メリーさん、家出する
こんにちは。わたし、メリー。今自宅にいるの。
「ハーティさん、シチュー食べますかー?」
「食べるわ」
「パンとハムもいりますか?」
「ええ」
「あ。チーズがあります。あとですね、ソーセージとイチゴジャムと、ホットケーキと蒸し芋もありますよ」
「メリー、あなた、私を太らせたいの?」
じっとりとした恨みの篭った声に振り返る。腕を組んだハーティさんは声音通りの半眼で、すらりと細い手足に年頃の女の子を感じた。えへへと笑う。
「キャベツ千切りますね」
「あなたが普段、如何に適当に食べているかがわかったわ」
「えへへ、今日はしっかり食べますよ!」
取り出したどんぶり鉢に並々とシチューを注ぎ、どんと置く。表情をぎょっとさせたハーティさんが、慌てた様子でわたしの手を止めた。
「ま、待ちなさい! 何なのよ、このどんぶり鉢!?」
「お嫌でしたか?」
「入れ過ぎだと言っているの! あなたっ、私にどれだけ食べさせるつもり!?」
「あー……。では、注いでいくので、ストップと言ってくださいね。せーの!」
「す、すとおおおおっぷ!!!!」
墨黒色のどんぶり鉢へ、お玉いっぱいに注いだ乳白色のシチュー。焦るハーティさんは両手でどんぶりに蓋をしていて、必死な様子が可愛らしくて笑ってしまった。むっすりと頬を膨らませた彼女が、わたしの脇腹を小突く。痛がる仕草をして、お盆に載せたふたつのシチューをカウンターへ運んだ。
「もう、メリー! 私は大食らいではないわ!」
「ふふっ、すみません。誰かとごはん食べるの、久しぶりなので張り切ってしまいました」
「ああ~、もう! 残りは朝ごはんにするわ!」
「はい、名案です」
そっぽを向いたハーティさんが、いつもの席にどすりと座る。スプーンとフォークと、千切ったキャベツと塩昆布を混ぜたものを持って彼女の前まで戻った。パンも、と回れ右しようとしたが、ハーティさんにお断りされてしまったので残念だ。
ふたり分なんて作ったことがないから、鍋の中にはまだシチューが残っている。食器はすぐになくしてしまうので、余分に買っておいたことが功を奏した。椅子に座って、ぱんと手を合わせる。
「いただきます」
「……メリーのお祈りって、独特ね」
「あはは、そうかも知れません」
祈りの言葉を口にしたハーティさんに、うっかりしてしまったと苦笑を浮かべる。わたしの不思議な記憶は、食事前にこの言葉を述べたがるので、いつも周りから変な顔をされてきた。ひとりの期間が長かったので、今日もついつい気を抜いてしまった。
ハーティさんは特に気にした様子もなく、黙々と食事をしている。塩昆布をフォークで突いた彼女が、訝しいとばかりに顔を顰めた。
「これ、いつもティーカップの底にあるやつじゃない」
「はい。塩昆布さまさまです」
「……あら、案外おいしいじゃない。やるわね」
「塩昆布はすごいんですよー」
もっきゅもっきゅと晩ごはんを食べながら、「そうだ、ハーティさん」話題を振る。上品な仕草でシチューを飲んでいた彼女が、ぱちりと瞬きした。
「旅行先はどちらにしましょう?」
「家出よ。い、え、で!!」
「はいはい。海でしたよね。でしたら、王都から列車に乗って、マリンスクエアへ行くのはどうでしょう?」
「……あなた、意外と物知りね。そこでいいわ」
こくんと頷くハーティさんは、どうやら地理が苦手らしい。目が泳いでいる。……これでは本当に誘拐になってしまうので、カウンターの下から地図と観光雑誌を取り出した。どんぶり鉢の隣に、ぺらりと広げる。
「ここが現在地の王都です。マリンスクエアは、線路を辿った先のここ。港町なので、とっても賑やかなんですって」
「へえ。そういえばお父様が、度々お仕事で訪れていたわ」
軽く頷いたハーティさんが、しげしげと地図を覗き込む。長い睫毛を瞬かせた彼女が、滑らかな指先で線路をなぞった。
「これ、ずっと続いているの?」
「そうですね。東端のエルンテまで、線路は続いています」
「じゃあ、そこまで行くわ」
「はい?」
「線路の果てまで行くの! 私の家出は本気なんだって、証明してやらなきゃ!」
息巻く彼女は譲らないとばかりに、エルンテを指差す。はたはたと瞬きを繰り返したが景色は変わらず、覇気に押されてこくりと頷いた。
「わ、わかりました。……エルンテには、裏見の滝があったと思います」
「うらみのたき?」
「裏から見る滝です。恨みがましい方ではありませんよ」
「わ、わかってるわよ! そのくらい!」
声量を上げたハーティさんが、冷めたシチューをぱくりと食べる。気難しそうな顔で、再度マリンスクエアからエルンテまでの道筋を指差した。
「とにかく! 海に行って、それで道すがら色々見て、それから果てに行くの! いい!?」
「わかりました。では、朝起こしてくださいね」
「自分で起きなさいよ!」
「わたし、朝に弱くってよわくって。あ! お布団ひとつしかないので、ハーティさん、一緒に寝ましょうね!」
「あああああなたね! 来客用のベッドくらい用意して……」
「ありません! わたし、ひとり暮らしなので!」
「ああもう!」
顔を真っ赤に染めたハーティさんが、どんぶり鉢にスプーンをぶつけた。
「メリー! 起きなさい!!」
「あとじゅっぷん……」
「そう言ってもう20分経ってるわ! さっさと起きなさい!!」
「ふえええっ、朝日が眩しいですううぅ」
全開のカーテンに、引っぺがされたあたたかな布団。もぞもぞとシーツを捲ろうとするわたしを引っ張り、ハーティさんに起こされた。ふええっ、午前なんて人間の起きる時間じゃないよー。駄目人間は朝日を浴びると溶けちゃうんだよー。
「ほら! さっさと顔を洗って、朝ごはんの用意する! おなか減ったわ!!」
「ふわぁい……」
「しゃんとする!!」
今日もくりんとした内巻きの髪を揺らして、完全装備のハーティさんが洗面所を指差す。欠伸を噛み殺して、よれよれそこへ向かった。寝惚け眼のまま、歯ブラシをくわえる。うううう、眠たいなあああ。
ばしゃばしゃ顔を洗って、手櫛で前髪を整える。着替え着替え……ノーコルセットにノーパニエ。頭からすぽっと着れて楽なものを引っ張り出した。
「メリー、あなた……! 仮にもレディなんだから、もっと嗜みを持ちなさいよ!」
「ええっ、ですけどぉ……」
「でももヘチマもないの! 本当ずぼらなんだから」
呆れた声で、ハーティさんが衣装棚を覗く。それからハーティさんコーディネートに身を包んだわたしは、ハーティさんに髪を結ってもらい、多分きっと、近年まともに見たことのないくらい、ぴしっとしたわたしと対面した。
「……やっぱりメリー、元がいいのよね」
「そうでしょうか? あ、ハーティさん。お昼ごはんはサンドイッチですよ。こっちがハーティさんの分ですからね」
「あっあなた! またそんなもりもり詰めて!!」
「大丈夫です! キャベツとチーズとハムとソーセージ。太る要素ゼロです!」
「どうやったらその結論に辿り着くの!?」
朝ごはんとお昼ごはんの支度をして、風呂敷に包んだサンドイッチと水筒を入れる。しずく型に包んだそれを旅行鞄の隣に並べ、昨日のシチューをよそった。ハーティさんが、じと目でこちらを睨みつける。
「こんなに杜撰な生活なのに、何でそんなに細いのよ……」
「ハーティさんコーディネートが見せる錯覚だと思いますよ。わたしは普通体型です」
「ぐぬぬ……」
胡乱の目とともにおなかを隠すハーティさんと、朝ごはんを食べる。
それからハーティさん直筆の『脅迫状』をしっかりとカウンターに置き、わたしたちは駅へ向かった。
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