メリーさんとただいま

 ハーティさんがお屋敷の垣根から、こっそりと様子を窺っている。庭の手入れの行き届いた、綺麗なお屋敷だった。アールヌーヴォー調の門もお洒落で、花壇には小花が咲き乱れている。

 木陰に隠れるハーティさんは息を潜めていて、わたしも彼女に倣ってひっそりと身を縮めていた。冷や汗を掻く彼女が、ゆっくりと左右に視線を巡らせる。


「……ハーティさん、どうしてこんなにこっそりされているんですか?」

「しっ! メリー、声を立てないで。だって絶対に怒られるじゃない」

「……そ、そうですね……」


 怒られる自覚、あったんですね……。

 青い屋根の印象的なお屋敷を見上げる。どうやらここがハーティさんのお家らしい。足許の芝生の音すら立てることなく、ハーティさんは身を潜めている。


 不意に視線を感じ、そちらへ顔を向けた。小屋だろうか、厩だろうか、それを背景に従え、白髪混じりの口髭を生やした男性が、ぼとりと手袋を落とした。わなわなと震える口と、持ち上げられた人差し指。目にうっすらと涙を浮かべた男性に、やばば、慌ててハーティさんの肩を叩いた。


「なっ、何よ、メリー……!?」

「お、お嬢様のご帰還ですぞおおおおおおッ!!!!」

「カール!? や、やめてちょうだい! 大きな声を出さないで!!」


 ばたーん!! 盛大な音を立てて開かれた玄関に窓に裏口にから、雪崩れるように飛び出す人の影、影、人。口々に「ハーティスお嬢様!」「よくぞご無事で!」叫んでいる。余りに鬼気迫る光景に、ハーティさんともども身体が強張った。ね、熱烈ですね!? 使用人の方々にすっかり取り囲まれたハーティさんが、あわあわとしている。

 突然、波が引くように使用人の海が割れ、生まれた花道をひとりの男性とひとりの女性が歩いてきた。……モーセかな?

 ハーティさんの顔色が瞬時に悪くなる。後退りする彼女の前まで赴き、背の高いダンディなおじさんと、ハンカチを固く握り締めた綺麗な女性が、目に涙を浮かべながら両腕を広げた。


「よく帰ってきてくれた、ハーティ! 我が娘よ!!」

「お父様……ッ、お母様……!」


 大粒の涙を零したハーティさんがふたりの腕へと飛び込み、ごめんなさいと泣きじゃくる。もう離さないとばかりに力強く華奢な娘を抱き締め、両親が心配したと目許を濡らした。

 思わずうるっときたわたしは、涙ながらに見守る使用人の方々に混じりながら、よかったよかったと、隣のおじさんやメイドさんと握手していた。

 誰かが「祝杯だ!!」と叫んだ。「おう!!」勇ましい声と握りこぶしが高らかに天へ突き上げられる。隣のメイドさんもおじさんもわたしの肩を組み、天高くこぶしを上げていた。……合戦かな?






「娘が大変ご迷惑をおかけしました。お詫びと言ってはなんですが、どうぞ、馳走させてください」


 ダンディなおじさまが目許の皺を深め、恭しく礼をする。彼はハーティさんのお父様らしい。彼の隣にはハーティさんのお母様がおり、彼女も優しげな顔で腰を折っている。慌てて胸の前で両手を振った。


「いえ、とんでもありません。それより、わたしがハーティさんを誘拐したとは、お考えになられないのですか?」

「疑うものは勿論おりました。しかし、敵地であるここへ、あなたは現れた。それが全ての証明です」

「……脅しているだけかも知れませんよ?」

「ならば私の娘の演技力は、大したものだ。あなたへ危害を加えないよう、それはそれは心配そうな顔で注意を受けましたよ」

「……ハーティさんは、お優しい方ですね」


 どうやらわたしへのお咎めはないらしい。穏やかで深い声に説得され、恐縮です、頭を下げる。ハーティママさんが、穏やかな笑みに苦笑を混じらせた。


「あの子は少々お転婆のきらいがあります。あの子の我がままにお付き合いいただき、本当にありがとうございます」

「いえ、そんなっ。わたしも貴重な体験をさせていただきました」


 うううっ、こういう場には慣れていないから、そろそろ顔の筋肉が痙攣しそう……! ハーティさん一家には申し訳ないけれど、もう帰りたいな……! 誤解も勘繰りもなさそうだし!


「あ、あの、では、ハーティさんを無事に送り届けましたので、わたし、これにて失礼します」

「まあっ、メリー! 客人を持て成さずに帰すだなんて、イアハート家の名折れだわ!」

「は、ハーティさん……!」


 ぺこぺこ頭を下げるも、頭上から降ってきた声にびくりと顔を上げる。

 階段の手摺りに手を添えるハーティさんは優雅で、着替えも終わり、正しくご令嬢といった装いに変わっていた。内巻きの髪を軽やかに跳ねさせ、彼女が階段を下りてご両親の隣に並ぶ。あうう、帰る隙が見当たらないよおお。


「いえ、わたしも家が恋しくなったので、帰りたくなったんですよ」

「あなた、一人暮らしじゃない」

「うぐ。ほ、本がいます!」

「お母様、メリーにもお風呂をお願いしますわ」

「ええ、そうね」


 穏やかに微笑んだハーティママさんが、軽やかに手を打ち鳴らす。何処からともなく現れたふたりのメイドさんへ、端的に指示が飛ばされた。ふええっ。


「あ、いえっ、わたし、もう帰ります、から」

「メリー、あなた。うちの料理長のごはんが食べられないと言うの?」

「そ、そういうわけでは……!」

「食いしん坊なあなたのために、今、料理長が腕をふるっているのよ? 彼の好意を無碍にするつもり?」

「あううっ、ごはんに罪はありません……!」

「よろしい。なら、さっさとお風呂へ行ってきなさい。着替えなら任せてね」

「ノーコルセット! ノーパニエ!!」

「だまらっしゃい!!」

「これ、ハーティ」


 ふえええっ、情けない悲鳴を上げるわたしを連れ、メイドさんがお屋敷を案内してくれる。

 その後頭の先から爪先までぴっかぴかにされたわたしは、ふわっふわのドレスを着せられ、完璧にデコレーションさせられ、食事の席に案内された。この時点でだいぶんわたしの体力は失われていたのだけれど、ハーティパパさんとハーティママさんが大変喜んでくれたので、笑顔をがんばった。

 ハーティさんは家出中の出来事をご両親にたくさん話して聞かせ、笑顔いっぱいで楽しそうだった。それだけで家出に加担したわたしは救われるのだから、もう充分なのに。


 婚約者さんについては、婚約破棄は出来なかったらしい。ハーティさんは不服そうだったけれど、「ごめんなさい」はさせると言われ、複雑そうな顔をしていた。

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