メリーさんしか知らないこと01
わたしの名前は、メルクリス・アカリ・アストロニカ。『きみとワルツを2』に出てくるモブキャラだ。
一作目のヒロインのデフォルト名は『アカリ』という。
そう、わたしの母親の名前だ。この国の王族は、ミドルネームに母親の名前を持ってくることを慣わしとしている。
続編である今作は、ヒロインが王子と結ばれた先の世界線を舞台にしている。つまりわたしは、一作目を遊んだ人へのご褒美、遊び心で用意されたキャラクターなんだ。
私たち『ヒロイン』の子どもは、全部で三人いる。どれも王子とヒロインの面影を、絶妙に足した面立ちをしていた。
その中で弟が攻略対象として抜擢され、兄が隠しキャラとして用意された。わたしの役は大したことない。ほとんど背景だ。台詞だって何があったか、覚えていない。
わたしが思い出したものは、そういう設定だ。前世がどうとか、そういうものは知らない。
ただこの世界が『誰か』の予定調和の上に成り立つ世界なのだと、その仕組みに気付いた瞬間に、わたしは生きる気力を失った。
わたしの思考も行動も自分のものなのに、誰かの都合に合わせて捻じ曲げられているのかも知れない。ある日いきなりわけのわからない女の子がやってきて、兄と弟をそそのかすのかも知れない。自分の思考だと信じて取った行動が、誰かの手のひらの上で踊らされたものかも知れない。
考えれば考えるほどに深みにはまり、わたしは全てを投げ出した。
何もかもが恐ろしかった。兄の優しさも、弟の生意気さも、全てがそういう演技に見えた。舞台の袖が何処にあるのかわからなかった。わたしの現実は空想のように覚束なかった。
母がわたしを不気味に思っていたことも一因だろう。彼女しか知るはずのない情報を、朧気ながら、わたしは幼い頃から無邪気に口にしていた。
不思議な夢の景色だと思っていた。見たことのないはずの大きな水たまりや、鉄の乗り物。クレヨンで描いたそれら。
母は元々『じょしこうせい』という職業についていたらしい。幼いわたしの落書きを見た彼女は、表情を強張らせてわたしを避けるようになった。
*
「さあ、カイン! 魔窟へ乗り込むとしましょうか!」
「姫様、仮にもご実家です」
おじいさまへの決意表明も終え、腰に手を当て意気込む。後ろに控えたカインが何かを言っているが、果たしてわたしはその実家に、何年振りに帰ってきたのだろうか?
目的地を目指して、廊下を進む。相変わらず調度品も絵画も高価そうで、ちょっとばかり辟易した。
「メルクリス!? 何故ここに……ッ、どうしたんだ、その格好は!?」
「お久しぶりです、お兄様! また一段とかっこよくなられましたね!」
偶然遭遇した美青年が、驚愕の声を上げる。ちなみにわたしは、いつもと変わらない庶民スタイルでいるだけだ。さっきから擦れ違う人たちに三度見くらいされていたのは、きっとそのせいだろう。
お兄様は、父譲りの金髪と、母譲りの榛色の目を持ち合わせている。カラーリングはわたしと同じだ。
慌てたように上着を脱いだ彼が、そのままの速度でそれをわたしの肩にかける。がしり! 更にその上から両肩を掴まれた。
「追い剥ぎか!? 追い剥ぎにでも遭ったのか!?」
「ユリウス様、これが姫様のデフォルトです」
「しぃー! カイン、しぃーです!!」
しれっと秘匿事項を公表したカインに、慌てて唇の前に人差し指を立てる。しかし甲斐なく、生真面目なお兄様に肩を揺すられた。
「メルクリス!? 私が贈ったドレスは何処へやったんだ!?」
「ほらぁ……ややこしいことに……」
「答えなさい!」
「ううっ、クローゼットの肥やしに……」
「メルクリスッ!!」
脳髄に響いた怒声に、そういえばお兄様のお説教はこわかったのだと記憶を掘り起こす。
ええっと、お兄様の対処方法は、泣き真似だったかな?
……今の年齢で通用するだろうか? 挑戦するには羞恥心を捨てなければならない。やめておこう。わたしは自尊心が大切だ。
「その、……おじいさまのところから、歩いてきたので、……身軽な格好をと」
「離宮からか!? 馬は!?」
「ええー、だってすぐそこですよ?」
「……メルクリス。頼むから、自分が高貴な生まれなのだという自覚を持ってくれ。お前に何かあれば、無用な争いが生まれる」
お兄様に抱き寄せられ、申し訳ない心地に陥る。わたしの頭に頬を寄せた彼が、深く息をついた。
「私はお前が心配だ。これまでに何か、困ったことはなかったか?」
「お兄様は心配性ですね。わたしはこの通り、元気にのびのびとしていますよ」
「お前は昔から、呼吸のままに嘘をつく」
「こんな魔窟で育てば、嘘つきなんて標準装備になりますよ~」
「メリー」
真摯な声音で訴えかけられ、諦めて肩を落とす。以前までのわたしなら、お兄様のこの優しささえも、攻略対象としてのステータスなのだと考えていただろう。
疑心暗鬼に陥っていた。彼等の行動のひとつひとつが、無意識に予定調和を生むのだと思っていた。弄ばれるための舞台装置に成り下がるのだと怯えていた。わたしの個としての意識など、無為にされるのだと拒絶していた。
「ごめんなさい、お兄様。わたし、もうちょっと素直になります」
「そうしてくれ」
顔を上げたお兄様が、安堵を滲ませた微笑を浮かべた。
攻略対象を彷彿させるから、美醜の価値観には触れないようにしていた。けれども改めて、お兄様は綺麗な人なのだと実感した。
……わたしの普段の褒め言葉は、所謂処世術だ。軽薄な顔でにこにこと褒められれば、わたしは軽んじられる存在になる。懐へ潜り込むには丁度いい。
お兄様が目許を緩めた。わたしの髪が梳かれる。
「時間を取ったな。お前のドレスを用意させよう」
「え。いりませんけど?」
「……メリー、今日は何の用事でここまで来たんだ?」
「……お父様とお話に」
「場所と様式に合った服装は、大切だと思わないか?」
生真面目なお兄様が、にっこりと微笑む。威圧感のあるそれに、内心震えながら従った。
いやあ、美人の凄む顔は迫力が違いますねー!
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