メリーさんと線路の旅04

 夜行列車に乗り換え、割り当てられた寝台車へ向かう。二段ベッドが取り付けられているそこは、個室ともあり思っていたよりも広かった。案内してくれた駅員さんへお礼をし、後ろで旅行鞄を提げているハーティさんへ振り返る。


「ハーティさん、ベッドの上と下、どっちがいいです?」

「……私、二段ベッドなんて初めて見たわ……」


 鞄を足許に置いた彼女が、しげしげと二段ベッドを眺めた。私も、うっすらと何処かの記憶が覚えている程度で、二段ベッドには馴染みがない。ぱっとこちらを振り返ったハーティさんが、殊勝な仕草で腰に手を当てた。


「メリーは朝に弱いから、上の段だと転げ落ちてしまうわね!」

「うっ、そ、そうですね……。うっかり落ちてしまいそうです」

「ふふん。だから、仕方なく! 私が上の段を使ってあげるわ!」


 意気揚々と上の段を指差し、ハーティさんが明るく笑う。ははーん、さてはハーティさん、上の段に興味津々なんですね。わかりました!


「ありがとうございます、ハーティさん。では、わたしは下で寝ます」

「ええ! 感謝してちょうだい!」


 勝気に笑みを浮かべ、ハーティさんが旅行鞄を台に載せる。わたしも同じところへ置き、連日連れ回す旅行鞄によって、赤くなった彼女の手を取った。


「ハーティさん、食堂車へ行きましょう! 展望出来るところがあるそうです。星空見ましょう!」

「あら。メリーから珍しく、食べもの以外の話が出たわ」

「お魚ステーキがおいしいそうですよー! 前の駅の新聞売りの方が言っていました!」

「ああ、やっぱり食い気なのね、あなた」


 がっくりと肩を落としたハーティさんを引っ張り、食堂車へ移動する。揺れる廊下は歩き難く、ハーティさんが転ばないよう注意して歩いた。

 スライド式の扉を押し開け、食堂車へ足を踏み入れる。たたん、たたん、小気味良い音とレコードの優雅な音が合わさり、お洒落な空間を演出していた。

 時間帯のためか食事客が多く、残念ながら展望席は埋まっていた。係の人に案内されるまま、窓際の席に腰を下ろす。白のクロスに濃紺のクロスがかけられたテーブルには、小瓶に花と星細工が飾られていた。落ち着いた色調の照明に照らされ、窓に浮かんだ星空がよく見える。


「……とても素敵な列車ね」

「夜行列車エトワール号は、至るところに星を用いているそうです。お部屋にも星細工がありましたよ」

「えっ、何処に?」

「扉の横です。鍵を取るときに見つけました。確か天井に、一部屋一部屋違う星座を描いているとか」

「まあ! とてもロマンチックね!」

「はい」


 頬を染めたハーティさんが、両手を合わせて喜ぶ。運ばれてきた食事を取りながら、満天の星空を眺めた。わたしの視線に気がついたのか、ナイフの手を止め、ハーティさんも窓を向く。


「ねえ、メリー。これだけあるんだから、流れ星のひとつくらい、落ちてもいいと思わない?」

「流れ星ですかあ! 素敵ですね。わたしも見たいです!」

「そうよね。ええ。……んんー……、中々見つからないわね……」


 お魚ステーキを口へ運びながら、ふたりでうんうん窓を覗き込む。夜色の空を埋め尽くす煌きは瞬きのように揺らめき、ちかちかと輝いていた。昔見たシャンデリアみたいだ。

 眉間に皺を寄せて、食い入るように窓を見詰めるハーティさんへ、思いつきを口にした。


「わかりました! わたしたちが動いているから、みんな流れ星なんです!」

「え? ええっ、何だかそれ、ずるくないかしら!?」

「そうですか? うーん、名案だと思ったのですが……」


 サラダをつつきながら、ううんと首を捻る。小さく噴き出したハーティさんが、上品に口許へ手を当て、「メリーらしくていいと思うわ」楽しそうに笑った。






 おやすみなさいと寝台に転がり瞼を下ろしたところで、二階がごそごそと寝返りを打つ音がした。寝心地の定まらないらしいハーティさんに、一階と代わろうかと提案を思い立つ。声をかける前に、「ねえ、メリー」うっすらと星細工が光を纏う以外、明かりのない暗闇に微かな声が響いた。


「どうしました? ハーティさん」

「……私たち、家出して、どのくらい経ったのかしら?」

「七日ですよ」

「……そう」


 微かな声が、再びごそりと寝返りを打つ。薄ぼんやりと、ものの形が識別出来る程度の視界が、二段ベッドの天井を映した。


「……お父様たち、心配しているかしら?」

「それは勿論。こんなに可愛いお嬢さんが誘拐されたんですもん。気が気じゃないでしょう」

「誘拐されたのは、あなたでしょう?」

「そうでしたっけ?」

「そうよ」


 もう。ハーティさんがいつものため息をつく。ごそりと鳴った天井が、ようやく寝心地を定めたらしい。ぽつり、小さな声が聞こえた。


「……ねえ、メリー」

「はい」

「……何でもないわ。おやすみなさい」


 それ切り声は途切れ、たたん、たたん、列車の音に小さな寝息が重なる。わたしも瞼を下ろし、意識を手放した。






 旧炭鉱で用いられた線路を改修したものが、エルンテ線のトロッコ列車だ。鈍行のそれはのんびりとしており、停車駅自体が少ない。エルンテより先は地盤が緩いため、エルンテ駅が事実上の東端とされている。


「…………」


 今日のハーティさんは、元気がない。ぼんやりと窓を眺め、過ぎ行く景色を追っている。炭鉱のトンネルへ入ると窓一面が真っ暗に染まり、硝子に車内の景色が映った。

 この車両には、わたしたち以外乗客がいないらしい。いつもは何処かしらで聞こえる話し声が、一切ない。ごうごう風を切る音がトンネル内に反響し、ブレーキの甲高い音が響いた。


『――終点、エルンテ、エルンテ。当列車は折り返しとなります。次の発車時刻は――』

「ハーティさん、降りましょうか」

「……ええ」


 荷物を持って、薄暗いホームへ降り立つ。さあさあ聞こえる水音を目指して、脚を動かした。俯くハーティさんの歩幅は、いつもよりも小さい。トンネルの先にある光溢れる出口を目指し、こつり、靴音を響かせた。


「――ハーティさん、見てください。裏見の滝ですよ」


 音が近くなり、ごうごうと飛沫を上げる滝を見上げる。すり鉢状に、緑に囲まれたそこは、丸くぽっかりと空いた頭上から光を差し込んでいた。絶え間ない水のカーテンが、光の陰影できらきら輝く。

 赤く錆びた手摺りが、落下しないよう周囲に巡らされている。どうやらここは出口ではなく、裏見の滝を眺める場所だったらしい。いつもより涼しい空気が肺に満ちる。


「……ねえ、メリー」

「はい」


 後ろにいるハーティさんが、旅行鞄を両手で固く握り締めている。俯く顔はわからなかったけれど、滝の音に掻き消されそうなほどか細い声は、彼女の心情を表していた。


「……帰りましょう?」

「お疲れですか? 宿の手配をしますね」

「ち、ちがうの!」


 ハーティさんが顔を上げる。つり目がちの彼女の目には、涙の膜が張られていた。


「……うちにっ、帰るの」

「はい」

「か、考えたら、私がここにいたら、土下座出来ないじゃない! お父様もっ、私に連絡出来ないし……っ」

「はい」

「だっ、だから帰るの! 決して寂しくなったとかそんなのじゃなくて、そういう事情だからよ!?」

「はい、名案です」


 ようやく彼女のお怒りは治まったらしい。へにゃりと笑って、同意する。ほっと肩から力を抜いたハーティさんが、早々に「戻るわよ」踵を返した。


「待ってください、ハーティさん。出発までまだ時間がありますよ」

「そ、そうね。……そうだったわ」


 所在なさげに視線をさ迷わせるハーティさんを置いて、滝の裏を壁伝いに散策する。まじまじと壁に埋め込まれた石を眺め、時に屈み、うんうん石を辿った。


「メリー? 何をしているの?」

「うーん……、あっ! ありましたよ、ハーティさん!」

「な、何が?」


 一箇所を指差したわたしを不思議そうに見詰め、ハーティさんが隣まで歩み寄る。ぴんと伸ばした人差し指の先へ目を向け、彼女が首を傾げた。


「なあに? この石。ハート型にも見えるわ」

「はい! 裏見の滝名物の、ハートの石です!」

「……もうちょっと滑らかなハートでも、よかったんじゃないかしら? 自然の造形が過ぎるわ」


 半眼になったハーティさんの視線の先、偶然その形になったのだろうと思わせる、歪なハートの形。心臓を描くのなら、左右の大きさがうんと不揃いだ。それでも何となく、見ようによってはハート型に見える。


「ここ、東端の駅エルンテは、失恋旅行に来る人が多いんです。そのうちのひとりの方が、ここでハートの石を見つけました。何てことない偶然だったのですが、失意の底にいた彼女は勇気付けられ、幸せな家庭を手に入れた。といったお話があります」

「へえ。素敵な話じゃない」

「このお話の面白いところはですね、この通り石は自然の悪戯によって形作られています。ハート型に見える人もいれば、見えない人もいます。ハート型に見える人は恋愛運アップ、とのおまじないが生まれました」

「……よし。すぐに帰りましょう、メリー!」


 勢い良くこちらを向いたハーティさんの目には、闘志が浮かんでいた。あ、あれ? 戦闘意欲を盛り上げるような話だったっけ……?


「これはきっと吉兆よ! 早く帰って、お父様に直談判するの!」

「わ、わかりました。では、帰りのルートについて、相談しましょう」

「ええ!」


 すっかり元気になったハーティさんが、意気揚々と頷いた。

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