カインさんと舞台裏02

 サントルレクタンのことを余り好きではないと言った。あれは嘘だ。果てしなく嫌いな街になった。


「まだ上品な街である点が救いですね。これ以上野蛮な地区へは行かれないでください。僕の心臓が持ちません」

「カインが如何に本気で嫌がっているのかがわかりました。今後気をつけます」


 姫様がひくりと頬を引き攣らせている。僕の目は据わっていることだろう。


 今日一日で凄まじく疲れた。何度牽制に走ったか知れない。僕も護衛のプロだ。護衛対象に悟られずに、心地好くお過ごしいただけるためにも、秘密裏に行動しなければならない。頑張った。

 けれども本当に疲れた……。汚らわしい手で姫様に触れようなどと思わないでくれ……。30回くらい前世をやり直してくれ……。


「ゲオルク様への報告書には、きっちりと書かせていただきますので」

「うっ。もう少しマイルドにお願い出来ませんか?」

「無理です」


 情けないお顔をされる姫様から、つんと顔を背ける。

 ゲオルク様への報告書は、一日一通送っている。事態が急変する可能性もあるため、日と場所、天候や事象について、事実のみを簡潔に綴っていた。


「……? 姫様、今日はいつもと香りが違いますね」


 椅子におかけになった彼女から、いつもとは異なる甘い香りが漂っている。首を傾げる僕に、不思議そうな顔をした彼女が、ああ、と瞬いた。

 徐に手櫛が金の御髪を通る。ふわり、花とも果実とも知れぬにおいが広がった。


「ハーティさんに髪を整えてもらったんですよ。今日の戦利品です」

「……左様ですか」

「カインも触ってみますか? さらさらで、滑らかで、自分の髪ではないように感じるんですよー」


 いつもくしゃくしゃに纏めている髪を下ろし、にこにこと微笑む姫様が「さすがはハーティさんです!」同行者を褒めちぎる。

 知らず、喉が鳴った。ぎこちなく視線を彼女から逸らせ、何度も言葉を組み立てては崩し、言い淀む口を働かせる。


「……姫様。男の私室であることを、お忘れなく」

「カイン、やっぱりあなた、むっつりなんですね……」

「怒りますよ?」


 へらり、姫様が笑う。

 この残り香の中、へとへとな身体を休ませなければならない僕への労わりとか、そういうものは、ゼロですか? そうですか。ふうん。





 僕が本気で嫌がったことを考慮してか、姫様の観光案内が自然的なものへと変わった。

 ニーヴェオの森は静かで、木漏れ日が零れる景色は心地好い。監視対象と警戒の範囲が固定されているため、街中の護衛に比べて良心的な点も好ましい。



「――と、直前までの僕は思っていました!!」

「ほらほら、カイン。ブローチ探してください。金色ですよ」

「姫様ッ! お手が汚れ……ああっ、お召し物まで……!」


 声量に注意しながら小言を飛ばすが、姫様はハーティ嬢のブローチ探しにお忙しい。汚れる白い指先に胸が痛くなったが、ブローチを見つけるまで彼女は探し続けるだろう。融通の利かない頑固者でなければ、そもそも隠居生活なんてしていない。


「……ブローチの特徴は、覚えていらっしゃいますか?」

「確かー、金色で、お花の形……ヒマワリのような形でした。真ん中がキラキラしていたような?」


 結構朧気ですね。

 辺りを見回し、物陰に潜みながら地面を注視する。裏返しになった人工物を見つけた。


「……あ。姫様、こちらですか?」

「それです! さすがはカイン、探しものの名人ですね!!」


 拾い上げたそれを表へ返し、ぺんぺん汚れを払い落とす。姫様の朧気な説明と合致したブローチを掲げると、屈んだ体勢の僕の頭に、彼女の腕が回った。

 一瞬の抱擁が解かれ、滑り落ちそうな手の中から、ブローチが取り除かれる。元気な笑顔の姫様の頭には、残念なくらい葉っぱが引っ付いていた。山道を駆け上る彼女を見送ることも出来ず、呆然とする。


「ハーティさあん!! ありましたよー!!」

「ぴぎゃああああ!!!!!」

「は、ハーティさん!?」


「……あうぅ」


 頭を抱えて蹲った。





「食いしん坊な姫様に朗報です。夜行列車エトワール号は、お魚ステーキなるものが人気だそうです」

「カイン、段々わたしに対して、辛辣になってきていませんか?」

「元からです」


 苦笑を浮かべる姫様から、つんと顔を背ける。

 姫様等がご旅行へ出られて、今日でもう七日目になる。このまま東端のエルンテまで向かい、真っ直ぐ折り返したとしても、王都を離れられて十日となるだろう。

 報告書は絶えず送っているが、ゲオルク様からのお返事は当然届かない。胸に溜まった重たいものを、ため息として吐き出した。


「姫様、お覚悟ください」

「うえぇ……」

「そのようなお顔をなさらず。ゲオルク様も心痛の極みにいらっしゃいます」

「このまま高飛びしては、いけませんか?」

「姫様」


 唇を尖らせた姫様が、拗ねたお顔をされる。

 盛大な音を立てて吐き出された水蒸気に、はたと顔を上げた。


「戻りましょう、姫様。もう間もなく出発です」

「センチメンタルな気分です……」

「旅の終わりとは、そういうものですよ」

「ううう……」





 王都へ戻られた姫様へ、ゲオルク様より下された処分は、監視の強化だった。

 これまでは家の外に配置していた護衛を、家の中で監視、警護することになる。当然姫様はげんなりされた顔をしていたが、ゲオルク様の保護下にいる以上、逆らうことも出来ない。

 幸いというべきか、僕にとっての幸いなのだが、護衛は僕ひとりだけという点に変更はない。ゲオルク様からの温情だろう。このことには姫様も反論はないのか、大人しくされていた。

 突然失踪した第一王女への罰則としては、相当軽いものだろう。途中、無理矢理連れ戻す術だってあったはずだ。相変わらずゲオルク様は、孫娘に甘くいらっしゃる。



「はあぁ。これからは、毎日カインの顔を見なければならないのですね……」

「不服そうに言わないでください。私に失礼です。大体、これだけのお咎めで済んだことに対して感謝の念を持って、」

「ああっ、カインのお説教、聞きたくないですー!」


 本棚のひしめく古書店へ戻り、ぐったりとカウンターへ倒れ込まれた姫様が両手で耳を塞ぐ。


「お説教くらい何ですか! 良い機会です。これまでの積もりに積もった小言を発散させていただきます!」

「いーやーでーすー! わたしだって長旅でへとへとなんです。今日はもうゆっくりしましょう? おじいさまのお説教でおなかいっぱいです!」

「姫様は食いしん坊なので、デザートくらい余裕で入ります! まず、お困りになられたら、真っ先に私へ連絡するというお約束があったでしょう!?」

「こんなにおいしくないデザート、いりません! カインのお説教は、長いからきらいですぅ……」

「すききらいの問題ではありません! 大体、お説教を好まれたら私が困ります!!」

「あうぅっ」


 両手で耳を塞いだ姫様が、うろうろと逃げ惑うように辺りをさ迷う。全く反省されていらっしゃらないお姿に、さすがに僕の声量も上がった。


「姫様ッ、姫様! 聞いていますか!?」

「聞いてますよぉ、カイン。そんなに目くじらを立てないでください」


 鬱陶しげな姫様の向こう、建物の前に人の気配を感じる。はたと我に返り、自身の失言に苦渋を噛んだ。

 見知った少女の気配へ顔を向け、姫様へ目配せする。僕からの追撃がないことに瞬いた彼女が、不思議そうな顔をした。


 現れたハーティ嬢へ、姫様がいとも容易くぺろっと嘘をつくので、彼女の腹芸に戦慄を覚える。さすがは魔窟と呼ばれる王城でお過ごしになられた猛者だ。

 そしてハーティ嬢もハーティ嬢で、第六感の閃きが天啓レベルで戦慄した。訂正を述べるならば、姫様は某国の姫ではなく、本国の姫です。


そして、あぁの、……僕は、そんなにわかりやすいのでしょうか……?

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