ごめんなさいしてもらうまで家出します
ちとせ
メリーさん、誘拐される
こんにちは、モブです。今、悪役令嬢さんのお話を聞いているの。
怒涛の勢いで鬱憤を連ねる彼女はハーティさんというお名前で、婚約者を取られそうだと苛立っている。塩昆布をティーカップに入れながら、あったかいお湯を注いだ。
「そうですか~」
「そうなのよ! はあああっ、あの忌々しい女狐め……!」
少女漫画なら、ぎりぎりとハンカチを食いしばっていそうな顔で、ハーティさんが唇を噛む。彼女の前に昆布茶を置いた。のんびりと頬杖をつき、ハーティさんが落ち着くのを待つ。
この世界は乙女ゲームが基になっているらしい。らしい、というのはハーティさんが話す内容から、何だかそういう話聞いたことある~と思い至ったからだ。
わたしはちょっと特殊な性質を持っていて、小さな頃から物知りだった。本から得た知識なのか、自分の記憶にある事柄なのかはよくわからない。勝手にひとりで納得している事象なので、まあいいかなと思っている。
ハーティさんとの出会いは、道端で泣いている彼女を見つけたところから始まる。ぐすぐす涙を拭う彼女はひとりぼっちで、心配になったので声をかけた。丁度わたしも休憩中で、よかったらお店で休んでくださいと言うと、彼女は気丈にも涙を引っ込めてわたしについてきた。
話を聞けば、どうやら婚約者さんともめたらしい。彼女の見た目はまだまだ若いのに、もう婚約者がいるんだ。着ている服が高級そうだから、何処かのご令嬢さんかな? 大変ですねと昆布茶を出したところで、また泣き出してしまった。
そこから浮気の話や、相手の女の子の話、何より婚約者さんの話を教えてもらう。こんなにも若いのに、そんな昼ドラみたいな話が飛び出すんだ? 10代の世界も大変なんだね……。
それから彼女、ハーティさんは、鬱憤が溜まるとここへ来るようになった。大体いつも昆布茶を注文されるので、気に入ってもらえたのかなと嬉しく思う。最も、ティーカップに昆布を入れる行為は不満の対象なのだけど。
「聞いてるの!? メリー!」
「聞いてますよ。ハーティさん、試作のマドレーヌ食べますか?」
「全然聞いてないじゃない!! ふんっ、食べるわ!」
つっけんどんに顔を背けたハーティさんの髪が揺れる。毛先を丸めた栗色の髪は、お手入れをしっかりしているのか、いつ見てもつやつやしている。
店の奥からお皿に盛ったマドレーヌを取り出し、少女の前に差し出した。こんもりとした焼き菓子の山に、彼女が目を丸くする。
「もう少し丁寧に飾りなさいよ! あなた、そういうところが杜撰なのよ!」
「うーん、試作だからいいかな~と思いまして」
「試作じゃない昆布茶だって、ティーカップで出してるじゃない!」
「そんなにだめですか?」
「センスが欠片もないわ! 大体ここ、何屋さんよ!?」
「本屋さんです」
「マドレーヌが試作の意味!!」
ぐーでカウンターを叩き、ハーティさんが鈍い音を立てさせる。窓から差し込む明るい日差しを避けて、きゅうきゅうに詰めた本棚が日陰に並ぶ。溢れそうなほど圧迫した本はどれも面白いもので、所謂古書というものだ。にこにこ、笑みを浮かべる。
「レモンにしてみたんです、どうですか?」
「……あなたと話してると、怒ってる自分が馬鹿らしくなるわ」
ため息をついたハーティさんが上品にマドレーヌをかじり、「もっと甘い方がいいわ」助言をくれた。
「もーっ! 耐えられない!!」
その日のハーティさんは、大変憤慨していた。足音荒くカウンターまでやってきた彼女が、苛立ちのままに大きな鞄を置き、スカートが乱れるのも構わずどすりと椅子に座る。いつも上品さを保つ彼女が珍しいと、きょとんと瞬いた。
「ハーティさん、どうしました?」
「メリー! お茶!!」
「はいはい」
どん! とカウンターを叩き、ハーティさんが息荒く昆布茶を注文する。お湯を沸かすわたしの後ろで、彼女がきいーっ、と叫んだ。
「ほんっと信じられない! あの女もあの女だけど、あの男もあの男よ! こんなの、百年の恋だって冷めるわ!!」
「百年の恋ですか~、ロマンチックですねー。あ、昆布、二枚入れておきますね」
「お父様もお父様よ! うちからは婚約破棄出来ないだなんて、ああもう!!」
沸騰したお湯をケトルに移し変えて、少し冷ます。白磁のティーカップの底に二枚の昆布を敷き、お湯を注いだ。くるくるスプーンで中身を混ぜ、怒り心頭なハーティさんの前に置く。彼女の目は据わっていて、思わずぎょっとした。
「メリー、私、家出するわ!」
「家出ですか? どちらまで?」
「最初は海の見える街!」
「海ですか~。広くてぷかぷかして、いいですよね~」
「お父様が婚約破棄を認めるか、あの男が泣いて土下座するまで、絶対に帰らない!!」
「物々しいですね~」
ふん! と息巻いたハーティさんが、両手で持ったティーカップに口をつける。熱そうに一息ついた彼女が、口をへの字にしてわたしを睨みつけた。
「だからさっさと準備しなさい!」
「準備……ですか?」
「家出の準備よ! あなたも一緒に来るの!」
「わ、わたしもですか……!?」
思わずびっくりしてしまう。てっきり相談だと思っていたので、まさか参加型の家出だとは思わなかった。……あれ? でも、待ってね。
「……ハーティさん。多分わたし、同行すると、誘拐の罪で捕まっちゃいます」
「そ、そんなの、私が口添えするわ!」
「脅された、と言われてしまえば、わたしは手も足も出ません」
「で、でも、……もう、書いちゃったの」
「……どのように」
「『婚約破棄を認めるか、あの男が泣いて土下座してごめんなさいするまで帰りません。探さないでください』」
「あはは、ごめんなさいって、可愛らしいですね」
「あなたって能天気ね……」
あららと笑うわたしに、ハーティさんが小さく唸る。
そっか、もう書いて出てきちゃったんだ。もしかしてその大荷物、家出グッズだったのかな。うーん、これは誘拐として捕まっちゃうかな? でも、置手紙の内容が内容だもんなあ。
どうしたものかと悩んでいると、昆布茶を置いたハーティさんが身を乗り出した。
「わかったわ! 私がメリーを誘拐するの!」
「はい?」
「そうよ、誘拐! 私、あなたを誘拐して、人質にするわ!」
「人質ですかー……、何に対する人質でしょうか?」
「勿論、婚約破棄を認めてくれなければ、この女を殺す! みたいなやつよ!」
「わ、わたし、殺されちゃいます?」
「ばか、演技に決まってるでしょう!?」
どうしよう、どんどん話が物騒な方向に転がってる気がする……。
ハーティさんは俄然やる気で、私にメモ紙を用意させた。書かれた内容は『メリーを誘拐した。返してほしければ、婚約破棄を認めるか、あの男に土下座させること』だった。困惑するわたしに、勝気にハーティさんが口角を持ち上げる。
「さあ、メリー。これで大丈夫よ! ほら、早く家出しましょう!」
「い、今からですか!?」
「善は急げと言うでしょう!」
ハーティさんにせっつかれて、慌てて店の奥へと引っ込む。居住区となっている小さな部屋はあちらこちらに本を重ねていて、何となく適当に生活している様子がありありと表現されていた。
ううん、家出なんてこの方やったことがないからなあ。何を用意したらいいのかな……? とりあえず、適当に荷物を纏めてみるか……。
徐に掴んだものを大きめの鞄に詰めていると、ひょこりと部屋を覗き込んだハーティさんが、驚いたような声を上げた。
「メリー、あなた! そんなに本を詰め込んで、何をしているの!」
「家出の支度ですが……」
「本はいらないでしょう!?」
「何を言っているんですか、ハーティさん! 本をなくして人は生きられません。本は心のごはんです!!」
「は、初めての大声が、それ!?」
きっぱりとした自己主張に、唖然とした声が被る。
それから荷造り選別会が開催され、ハーティさんとわたしの「いる」「いらない」の基準が大幅にずれていることを知った。もしもわたしたちがバンドを結成したら、方向性の違いで即時解散しているレベルで違っていた。お洒落に重点を置くハーティさんと、本に支柱を置くわたし。お互いのライフワークの違いに、ハーティさんががくりと項垂れた。
「だからあなた、いつも野暮ったいのよ……。磨けば、絶対に綺麗になるのに」
「ハーティさんは美人さんですもんね~」
「いいわ! この家出で、あなたのことを見違えるくらい綺麗にしてやる!」
「ええー、いいですよぅ。見た目の継続って、手間ですし」
「こら、ずぼら!」
叱責を飛ばしたハーティさんが、てきぱきと荷造りを進めていく。こんなにも若い子なのに、しっかりしていてえらいなあ。婚約者さん、こんないい子の何処が気に入らなかったんだろう? そういうお話だったのかな?
「ハーティさん、絶対いいお嫁さんになりますよ~」
「あなた、傷心中の人に、そういうこと言わないでよ……!」
「ええっ、すみません、不快にさせちゃいましたか?」
「もう、いいわ!」
ふん! と顔を背けたハーティさんが、鞄いっぱいに荷物を詰める。最後に一冊、わたしが今読んでいる本を旅のおともに添えてくれた。ばたん、勢い良く鞄が閉じられる。
「行くわよ、メリー!」
「この時間に、列車は走っていませんよ?」
「くっ、今日はここに泊まるわ!!」
「あ、じゃあ片付けますね」
「こらずぼら! 『薙ぎ払う』は『片付ける』じゃないわ!!」
ベッドの上のものを、ずべーっと押し退けたわたしに、大声が飛んでくる。それからハーティさんと部屋の片づけをし、かつて一度も見たことのないくらい、綺麗に整ったわたしの部屋が完成された。
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