カインさんと舞台裏01

 私がお仕えしている主は、メルクリス・アカリ・アストロニカ様だ。先王であるゲオルク様より護衛騎士の任を授かり、こうしてお傍を任されている。


 姫様は第一王女とのお立場にあらせられるが、早々に王位継承権を手放された。

「椅子取りゲームに興味はありません。どうぞご存意に」王城を去る際にその一言だけを残し、彼女はおじいさまであるゲオルク様がご用意された空き家で、ひっそりと隠居生活を始めてしまった。

 当時齢15である。人生に見切りをつけるのが、早過ぎる。


 例え隠居生活をされようとも、王位に興味を示さなくとも、姫様は王族のお方だ。そのような貴いお方を、仕えの者もつけずにおひとりにするなど、当然出来るはずもない。

 何度となく繰り返した説得の末、「姿を見せない程度に監視してください。決してわたしのライフワークには関与しないでくださいね」との許可が下りた。もう少し言葉を選んでください、姫様!!


 それからは姫様の自堕落な生活が始まり、何度私の頭と胃と心臓が悲鳴を上げたことか! ゲオルク様への報告書を綴る手を震わせたことか!

 窓をお開けになっておやすみになられた日には、さすがに苦言を呈しに伺った。姫様は寝惚けたままのはしたない格好で、何度心を殺したことか!

「だって、暑いんですもん」ではありません。もっと危機管理能力を養ってください!!



 そんな姫様の自堕落ライフに転機を与えたのが、ハーティという名の少女である。

 調査をすれば、彼女の名がハーティス・イアハートなのだということがわかった。伯爵家の一人娘で、勝気で好戦的な性格。婚約者であるケニー・ディレットとは折り合いが悪く、仲たがいをしている。

 ……ふむ。そのようなご令嬢が、姫様に何用だろうか?


 驚いたことは、唐突に発揮された姫様の猫被りだろう。ご自身の興味のないことに対して、とことん無関心を貫く彼女は、時に冷酷だ。

 それがにこにこ笑顔で、お花畑全開に、声音をうきうきと弾ませながらかわいこぶっている。病気を疑った。

 ハーティ嬢もハーティ嬢で姫様の世話を焼くため、益々姫様がごろごろ懐いていく。本と知識欲以外に興味が向くとこうなるものかと、想定外の光景に戦慄した。



 ハーティ嬢には感謝している。

 姫様に人らしい表情を与え、人情を養い、生身の人間とのふれあいと、思いやりの心を授けてくれた彼女は、正に私にとっての救世主だ。

 だが、しかし、しかしだ。あの家出の件は、絶対に許しませんからね?





 何気ない旅行客を装って、列車へ乗り込む。こういうとき、自分の凡庸な見た目は埋没しやすく便利だ。

 姫様とハーティ嬢からほどなく離れた位置につく。――一瞬、姫様の榛色の目がこちらを向いた。即座に逸らされたそれは笑顔で同行者へ向けられ、手を取りボックス席へと急いでいる。

 斜交いの席に場所を取り、うるさく鳴る心臓に息をついた。


 隠密は得意分野だ。なのにだ。まさか気付かれるとは思ってもみなかった。

 突発的な警護になってしまった上、配置も私ひとりしかいない。心許ない護衛ではあるが、それでも主人には察知されることなく、心地好く旅行を楽しんでもらいたいと思っていた。

 ……あの方は兄王子方とは異なり、視察へ行くことが出来ない。王都から一歩も出たことのない彼女が外の世界へ憧れていることを、長い護衛生活の中から察していた。


 真面目な事情と動揺は横へ。

 ハーティ嬢!! 姫様を着飾り過ぎです!! ずぼらなお姿に慣れ切ってしまったせいで、久方振りに直面した姫様の貴いお姿に処理が追いつきません!!

 どうするんですか!? 明らかに周囲の視線が姫様へ釘付けになっていましたよ!? ハーティ嬢、あなたも麗しいレディなんです! 何でわざわざ護衛任務の難易度を上げるんですか!? もっと光度を落としてください! 私の胸が苦しいッ!!


 両手で顔を覆って声なき悲鳴に耐えていると、こつ、ノックの音が響いた。慌てて振り返れば扉の前に姫様がおり、直前の思考と目の前の美しいお姿と現状に、すっと青褪める。急ぎ扉をスライドさせ、姫様を中へお招きした。


「すみません、カイン。面倒をかけます」

「いえ、滅相もございません! それより姫様、どちらまでお出掛けですか?」

「エルンテです」

「はい?」

「東端の町、エルンテです」


 頭痛がした。たたん、たたん、と車体が揺れる中、壁に手をつき額を押さえる。困ったように微笑んだ姫様が、簡潔に事のあらましを教えてくださった。

 く、くうぅ、ハーティ嬢……! 気が済んだら、何処でも構わないので即座に王都へお戻りください! 東端って、東の端って書くんですよ……!!


「……左様ですか。くれぐれも、無茶はなさりませんように……」

「すみません、カイン。もうしばらく、わたしの我がままに付き合ってください」

「これが私の任務ですので、お気遣いなく」

「おじいさまには、わたしの方からもお手紙を差し上げます。では、わたしは戻りますね」


 柔らかく微笑んだ姫様が、腕を伸ばして私の頭をよしよし撫でる。呆然とする私を置いて姫様は元のボックス席へと戻られ、しばらく私はその場から動けなかった。





「姫様!! あんなに無邪気に買い食いなさらないでください! 毒でも仕込まれていたら、どうするおつもりですか!?」

「あうぅっ、そのときは自己責任ですよぅ」

「全責任は僕が負うことになっているんです!!」

「珍しいですね、カイン。わたしの前で『僕』というの」


 逢瀬と呼ぶには粗雑で、思い浮かぶ台詞は全て説教だ。

 マリンスクエアの宿で、私の取った部屋に姫様がいる。姫様のお手を煩わせるわけにはいかないので、彼女のお泊りになるお部屋は事前に私が手配した。勿論メリー名義でだ。


 にんまり、姫様の顔が意地悪く笑う。カッと頬に熱が昇り、即座に顔を背けた。

 腰に手を当て高圧的な体勢を取っていたが、こうなっては分が悪い。おやおや~? 笑う姫様が私の顔を覗き込もうとする。咄嗟に彼女の両肩を掴んだ。手が余る身体の薄さに、心臓が忙しない。


「とにかく、姫様もハーティ嬢も警戒心がなさすぎます! もっと自衛に務めてください!」

「カインがいるので、大丈夫だと思っています」

「ッ! このようなときだけ全幅の信頼を寄せるのは、おやめください。いつもは邪険になさるくせに!」

「あははっ、すみません、わたしの専属ストーカーさん」

「もっとマシな言い方をしてください!!」


 言うに事欠いて、ストーカー! こんなのあんまりだ!!

 くすくす笑っていた姫様が、楽しそうなお顔でこちらを見上げる。王城ではつまらなそうな表情ばかりだったので、こんなにも生き生きとしたお顔は滅多に見ない。


「明日はサントルレクタンを目指します」

「これはまた……人混みの激しい……」

「ハーティさんのすきそうな街なので。ちょっとでも元気付けになればと思っています」

「左様ですか……」


 サントルレクタンは人が多いし、店も多いし、歩き難くて私は余り好きではない。

 女性の好みそうな物品に溢れているが、生憎と贈る相手が長年いない。特に目の前の人物は、そういった美容関連にとことん無頓着だ。


「午前から移動する予定ですが……出発時刻はハーティさん次第ですね」

「姫様次第の間違いではありませんか?」

「ハーティさんが、わたしを起こせるかどうかにかかっていますので」

「紛うことなく姫様次第じゃないですか」


 呆れたとため息をつくと、素知らぬ仕草でそっぽを向かれた。……これは都合の悪いときにする、彼女の癖だ。


「……あと、姫様。あまり着飾り過ぎませんように」

「うーん。それこそハーティさん次第ですね。でもどうしてですか?」

「あっ、あまり、お綺麗になられますと、……目のやり場に、困ります……」

「……カイン、さてはあなた、むっつりですね?」

「頬っぺた引っ張りますよ? 姫様」

「もうひっぱっひぇまふぅ~!」

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