メリーさんと線路の旅01

 蒸気機関車が軋む音を立て、客室ががたんと揺れる。吐き出された真白な蒸気が空気に溶け、高揚した気持ちのまま、駅のホームへ足をつけた。


「ハーティさん! マリンスクエアですよ! 着きましたよー!」

「も、もう、メリー! あなた無邪気過ぎるのよ……!」


 顔を真っ赤に染めたハーティさんが、大きな鞄を抱えてホームへ飛び出す。乗客の入れ替えで賑わうそこは雑多で、うっかりするとハーティさんとはぐれそうだ。背の高い男の人が目の前を横切り、更にお腹のぽんと出たおじさんが擦れ違う。おろおろと取り残されるハーティさんへ左手を差し出し、彼女の華奢な手を引いた。


「行きましょう、ハーティさん! わたし、お腹空きました!」

「あなたっ、さっきサンドイッチ食べたばかりじゃない!」

「潮のにおいがしますねー。わくわくします!」

「ちょ、ちょっとメリー!」


 たたらを踏むハーティさんが転ばないように、彼女の手を握って階段を目指す。駅構内に流れるアナウンスの声は耳に届きやすい平坦な音程で、ざわざわとした周囲の話し声と混ざった。

 切符を駅員さんへ手渡し、ぴょんと踵を跳ねさせる。一層強くなった潮のにおいを肺いっぱいに吸い込み、勢い良く背後へ振り返った。


「ハーティさん! わたし、港町初めてです!!」

「もうっ、そんなにはしゃがないでよ、メリー。私だって初めてだわ」

「ハーティさあああん! 海ですよーーー!!」

「こらー! 手を繋いだまま、走るなああああ!!」


 ハーティさんの手を引き、行き交う人を避けて高台の手摺りまで走る。潮風が髪を巻き上げ、眼下に広がる景色に感嘆した。一面の青が視界に広がり、色とりどりの建物が並んでいる。海面に浮かぶ船は大型のものから中型、離れたところには小船と波に揺られ、一層楽しそうに見えた。

 隣に並んだハーティさんが唖然と口を開け、顔を背けて舞い上がる髪を払った。ぽつり、呆気に取られた呟きが上がる。


「本当に、大きな水溜りね……」

「何日分降ったんでしょうねー」


 にこにこと相槌を打つ。わたしの初めての海はこの瞬間だが、何となく記憶に残っている海とは異なり、遠くへ行くほどその青を濃くしていた。澄み切った空と交わる広大な視界に、にまにま口許が緩む。みゃあ! わたしの代わりに、ウミネコが頭上で鳴いた。


「ハーティさん、行きましょう! もっと近くで海を見ましょう!」

「あなた、こんなに活動的だったの!?」

「今のわたし、すっごく元気です! あっ、角煮まんですって! 食べましょう!!」

「食いしん坊!!」


 ハーティさんの手を取って、高台から下へ伸びる階段の先で見つけた屋台を示す。『角煮まん』と赤いのぼりを立てたそれに、好奇心を刺激された。

 普段の運動不足など忘れて、ぴょんぴょん階段を下りる。覗いた屋台のお姉さんへ、角煮まんをふたつ注文した。

 甘辛いたれと、肉まんのようなにおいに、お腹がくうと鳴った。にっこりと人懐っこく笑ったお姉さんへ、金銭を差し出す。受け取った肉まんのような食べものを、ハーティさんへ差し出した。店員のお姉さんが微笑む。


「熱いので、気をつけて食べてくださいね!」

「ありがとうございます!」


 お礼とともに会釈し、屋台から離れた。

 しげしげと様々な角度から角煮まんを眺めるハーティさんが、すんすんと鼻を鳴らしている。路肩のベンチに座り、食べやすいように包みを開けた。


「メリー、これはどうやって食べるの?」

「がぶっとやっちゃってください」

「がぶっ? ええっ!? ナイフとフォークは!?」

「ファストフードにそのような手順はありませんよ~」


 困惑するハーティさんへ微笑みかけ、ふかふかのおまんじゅうからはみ出た角煮に、がぶっと歯を立てた。におい通りの味と、やわらかな角煮がおいしい。おまんじゅうもおいしい。もうひとつくらい、余裕で食べられそう。熱々とした中身を口の中で転がしながら、もっきゅもっきゅ食べた。


「ほ、本当なの……? うそだったら、ただじゃおかないわよ!?」

「ハーティさん、おいしいですよー」

「うぐぐっ」


 羞恥に頬を染めた年頃の女の子が、おずおずと角煮まんへ口を寄せる。戸惑いがちにはむりと動いたそれが、もごもごと動かされた。


「……やるじゃない」

「えへへ。わたし、もう一個買ってこようかな~」

「もう食べたの!?」


 お財布を取り出し、元気良く立ち上がったわたしに、ハーティさんが驚きの声を上げる。あんなの一瞬ですよー、と笑うわたしの視界に新たな屋台が映り、わたしの興味は即座にそちらを向いた。


「ハーティさん! アイスがあります! アイスクリームです!!」

「私、まだこのなんとかまん食べてるわよ!」

「そ、そうでしたね。次はあれを食べましょう。あっ! ハーティさん、見てください! あそこのお店キラキラしてます!」

「目移りが激しいわ!!」


 必死に角煮まんを消費しようとしているハーティさんが、口をもごもごさせる。それから屋台を見つける度に元気になるわたしは、ハーティさんをぶんぶん振り回した。






「ハーティさぁん……、今日はもうゆっくりしましょうよぉ……」


 ハーティさんによって全開にされたカーテンが、無情なくらい眩しく朝日を招き入れる。きっと海辺の宿だから、海面が反射して余計に眩しいんだ。情けなく声を震わせ訴えるも、非道なほどあっさりとハーティさんはわたしの布団を引っぺがした。ふええっ、わたしのお布団……!


「メリー、起きなさい! 今日はサントルレクタンを目指すって言っていたでしょう!」

「ううっ、もっとのんびりしませんか? ろーまは一日にしてならずと言いますし……」

「なあに? その言葉。ほら、さっさと起きなさい!」

「ふええええっ」


 ずるずるベッドから起き上がり、よぼよぼ洗面台へ向かう。よれよれと朝の支度を済ませ、ばったりと旅行鞄に覆いかぶさった。ハーティさんが呆れたようにため息をつく。


「もう、メリーったら。本当だらしないんだから……」

「ううっ、朝なんてこなければいいんですぅ……」

「全くそんなこと言って。ほら、しゃんとしなさい。髪くらい結ってあげるわ」

「ハーティさぁんっ」


 縋るように、今日も髪をくるんと内巻きにさせたハーティさんを見上げる。朝日を受ける彼女はきらきらと眩しく、慈母のようにも見えた。

 その後、「だらしない格好しない! あなたはレディなのよ!?」「ああもう、貸しなさい! こらっ、顔を背けないの!!」「メリー! 折角着付けたんだから、ごろごろしないの!!」頭の先から爪先までハーティさんの着せ替え人形にされ、わたしの体力は底をついた。

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