ハーティさんとケニーさんのお散歩03

 あたたかな湯気を上らせるティーカップが、目の前に置かれる。テーブルには、風情なく開かれたおつかいの品々が並んでいた。

 メリー、あなたこれ、蓋を開けただけじゃない。ほら、カインの笑顔が引き攣ってる。


「まずは日没までおつかいに出歩かせて、すみませんでした。おふたりがご無事で、本当に安心しました」

「大袈裟よ、メリー。それより、この状況を説明してちょうだい」


 ぺこりと頭を下げるメリーは、見慣れないほど綺麗に整えられているというのに、しょんぼりとした顔がいつものメリーだった。顔を上げた彼女が、ううん、と唸る。


「何からお話しましょうか?」

「姫様、自己紹介からしては如何でしょう」

「ああ、そうですね! 名案です、カイン!」


 提案を寄越したカインは、お皿にお菓子を盛り付けているところだった。見栄え良く並べられた琥珀糖がきらきらと照明の明かりを弾き、本物の宝石が乗っているかのように見えた。こうやって見ると、カインの所作は本当に整っている。

 ぱっと立ち上がったメリーが、優雅にドレスを摘む。彼女が腰を折った。


「では、改めて自己紹介を。わたしはメルクリス・アカリ・アストロニカと申します。お気軽にメリーとお呼びください」

「まさかまさかと思っていましたが、あなたが本当に第一王女様なのでしょうか……?」

「ああっ、敬語はやめてくださいー! これまで通り、普通に話していただければ結構です!」


 天井を見上げたケニーの言葉に、メリーが泣きそうな顔でドレスを下ろす。

 ……え? メリーが、第一王女様? あのメリーが王女様!? ええ!?


「何で王女様が古書店なんかやってるのよ!?」

「隠居してたんですー!!」

「隠居って、あなたいくつよ!?」

「じゅ、19です……!」

「人生に見切りをつけるのが、早過ぎるわ!!」


 いつもの情けない表情で、メリーが「うわああんっ、すみませんー!」叫ぶ。

 ほ、本当にメリーって王女様なの? もっと偉そうにしない? 私の先入観がいけないの?


「それじゃあ、カインは……?」

「カインはわたしの専属スト……護衛です!」

「今、ストーカーって言おうとしなかった?」

「気のせいですよ~、ハーティさんってばー! カイン、今日のお茶もおいしいですよ!」

「騙されませんからね、姫様」

「口が滑りました。すみませんッ」


 立ったままのメリーが、優雅な仕草で茶器を傾ける。しかしカインの冷たい声に、彼女は細い肩を更に狭めていた。

 ……メリー、その言葉は全く反省していないわ……。あと、お行儀も悪いわ……。


「ま、待って? メリーは王女様なんでしょう? 私、あなたに随分な態度を取っていたわ!」


 思い当たった事情に青褪める。ど、どうしましょう! お父様やお母様、家のみんなに迷惑はかけられないわ! どうか罰するなら、私ひとりだけにしてもらえないかしら……!?

 小刻みに震える私に気付かないのか、メリーがあっけらかんと笑う。


「大丈夫ですよ~! そもそもわたし、王位継承権はとっくの昔に手放しています。今日はふん年振りの里帰りなので、こんな格好をさせられているだけですよー。明日からはいつものずぼらなメリーに戻ります!」

「それでもあなたは王族なんでしょう? いいの!? カイン、メリーこんなだけど、本当に大丈夫なの!?」

「私の言葉が通じているなら、そもそも姫様はご隠居などなさっておりません」

「それもそうね!!」


 疲れたようなカインの顔に、何だかわけがわからなくなってくる。メリーはいつも通りにこにこ笑っているし、ケニーはケニーでカスドースを食べて、顔をしかめていた。

 あなた、ちょっとは話に加わりなさいよ。なに必死にお茶で流し込んでいるのよ。そんなに甘かったの? 肘でケニーの脇をつついた。


「そもそも、何故俺たちをここに呼んだんだ?」


 ケニーの敬語は、一度きりのレアなものだった。……いや、私に至っては使いすらしていないわね。

 メリーが両手をぽんと合わせる。ぱっと微笑んだ彼女が、シルク製の手袋に包まれた両手を広げた。


「そうでした! 本題です。わたしはおふたりに、お礼を言いたかったんです」

「何よ。改まって」


 とすりと私の前で膝をついたメリーに、ぎょっとする。彼女の揃えられた指先が、騎士の礼のように左胸に添えられた。金の睫毛が伏せられる。


「ハーティさん、ケニーさん。おふたりのおかげで、わたしはまた立ち上がる決意が出来ました。本当にありがとうございます」

「ちょ、ちょっと、メリー! 顔を上げて!」


 慌てて立ち上がったケニーまでもが床に膝をつき、困惑の顔をする。おろおろする私たちに構うことなく、メリーは言葉を続けた。


「自分の身分を明かしたこと、今日おふたりをこの場へお呼びしたことは、全てわたしの自己満足です。わたしの隠し事は、いつか破綻します。ならば打ち明けてしまった方が、わたしには都合がいい。これがわたしに出来る、唯一の誠実です」

「メリー! 誠実なら椅子に座ってでも出来るわ!」

「ハーティさん。わたしを助けてくれて、本当にありがとうございました。わたしは、少しは役に立てましたか?」

「何言ってるのよ……!」


 メリーが何を言っているのか、全くわからない。メリーにはわからないことだらけだ。年だって初めて知ったし、あんなに流行ってない古書店に何故いたのかも、わからなかった。

 会話だって噛み合わないことばっかりだ。なのに居心地が良くて、メリーはいつもにこにこしている。

 メリーはティーカップで昆布茶を出すし、整理整頓は出来ないし、間が抜けていて、ずぼらでだらしなくて、髪だっていつもくしゃくしゃだ。私が手をかけてあげないと、身だしなみすら整えない。

 私の知ってるメリーは、すごく情けなくて、食いしん坊で、それでいてとても優しい人だ。


「あなたの言ってること、ちっともわからないわ! だって、助けられたのは私の方だもの!!」


 座ってなんかいられない! 立ち上がって、固く手を握り締める。メリーがこちらを見上げた。場違いなくらい、穏やかな顔をしている。それに内情が焦った。


 メリーがいなければ、私とケニーの溝は埋められないものへとなっていた。こんなに和やかな関係になんか、なっていなかった。

 ケニーはあの女の元へ行っていただろうし、私は一生ふたりを許すことはなかっただろう。生涯憎み続けて、もしかすると、嫉妬にかられておかしなことをしていたかも知れない。私が私でなくなっていたかも知れない。そのくらい、私は感情的で激情に走りやすい。


「私、あなたのことが大好きよ! なのに、どうしてそんなお別れみたいなこと言うの!? 明日からいつものずぼらなメリーなんでしょう!? それでいいじゃない!!」


 大声を上げながら、勝手に涙が溢れてくる。メリーの言い方が、不安を煽ってただただ悲しかった。


「私、明日もあなたに会いに行くわ! だから昆布茶用意して待ってなさい! ふたり分のごはんを作ったことがないなら、また私がセンスの欠片もないどんぶりシチューを食べてあげるわ! あなた、意外と料理上手なのよ!」

「あはは……っ。ありがとうございます、ハーティさん」


 ぺたんと床に座り込んだメリーが、泣き笑いの顔をした。笑おうとして失敗したみたいなそれは、榛色の目に涙を溜めていた。


「まだわたしと、お友達でいてくれますか?」

「勝手に解消しないでよ! ばかッ!!」


 やっぱりか、ばか!! 私の嫌な予感って、結構当たるのよ、ばか!!

 メリーみたいにぺたんと座り込んで、わあわあ泣いた。私を抱き締めたメリーが、「泣かせてしまってごめんなさい、ハーティさん」謝っていたけれど、構わず泣いた。泣きじゃくった。





「目、腫れたな」

「うるさいわね。見ないでよばか」


 翌日、学校の帰りにいつも通り古書店へ向かった。隣を歩くケニーはやっぱり背が高くて、片手に提げた鞄の大きさまで私のものとは違って見える。

 腫れぼったい瞼が嫌で、ズル休みしてメリーに会いに行こうかとも思った。けれども、何だか『誠実』に足りない気がしたから、がんばって学校へ行った。朝一番にケニーにも心配されたから、きっと今日の私は相当不細工だ。


 人通りの少ない道を進んで、目立たない外壁を目指す。営業する気がないんじゃないかってくらい小さな看板の横には、いつも通り何の札も下がっていなかった。

 ドアノブを掴んで、ひとつ呼吸を落ち着ける。人通りの少ない街路は今日も静かで、閑静という言葉がこれ以上ないほどしっくりきた。


 息を吸って、呼吸を止める。開いた扉が涼やかなドアベルの音を立てた。


「わーっ!? カイン、大変です! 布巾! 布巾持ってきてください!!」

「僕、言いましたよ!? 三回は確実に言いました! そこにお茶を置いたら零しますよって言いましたからね!」

「全く聞いていませんでした! 悪気はありませ……カイン!? カイン!! 布巾ください! ごめんなさい!!」


 しとしとと雫を落とす本を掲げるメリーと、半眼で布巾を片手に微動だにしないカインの、どたばたした応酬に思わず肩から力が抜ける。

 何よ……。緊張する必要、なかったんじゃない……。


「何やってるのよ、あなたたち……」

「あっ、ハーティさん、ケニーさん! ちょっと待っていてくださいね。今両手が離せないので……カイン!? 布巾くださいってば!!」

「こんにちは、ハーティさん、ケニーくん。メリーさんがばたばたしていてごめんね」


 にっこりと微笑むカインの手から、必死に布巾を抜き取ろうとメリーがもがいている。……メリー、あなた、本当に王女様なの……?


「そのまま引っ張ると危ないぞ」

「そうですよ。後ろに転びますよ」

「じゃあ、いじわるやめてくださいー!」

「先にいじわるしたのは、誰ですか?」

「わたしです……」

「はい、よくできました」


 カインに手綱を取られ、メリーがしゅんと俯く。てきぱきと濡れたカウンターを拭くカインを眺めながら、いつもの席に腰を下ろした。

 ようやくびしょ濡れの本を救出出来たメリーが、ほっと息をつく。いつものにこにこ笑顔を取り戻した彼女が、こちらを向いた。いつものように、くしゃくしゃの髪をひとつに束ねている。


「お待ちしていました、ハーティさん! 今日は昆布増量でお茶淹れてきますね!」

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