ハーティさんとメリーの客01
私の名前はハーティス・イアハート。婚約者はおばあさまが定めた、ケニー・ディレットと言う。
ケニーの見た目は、まあかっこいい方だと思うわ。燃えるような赤い髪を肩甲骨辺りまで伸ばして、気障ったらしくしている。切れ長の青い目も女たらしそのもので、人気がある。整った鼻筋に、形の良い唇、高い身長と骨格の良さと揃えば、ワイルドタイプの貴公子として持て囃されること請け合いでしょう?
あの男もあの男で調子に乗っているから、そんな黄色い悲鳴にも律儀にかっこつける。婚約者である私の前では、そんなこと一切しないのによ? おかしいと思わない?
そんなケニーが、私の家出の後に、私の家に呼ばれた。ものすごく不本意そうな不貞腐れた顔で、椅子にふんぞり返っている。
あああっ! もう! やっぱりこの男、嫌よ!! 離縁よ、離縁! 絶縁よ、国交断絶よ!!
こんな誠意の欠片もない男、こっちから願い下げよ! おばあさま、この男の何処がいいと言うの!?
「……お前、よくも騒ぎを起こしてくれたな」
「婚約者がいながら、遊び歩いているあなたがいけないんじゃないかしら」
「何だと!?」
腕組みしていた手を離して、テーブルへ勢い良く叩きつけられる。ばん! 派手な音に内心心臓が竦み上がった。けれどもこんな男の前で、気弱な仕草を見せるわけにはいかない! 絶対にこの男に土下座させる! ごめんなさいって言わせる!!
「ケニー? 今日は何をしに来たのかしら」
「……くっ」
あの男の隣に座る彼の母親が、冴え冴えとした美しい笑みを浮かべた。口篭ったケニーが浮かした腰を椅子へ戻し、不愉快そうに腕を組む。やれやれ、彼の母親がため息をついた。
「ごめんなさいね、ハーティちゃん。この子にもよくよく言い聞かせたのだけれども、……はあ、全く頑固なんだから」
「母上ッ」
「お前のしたことは、家名に泥を塗ることだと、お父様も言っていたでしょう」
「……ッ」
窘められるように言われ、ケニーの顔が益々険を帯びる。プライドが天まで届きそうなこの男のことだ。よっぽどこっぴどく叱られ、反骨精神が刺激されたのだろう。
でも、だからって! そんな嫌々と、憎々しいとばかりに顔を顰められても、私はちっとも嬉しくないわ!
「ちっ、……悪かったな」
「お母様! 離縁、離縁よ!! この男の顔なんて、二度と見たくない! 絶縁よ! もう、嫌ッ!!」
「ハーティ、落ち着きなさい」
椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、あの男を指差して隣のお母様に苦情を並び立てる。お母様は困ったようなお顔で私を見上げていて、「座りなさい」静かな声で諭した。その仕草が余計に癪に障って、きいっ、心が叫ぶ。
こんな男、あの女と遊び呆けて、勘当されちゃえばいいのよ!! そんなこともわかってないもの、本当に馬鹿!!
「あなたのことなんて、心配するんじゃなかった! もう知らないわ!!」
「ハーティ! 何処へ行くの!?」
「メリーのところ!!」
力いっぱい扉を閉め、滲む視界を乱雑に袖で拭う。心の中でたくさん悪態をついた。
だって、土下座だって、嫡子のあの人が婚約って約束を守らないから、だからお家への誠意として、形式だけでも取り繕ってほしかったのに! もしも廃嫡されちゃったら、あんな世間知らず、生きていけないのに! 全然わかってない!
自由恋愛を求めるなら、ちゃんとご両親を説得して、私との婚約を破棄してからにしてほしかった!
込み上げてくる涙を何度も拭って、足音荒く廊下を突き進む。今すぐメリーに話を聞いてもらって、間の抜けた相槌を打ってほしかった。
メリーのお店……と称するには、お客さんなんて見ないのだけれど……は少しばかり辺鄙なところにあって、よく見ないとわからない。立地が悪いのだと思う。もっと目立つところにお店を構えれば……いや、あの古書まみれのお店に近付くのは、よっぽどの本好きか、メリーと感性の合う人くらいね……。
移動中に涙も引っ込み、無言でずんずん突き進む。お店の扉を引いたところで、中から声が聞こえた。
「――めさま、聞いていますか!?」
「聞いてますよぉ、カイン。そんなに目くじらを立てないでください」
(――ひめさま?)
はてと首を傾げ、中を覗き込む。いつでも薄暗い室内は、営業向きとは言えない。ひしめき合う本棚が余計に光を遮り、その先の窓辺のカウンターに、見慣れない男の人の姿を見つけた。
(め、メリーの店に、お客さん!?)
ひえっ、口許に手を当て、驚愕に震える。これまで何度となく通い詰めたけれど、一度だって他の人と遭遇したことがなかった。それが、何と! 若い男の人がいるだなんて!
「カイン? どうかしましたか?」
「……いえ、お客さまのようですよ」
「……? あ! ハーティさん!」
こちらに気付いたメリーが、ぱっと笑顔になる。晴れ晴れしいほど嬉しそうな様子に、胸のもやもやがゆっくりと解けた。
本棚の隙間を縫って、カウンターまで辿り着く。にこにこと微笑むメリーは……あんなにぴかぴかにしたのに、またいつものずぼらスタイルに戻っていた。あなた、本当、元は良いんだから、もっと身の周りに手をかけなさいよ……。
「ハーティさん、先日はご馳走ありがとうございました。とってもおいしかったです!」
「いいのよ。あなたにはたくさん迷惑をかけたもの。料理長も喜ぶわ」
「わたしも楽しかったので、このくらいお安いご用ですよ~」
「ごほんっ」
男の人のわざとらしいまでの咳払いに、メリーが情けない声を上げて肩を竦める。ふたりの関係性がわからず、まじまじと男性を見上げた。
背の高い人だった。黒髪に黒目の、真面目そうな青年だ。メリーよりいくらか年上のようにも見えるけれど、そもそも私はメリーの年齢を知らない。メリーより頭ひとつ分は背が高いので、必然的に私との身長差もそのくらいになる。
「メリー、この方は?」
「カインといいます。わたしの昔馴染みです」
「へえ……」
メリーに昔とか、あったのね。
「はじめまして、カインです」
「……ハーティよ。よろしくね」
ぴんと伸ばされた背筋が折られ、礼儀正しさを感じる。余り貴族として振舞うと、メリーに迷惑がかかるかも知れない。愛称だけを伝え、右手を差し出す。カインは目許を緩めて握手してくれた。温和な態度にほっとする。
「ねえ、さっき『ひめさま』って聞こえたのだけど、それ、メリーのこと?」
「え?」
きょとん、メリーとカインが瞬く。ふたりが顔を見合わせた。メリーが笑い出し、カインが顔を真っ赤にさせる。その首が必死に横へ振られた。
「ち、ち、違います!! そのような意味ではなくて……!」
「あはは! カイン、素敵な敬称をありがとうございますっ。ふふ、今度からそう呼んでもいいですよ?」
「や、やめてください、メリーさん! からかわないでください!!」
「え? ええ?」
ふたりの様子にぽかんとし、きょときょと様子を見守る。カインが自分の顔を手で扇いで冷まし、笑いを治めたメリーが、深く息をついた。
「本の感想を話し合っていたんです。カインはこう見えて読書家で、ちょくちょく熱が入るんです」
「ちょ、メリーさん……!」
にこにこと微笑むメリーの説明に、カインが頬を赤くする。実直そうな青年の意外な一面に、へえ、相槌を打った。
「私はてっきり、メリーが某国のお姫様で、カインがそれを守っているのだと思ったわ」
「ごほっ」
「あははっ! そのお話、素敵ですね! ですけど、わたしに主役は向いていませんよ」
「そうかしら?」
「はい。わたしは生来、ずぼらののんびり屋なので」
「まあ……確かにあなた、ずぼらよね……」
くしゃくしゃのままひとつに括られたメリーの髪を見詰め、ため息をつく。多分これは、櫛すら通していないわね。本当、ちょっと目を離すとすぐこれなんだから……。
「そうだ! ハーティさん、お茶淹れますね。カインも座ってください」
「あっ、い、いえ! 私は……!」
「クッキーをもらったんです。真ん中にジャムが乗っけてあって、可愛いんですよー」
「ありがとう、メリー。おいしそうじゃない」
いつもの椅子に座り、にこにこ笑うメリーを見送る。……クッキーと昆布茶ね……。昆布茶も悪いやつじゃないのは知ってるけど、焼き菓子と合わせるときは紅茶の方が望ましいわ……。
所在なさそうにそわそわするカインを、横目で見遣る。座りもせずに落ち着きのない姿に、さてはと私の第六感が閃いた。
「カイン、あなた、もしかしてメリーのことが好きなの?」
「なッ!?」
音を立てそうなほど俊敏に、カインの顔がこちらへ向けられる。先ほど以上に真っ赤に染まった顔と、動揺に揺れる黒い瞳。ふふん、ビンゴね。恋する乙女を侮らないでちょうだい!
「メリーも隅に置けないわね~」
「ち、違います! 僕は彼女とはッ、」
「あら? あなた、メリーの前とは一人称が違うのね?」
「ッ!! ……癖です」
ぐったりと頭を抱えたカインが、重たいため息をつく。どんよりと落ち込んだ顔で、彼がこちらを見下ろした。
「さっきのこと、彼女には言わないでください」
「さっき? メリーのことが好きってこと?」
「い、言わないでください……! ひた隠しにして長いので!」
「……あなた、そんなにわかりやすいのに、……メリーも大概ね」
真っ赤な顔を両手で覆った照れ屋な青年に、彼の恋を応援しようと心に誓った。
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