メリーさんしか知らないこと02
何年振りに着せられたのだろう、布の塊にげんなりする。きゃらきゃらと輝くアクセサリーは華奢で、うっかり引きちぎってしまいそうだから震える。特に足許のヒールがしんどい。
何故こうも全てを華奢に揃えるのだろう? 爪先立ちを強いられるこの体勢、実はバレエの稽古をしていたのかな?
「お久しぶりです、お父様、お母様」
豪奢な敷物に膝をつき、恭しく頭を垂れる。玉座に座る父と母が、驚愕の声を上げた。
「メルクリス、息災だったか……!」
「はい、この通り」
立ち上がった父が、最後に見た日よりも老いた顔で微笑む。にこりと笑みを返し、非行に走っていた期間を悔いた。
時間はどう足掻いたって取り戻せない。父の髪色が、鮮やかな金色から褪せたことが心に響いた。
広間の両脇には重鎮たちが控えている。兄も忙しいだろうに、この場に参加していた。カインはわたしの護衛なので、わたしの後ろで顔を伏せている。
甲冑の騎士まで整列していて、何とも仰々しい光景だった。にんまり、口角を持ち上げる。
「早速ですが、本日はお願いがあって参上いたしました」
「よい。メルクリス、申してみよ」
「……王位継承権の、復権についてかしら?」
玉座に座ったままの母が、怪訝そうな顔を扇子で隠す。訝しいと細められた眼差しは、昔見たものよりも冷ややかに思えた。こういうところが苦手なのだと辟易する。
「まさか。わたしは今も昔もこれからも、その椅子に興味はありません」
「どうだか」
「アカリ、まずはメルクリスの話を聞こうではないか」
パパが娘に寛容で、嬉しい限りです!
不貞腐れた顔の母がそっぽを向き、窘めるように父がわたしを促す。にこり、笑みを浮かべたままの口を動かした。
「その王位継承権の放棄をより堅実に示したく思い、わたしの婚姻についてご相談に上がりました」
「こん……いん……?」
ふらり、額を押さえた父が、ふらついた身体を支えるために玉座に手をついた。傍に控えていた重鎮や侍従の人が、慌てた様子で駆け寄る。
あれえ? そんな反応されるとは、思ってもみなかったんですけどねえ……。
「ど、どういうことだ、メルクリス!? 誰がお前を毒牙にかけたんだ!?」
「ええっ、お、落ち着いてください、お兄様!」
あの温和を絵に描いたような兄が、腰の剣に手を添え怒っている。
ええ!? どうしたんですか、お兄様! 長らく会わなかった間に、性格の変更がなされましたか!?
「カイン! 誰だ、その不届きものは!?」
「ぞ、ぞんじ、あげま、せん……ッ」
「カイン!? あなた何故そんな死にそうな顔しているんですか!?」
「姫様に、そのようなお相手が、いたなどと……」
つかつかと歩み寄ったお兄様が、呆然とするカインの襟首を掴んで揺する。
ああっ、ごめんなさい! こんなことになるなんて思わなかったんです! わたしが向かい合おうとしなかっただけで、わたしこんなに愛してもらえていたんですね! 猛省しています!!
「お、お兄様ー! カインです! わたし、カインのこと、すっごくいい人だなあーって思っているんです!」
「は?」
がくがく揺すられていたカインの動きが、ぴたりと止まる。こんなにも人が大勢いるのに、しんと静まり返った空気が何とも不気味だった。
へらりと笑って、カインを手で示す。呆然としたままの彼が、かくりと首をこちらへ向けた。
「……へ? ひめさま……?」
「カイン、あなたの地位は?」
「え? ええっ!? た、大変失礼いたしました! 私は平民の生まれなので、爵位もございません。ゲオルク様の恩情によって、恐れ多くも姫様の護衛騎士との名誉ある役職を仰せつかっております!」
「このように、カインはとっても無害な存在です! 何せこのわたしの非行期間中、小言は言うけど、文句も言わずに付き合ってくれていたんです! おじいさまのお墨付きです!!」
「カイン、お前っ、お前……!」
「ま、まっ、待ってください!! 姫様正気ですか!?」
拳を握って力説する。お兄様がカインの胸倉を締め上げているけれど、わたしはこのカオス空間をどうにかして突破したかった。
親子のコミュニケーションどころか、兄妹の付き合いすらぼろぼろだ。わたしが全面的に悪い! ごめんなさい!!
「わたしは本気ですよ、カイン。彼が駄目でしたら、あとは興味ないです。適当にどなたかご用意ください。おじいちゃんから子どもまで、どんな方でも結構ですよ」
「メルクリス! お前はまたそのような口の利き方を……ッ」
「……ユリウス」
わたしの名前を呼びながら、カインをぐらんぐらん揺するお兄様を、お父様が止める。解放されたカインが、気持ち悪そうに床に手をついた。
蒼白な顔色の父が、目眩を起こしていそうな様子で口を開く。
「……メルクリス。本当に、いいのか?」
「カインの確認を取っていませんでしたね。ちょっとしたサプライズのつもりだったんです。わたしの可愛い悪戯心だったんです。すみません、カイン。びっくりしましたか?」
「心臓が止まりそうです……」
「止まらない限り生きています。ばっちりですね!」
「何がばっちりなのでしょうか、姫様!? 普通に考えたら、僕このあと斬首ですよ!?」
「困ります困ります! カインがいなくなったら、わたし自堕落生活を極めますからね!」
「もう充分極まっていますけど!? これ以上何を極めるんですか!?」
「ええいっ、やめんか!」
滅多にないお父様の大声に、首を竦める。カインに至っては今にも倒れそうだ。……かわいそうなことをしてしまった。
「カイン。主に問おう。……メルクリスのわがままを、聞いてやってはくれぬか」
「勿体なきお言葉ッ、有り難く存じ上げます」
騎士の礼を取り、深く頭を下げたカインが宣誓する。お父様がふらりと玉座に腰を下ろした。
……父にとって、わたしはここを出たときのまま時間が止まっている。……急に驚かせてしまい、本当に申し訳ないことをしてしまった。
「……茶番など繰り広げて、本当は疚しいことでもあったんじゃないかしら」
冷えた声音で、母が呟く。みんなの視線が一斉にそちらへ集まった。
どうも彼女はわたしを敵視している。その真意はわからないけれど、動機はわかる。へらり、無害を装って笑みを浮かべた。
「お母様、カインで不埒な妄想をするのはやめてください」
「私はそのようなつもりで言ったのではないわ!」
「わたしに後ろ暗いものを見たいのでしたら、どうぞ存分にお探しください。如何にわたしが彼を邪険に扱ってきたかわかるでしょう。おじいさまの元に調書もございます。わたしの行動は、全て監視されていますので」
ひくり、お母様の口許が引き攣った。扇子を掴む手がぎしりと鳴る。
お父様が疲れたようにため息をついた。緩く手が振られる。お母様が唇を引き結んだ。
「お父様、もうひとつお願いを。わたしに仕事をください」
「見てちょうだい! やっぱり王位を継ぎたいのでしょう!?」
「お母様。あなたは一体、何を怯えているのでしょう? わたしはあなたに一切の興味がありません」
ヒステリックに立ち上がった母が、扇子を握り締め、益々憤怒の表情を浮かべる。
彼女は一作目のヒロインだ。こうして当時の王子とも結ばれている。わたしが不穏因子にさえならなければ、彼女は心穏やかに過ごしただろう。
今の地位を、彼女がどうやって築いたのか、わたしは知らない。ゲームのシナリオ通りなのか、それとも前世なる情報を用いたのか、何をしたのか知らない。
けれども、彼女しか知りえない情報を持つわたしを排除しようと動く母は、恐らく後ろ暗いことがある。何とも物悲しい気分だ。
「アカリ」
「あなた! この子はきっと、国家を転覆させる存在です! 野放しにしてはいけないわ!」
「落ち着くんだ。一体何を言っている」
お父様がお母様を宥めようとするも、彼女は情緒を乱している。困惑する周囲はざわめき、こういう空気が苦手なのだとため息をついた。
「さっさとお話を済ませましょう。お父様、わたしに本を整理するお仕事をください」
「ほら! こうして……え?」
「わたしは本が読みたい。家にある本は、全て読んでしまいました。これ以上は本棚も置けません。なのであの広大な書庫にある本、あれを読ませてください」
「言うに事欠いて、本……!?」
「わたしは自分の欲求に正直です。勿論、知り得た情報は開示しません」
「……わかった」
「あなた!?」
重々しくため息をついたお父様が、お母様を置いて頷かれる。
よっしゃあ! 胸中で諸手を挙げ、晴れやかな笑顔で拳を作った。最後だけでも優雅に礼をする。
「では、詳細については別途お話を伺います。本日は貴重なお時間、誠にありがとうございました」
「メルクリス。少し私とお話しようか」
「げっ、お兄様」
にっこりと微笑むお兄様に肩を引かれ、わたしの笑顔が引き攣る。
別室に移った私は、お兄様から「何で事前に説明しない!!」「あんな神経を逆撫でするようなことを言わない!!」「カインと何処までいった!?」等がっつり絞られ、めそめそしながらお説教を受けた。
カインはカインでお兄様に協力的だったので、もしかすると婚姻は早まったのかも知れない。
けれども、わたしが隠居していたあの期間。ずっと世話をしてくれていたのはおじいさまで、傍にいてくれたのはカインだけだった。
まあ、そんなものだ。大概クズなわたしに捕まってしまった献身的な彼には、今後ともひどい思いをさせてしまうのだろう。もう少し素直になれた暁には、もうちょっとはかわいいことを言ってやりたいものだ。
そして何より、ここまでわたしを変えてくれたのは、紛れもなくハーティさんだ。
『悪役令嬢』という役職にいた彼女が、想像以上に普通の女の子だったから、わたしは自分の視界の狭さに気付けた。
設定の中でのハーティさんは、とても非道な人だった。けれどもあの日、わたしの前で泣いていた彼女は、怒ったり笑ったりと表情の目まぐるしい、ひとりの女の子だった。
お喋りとお洒落がすきで、心配性で、お世話焼きで、おませさんで。設定では決して知りえない彼女の姿は、わたしにとって支えだった。
彼女がいたから、わたしがどれだけ独り善がりで傲慢だったかを気付くことが出来た。彼女は周囲の優しさに気付くことも出来ない、憐れなわたしを助けてくれた。
ハーティさんと出会えなければ、今頃わたしは変わることなく埃と本に埋もれていただろう。うじうじといじけて、外を知ることもなかっただろう。予定調和に怯えて、蹲っていたことだろう。
ハーティさんと色んな景色を見れて、本当に良かった。カインは怒っているけれど、わたしはあの家出が、もっともっと続けばいいと思っていた。とても楽しかった。
恩返しのつもりで、ケニーさんとの仲をとりもってみたけれど、わたしは役に立てただろうか? 彼がハーティさんを選んでくれたことが、益々わたしの心の支えになった。ここは舞台などではない。わたしの現実に色がついた。
これが終わったら、ふたりにわたしの『ごめんなさい』を聞いてもらおう。それから『ありがとう』も聞いてもらおう。
わたしは、ずっとずっとあなたの幸せを願っています。だいすきなおともだちへ。
ごめんなさいしてもらうまで家出します ちとせ @hizanoue
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます