がり、玄関に向かった。


雅史まさしさん、お久しぶりです」

「お久しぶりです。三回忌の時以来だから……四年ぶりですか」


 玄関では、俺達より一足早く来ていた親父が、黒いワンピースを着た女性と会話をしていた。


 二人のり取りを聞く限り、険悪な雰囲気は伝わってこない。

 むしろ、関係は良好のようだ。


 さて、目の前のこの人が俺の伯母なら、年は四十前後のはずだが、どう見ても三十前後、見ようによっては二十代にすら見える。


 どうやら、美しさは時の流れすらゆるやかにするらしい。


 髪は黒く長い。美人ではあったが、本人のまとう優しげな雰囲気と表情が、それによって生じる気おくれや壁を見事に取っ払っており、むしろ親しみやすさを感じさせた。


「あら、こう君。お久しぶり。元気にしてた?」


 俺の存在に気付いた伯母が、こちらを向き、微笑ほほえむ。


「えぇ。まぁ……」


 何と言葉を返していいか迷い、結局、中途半端な受け答えになってしまった。


 無理もない話だろう。父方の親戚の話は、ウチではいっさい話題にならず、会うのも数年ぶり、なのだから。


「ホント大きくなったわねー。それに、なんというか、男らしくなった」

「そう、ですか?」


 自分ではそんな事はこれっぽっちも思わないので、照れる――というより困惑する。


 しかも、本人に冗談の意思がなさそうなのがまた……。


「うん。ウチの娘の旦那に欲しいくらい」

「――ッ!」


 伯母の放った一言に、俺は思わず、言葉を失う。


 彼女の言う〝娘〟とは、つまり……。


「ちょっと、お母さん。後ろまってるんだけど」


 突如、伯母の背後から声ががる。

 若い、女性の声だ。


「あ。ごめんなさい。今、退くわ」


 そう言うと伯母は、「お邪魔します」と口にし、玄関に上がった。


 伯母が退いた事により開けた視界。そこに立っていたのは、伯母同様、黒いワンピースに身を包んだ若い女性だった。


 年は、俺より三つ四つ上といったところか。見た目でそう分かるのに、ひどく大人びて見えるのは、彼女の雰囲気が落ち着いているからだろう。


 髪が黒く長い事と、美人である所までは、伯母と一緒だが、見た時に受ける印象は少し違っていた。一言で言えば、しっかり者。だけど、決してキツイ感じではなく、便たよりになる、便りたくなる人という感じだ。


「あら、あなたは?」

「あ、あの、城島夏樹です。孝君とは、従兄妹いとこでして――」


 伯母と夏樹が、俺の背後で何やら会話をしていた。

 その声が、やけに遠くの出来事のもののように聞こえる。まるで、テレビの向こう側から聞こえてくるかのように……。


「お久しぶりです。叔父さん、孝君」


 親父と俺に、それぞれ女性が微笑み掛ける。


 瞬間、俺の中で記憶が揺さぶられた。


 葬祭場。女の子。黒髪。ロング。黒いワンピース。畳。襖。キツネのキーホルダー。伸ばされる女の子の手。そして、開かれた男の子の手。


 はっきりとしてではなく、漠然としてだが、思い出した。

 あの時、何があったのか。


 そして、あの時、俺と一緒にいたのは――


「ほら、何してるの。アンタも早く挨拶あいさつしなさい」


 記憶のうずに飲み込まれ掛けていた俺の思考を、女性の声が呼び起こす。


 女性は振り向き、誰かの手を引いていた。


 手を引かれ、姿を現したのは、二人と同じく長い黒髪の美女――いや、美少女だった。

 着ている物が制服という事もあるのかもしれないが、他の二人に比べると、少女は少し幼く見える。あくまでも、比べると、という話だが。


「お、お久しぶりです」


 緊張した面持ちでそう挨拶をした人物の名を、俺は名乗られずとも答えられた。


姫城ひめしろ先輩?」

「……はい」


 姫城静香しずか

 俺の学校の先輩にして、生徒会長。


 そんな彼女が、なぜ、この場にいるのか。

 考えるまでもない。彼女もまた、俺の母方の親戚の一人なのだ。




 七回忌を無事に終え、坊さんを玄関で見送ると、皆がリビングに向かう中、俺と澄玲すみれさんはその一団から離れ、二人で自室に向かった。


 話があると誘ってきたのは澄玲さんの方で、場所を指定してきたのもやはり彼女だった。


 澄玲さんは、姫城先輩のお姉さんという事で、二人の容姿は似ているが、伯母と同じく受ける雰囲気は違う。伯父は落ち着いた雰囲気の人みたいだし、どちらかと言うと、澄玲さんは伯父似、姫城先輩は伯母似なのかもしれない。


「へー。これが、孝君の部屋かー」

「……」


 女の人に自分の部屋を見渡される恥ずかしさと、女の人と二人きりという気まずさに加え、何を話したらいいのか分からないという居たたまれなさが俺を自然と無言にさせた。


「ごめんね、いきなり」


 そんな俺の様子に気付いてか、澄玲さんがこちらに顔を向ける。


「いえ、それで話というのは……」

「うん。でも、先に孝君こそ、私に何か言いたい事があるんじゃない?」

「……」


 もしかしたら、この人は、俺の心の中を全て見かした上でこんな事を言っているんじゃないだろうか。だとしたら、いまさら隠しても仕方ないし、そうでなくとも、こんな機会は二度と来ないかもしれない。ちゃんと伝えておいた方がいいだろう。


「母の三回忌の時の事覚えてます?」

「ええ。もちろん。孝君と初めてまともに会話した日の事でしょ?」


 そう。そして、俺の唯一の澄玲さんに関する記憶だ。


「式が終わった後、俺達は、たたみきの部屋に入れられました」


 多分、大人同士の話があったのだろう。


「そこで、澄玲さんと俺は、お互いのキーホルダーを交換した」

「そう。猫のやつ」


 確か、俺が手持ち無沙汰でいじっていたキーホルダーを澄玲さんが「可愛い」と言い、められた俺は嬉しくなってそれを「あげる」と言ったんだ。そして、澄玲さんがそのお返しとして俺に自分のキーホルダーをくれた。結果、お互いのキーホルダーを交換した形になったわけだ。


「あのキーホルダー大事にしてくれてる?」

「もちろん。ほら、あそこに」


 そう言って俺は、自分の勉強机を指差す。

 そこには、キツネのキーホルダーが一つ、ぶら下がっていた。比較的リアルな、デフォルメされていないやつだ。


「私もかざってるわ。使って、無くしたり汚したりしたら嫌だから」


 本当かうそかは分からないが、澄玲さんのその言葉は、素直にうれしかった。


「俺の初恋は小五の時、母の法事で会った従姉いとこが相手でした」

「……」


 俺の突然の話題転換に、澄玲さんは驚いた様子もなく、まるで弟を見守る姉のように聞き入ってくれていた。


「それ以降、一度も会ってないし、その時も、ほんの数分しか話してないのに、俺の中で、彼女の存在はすごい大きなものになっていました」


 顔も思い出せない相手をずっと思い続けてきたなんて……いや、違うか。今ならはっきり分かる。俺は、あの時抱いた感情を、ずっと持ち続けていただけなんだ。つまり――


「今日、澄玲さんに会えて良かったです」

「もしかして、私は振られたのかしら?」


 冗談めかしに、澄玲さんが笑顔でそう言う。


「そうですね。けど、俺が振ったのは、俺の思い出の中の澄玲さんです」

「今、好きな人がいるのね」

「はい」


 恥ずかしがらず、誤魔化ごまかさず、しっかり澄玲さんの目を見て答える。


「その相手って……。いえ、止めておきましょう。それは、当人同士が解決する問題で、私が口出しする話ではないわ」

「すみません」

「ホントよ。言っとくけど、私を振った男は、君が初めてなんだからね」


 うわー。それはまた、何て言ったらいいものやら。


「……このくらいならいいか」

「え?」


 澄玲さんが、背後にちらりと目をやり、何かをつぶやいたが、その声は、残念ながら俺の耳には届かなかった。


「ううん。何でもない。ねぇ、孝君、明日ひま?」

「え? はい。暇ですけど」


 夏樹も今日には帰るし、明日は特に予定はない。


「なら、明日、散歩に付き合ってくれない? 久しぶりに、この辺りを歩きたい気分なの」


 そう言えば、澄玲さんも聖調せいちょうのOGらしいから、この辺も、数年前まではよく歩いていたのかもしれない。


「いいですよ。そういう事なら」


 むしろ、こちらからお願いしたいくらいだ。


「じゃあ、後で待ち合わせ場所と時間を相談したいから、連絡先を交換しましょう」


 こうして俺は、みごと初恋相手の連絡先を、こちらからはいっさい動かずゲットする事に成功した。

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