第24話 あの後と彼女

「――あの後、どうだった?」


 月曜日。俺が席に着くなり、江藤えとうが体を半分こちらに向け、開口一番そうたずねてきた。


 ちなみに、ゆうの姿は室内には見当たらず、岡崎おかざきかばんを自分の席に置く間もなく、女子二人に捕まり現在は談笑中。どちらも近くにはいない。


「〝どう〟って?」

「もー。とぼけちゃってー」


 見るからに楽しげな江藤に、俺は嘆息たんそくらし、言う。


「お前の差し金だろ?」

「はて、何の事やら」


 あの状況で、岡崎が俺をカラオケに誘った事もそうだが、そもそも、そこに至った流れが不自然だった。


 江藤は何から何まで演技臭かったし、岡崎は岡崎で淡々とし過ぎていた。普段の岡崎なら、江藤が突然いなくなれば、少なからず動揺を見せるはずだ。なのに、あの時の岡崎には、それが全くと言っていいほど見受けられなかった。つまり、岡崎は江藤がいなくなる事を知っていたのだ。


「で、どうだった?」

「……どうもこうも。あの後、カラオケに行って――」

「うん。それでそれで」


 体を前にかたむけ、江藤は完全に前のめりモードだった。


 その様子に、俺は逆に引く。


「そこで解散」

「は? マジ?」

「マジ」


 もちろん、俺としては、岡崎を家まで送っていくつもりだったが、やんわりと断られてしまったので、早々にそれは断念した。


「カラオケでは、いい感じにならなかったの?」

「なるか」

「えー。狭い室内に、若い男女が二人きりだよ。普通、何か起こるでしょ?」


 やはり、初めからそれが狙いか。


「ねーよ。というか、それどころじゃなかったし」

「あー。由愛ゆめの歌声にビビっちゃったか」

「……」


 ビビったというのとは少し違うが、衝撃を受けたのは事実だ。そして、あれ以来、俺の岡崎を見る目が変わったのもまた事実だった。


「ま、確かに、アレにビビるなっていう方が、無茶な話よね。現に、私も初めて聞いた時は、ビビったもん。そのくせ、人に聞かせるのは恥ずかしいとか言って、本当に気の置けない相手としか行かないのよねー」

「え? そうなの?」


 あんなに歌が上手うまいのに、恥ずかしいだなんて……。いや、それより、今の江藤の話……。まさかな。深読みのし過ぎだよな。過ぎた自意識は気持ち悪いだけ。自重、自重、と。


「何の話?」

「うぉ!」


 気が付くと、いつの間にか、岡崎がすぐ側に立っていた。


 思考に夢中で、全然気付かなかった。


「んー。こう意気地いくじなしって話」

「おい」

「?」


 江藤の言葉に、不思議そうな表情を浮かべる岡崎。


 まぁ、こちらとしては、その方が助かるが。


城島きじま君、一昨日はありがとね」


 岡崎が椅子いすに腰を下ろしながら、俺の方に体を向ける。


「そんな、俺も楽しかったし……また誘ってくれたらうれしいな」


 それは社交辞令ではなく、俺の心からの本音だった。


「え? 誘っていいの?」

「? いけない理由があるのか? ま、俺の勝手な希望だから、無理にとは言わないけどさ」


 希望……というより、願望か。誘ってくれたら、俺が嬉しい――という。


「ううん。誘う。また誘うよ、絶対」

「うん。楽しみにしてる」


 そして、どちらともなく、俺達は微笑ほほえみ合う。瞬間、周りにいたはずのクラスメイト達の存在は俺の中から消え、目の前には岡崎しかいなくなった。


「アンタらさ、ここが教室だって忘れてない?」


 江藤の指摘に我に返り、辺りを見渡せば、たくさんの視線がこちらに集まっていた。


 その視線は、どちらかと言えば、好意的なものが多く、それはまるで、幼い子供を見守る大人のそれのようだった。


「孝。アンタ、責任取りなさいよ」

「何のだよ!」

「分かってるくせに」


 眼前には、ほおを染めてうつむく岡崎。周りには、無数のギャラリーが。


「……」


 ノーコメント。それが、俺に出来る唯一の、この場の乗り切りほうだった。




 放課後。いつものように生徒会室に向かう。


 二度のノックの後、中からの返事を待ち、扉を開ける。

 中には岸本きしもと先輩の姿しかなく、他の二人の姿は見当たらなかった。


「こんにちは」

「やぁ、城島君」


 俺の方を見て、岸本先輩が片手をげる。しかし、その視線はすぐに、手元の書類へと戻された。


「お一人ですか?」


 椅子に腰を下ろしながら、そう尋ねる。


「ああ。静香しずかは職員室に、志緒しおはふらっとどこかに行ってしまったよ。静香の方はそのうち戻ってくると思うけど、志緒はどうかな?」


 書類に視線を落としたまま、岸本先輩が俺の問いに答える。


「そうですか」


 さり気なく、横目で岸本先輩の様子をうかがう。


 何も言ってこない所を見るに、今の所、俺のすべき仕事はないようだ。


「休日はどうしてた?」


 唐突に、岸本先輩がそんな質問を俺に振ってくる。相変わらず、視線は書類に落とされたままだ。


「日曜は、家でダラダラとしてて、土曜は、友達と会ってました」

「そうか……」


 ん? 何だろう? 何だか、岸本先輩の態度に、含みのようなものを感じる。


「いや、なぁに。城島君ぐらいい男になると、休日は可愛い女の子と過ごしてるんじゃないかなと思ってな」

「ヤダな。そんなわけないじゃないですか」


 自分でもよく分からないが、なかば反射的に、岸本先輩の言葉を否定してしまう。


味深みみで、君が女の子二人と、仲良くお茶をしてたという情報が、私の元に届いたんだが」

「……」


 考えてみれば、本人に教えてもらった店に行っておいて、シラを切り通せるはずがなかった。


「仲良くしてたかは分かりませんが、行ったのは事実です」

「君は、その、よく女の子と出掛けたりしてるのか?」

「まぁ、たまに……」


 この前も、岡崎とショッピングモールに行ったばかりだし、出掛けてないとはさすがに言えなかった。


「なるほど。ところで、城島君。君には、付き合ってる人なんかはいたりするのかな?」

「……なんですか? 急に」

「ただの世間話だ。気軽に答えてくれ。で、実際の所、どうなんだ?」

「いませんよ。残念ながら」


 過去、いた試しもない。


「そうか。ちなみに、気になる女性なんかは……?」

「います。一応」


 頭に浮かんだ顔は、決して一人ではないが。


「じゃあ――」


 何か言い掛けた岸本先輩の言葉を、ノックの音がさえぎる。


「どうやら、時間切れのようだ。どうぞ」


 ドアを開け、顔をのぞかせたのは姫城ひめしろ先輩だった。


「こんにちは、城島君」

「こんにちは。職員室に行ってたんですよね?」

「えぇ。任命式の件でね」

「任命式?」


「なんで、疑問系なんだ? 君も、主役の一人だぞ」


 そう言って、岸本先輩が、俺にあきれた視線を向ける。


「いえ、そう言えば、まだやってなかったなと思いまして」


 もう生徒会の仕事をやり始めて大分つので、すでにやったような気になっていた。


「まぁ、今回は、早めに候補者が出て、早めに決まったからな。君がそう思うのも無理もない」

「いつもは、もっと遅いんですか?」

「大体、ゴールデンウィーク前に決まる事が多いですね。逆に、そこまでに決まらないと、焦り始めるので、早いに越した事はないんですが」


 自分の席に腰を下ろした姫城先輩が、まゆをハの字にして俺の質問に答える。


「あー。そう言えば、味深で一緒だった二人は、どちらも城島君の彼女ではないらしい」


 突然、何の脈絡もなく、岸本先輩が大き目の声で、そんな事を口にする。


「なっ!?」

「へ?」


 その事に、俺ばかりか姫城先輩までもが、驚きの声を挙げる。


「なんで、今そんな話するんですか?」

「いや、静香が気にしてるようだったから、誤解は早めに取っておいた方がいいと思ってな」

「ちょっと、由佳里ゆかり!?」


 突如、矛先が自分に向き、姫城先輩が慌てた声を出す。


「いいじゃないか。うそは言ってないんだから」

「良くない!」

「まぁまぁ。あんまり怒ると、城島君がびっくりするぞ」

「うっ……」


 指摘されてようやく、自分がヒートアップしている事に気付いたらしく、押し黙る姫城先輩。


「よし」


 そう言うと、岸本先輩は勢いよく立ち上がった。


「いらない事を言ったおびに、二人に何か飲み物を買ってきてあげよう」

「……ミルクティー」


 あ、普通に答えるんだ。とりあえず、一言ぐらい、文句等を言うもんだとばかり思って見ていたのだが……。


「城島君は?」

「じゃあ、俺も同じので」


 ここで断る方が、逆に失礼だと思い、岸本先輩のご厚意に甘える事にする。


「了解」


 岸本先輩が生徒会室を後にし、室内には俺と姫城先輩の二人が残された。


「すみません。取り乱しまして……」


 恥ずかしそうに、体を縮こませる姫城先輩。


「姫城先輩でも、あんなに熱くなる事があるんですね」


 気にしてない事を表すために、あえて、少しからかうような口調でそう言う。


「由佳里が相手だと、どうしてもタガが外れると言いますか……」


 気心の知れた間柄だからこそ、ああいって掛け合いになるのだろう。


「正直、羨ましいです。俺には、幼馴染おさななじみとか、そういったのはいないんで」

「確かに、由佳里がいてくれるから、私は、今の私でいられるんだと思います。だから、なんだかんだ言っても、由佳里にはいつも感謝してるんです」


 照れ笑いを浮かべながらそう言う、姫城先輩の顔は本当に嬉しそうで、なんだか、見ているこちらまでも温かい気持ちになるのだった。

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