メリーさんと線路の旅03
たたん、たたん、規則的な列車の音が心地好い。頁を捲る手を止めず、微かに伝わる振動に身を委ねた。
「メリー、その本はどんなお話?」
「恋愛小説です。身分違いの恋をした男の人が、影ながら女の人を支え、いつしか女の人は男の人に恋をする、といった内容です」
「まあっ、ロマンチックじゃない! 私、そういうの好きよ!」
正面の座席に座ったハーティさんが、きらきらと瞳を輝かせて身を乗り出す。書面から顔を上げ、やんわりと笑みを返した。
「しかし、女の人には婚約者がいたのです」
「くっ、拗れるわね。最低な婚約者なら、捨てなさい」
「親の言いつけであっても?」
「くうっ。小説の中でまで、現実持ち込むんじゃないわよー!」
「あははっ、すみません」
腹立たしいとばかりに天井へ両手を突き上げたハーティさんの仕草を、くすくす笑う。しみじみと、彼女はこんなにも少女なのに、難しい問題を抱えているんだと実感した。栞を挟んで、本を閉じる。代わりに観光案内本を取り出した。
「ハーティさん、次の駅でみたらし団子買いませんか? 出発までに戻ってくれば、大丈夫です」
「なあに? そのみたらしだんごって」
「これです。お醤油とお砂糖で作ったたれを、お団子に絡めて食べるんですよー」
これ、と指差した写真には、串にお団子を突き刺した、はんなりとした和菓子が映っていた。ひくり、ハーティさんの口許が引き攣る。
「こ、これも齧り付くやつなの? メリー、あなた。提示するものがいつもワイルドだわ……!」
「あっ。ではこっちの水羊羹はどうでしょう? ひんやりしていて、おいしいんですよー!」
「……さてはあなた、両方買うつもりね?」
「えへへ。ばれましたか?」
「本当、食いしん坊なんだから!」
ハーティさんのじっとりとした目に、観光案内本で口許を隠し、照れ笑いを浮かべる。高らかな汽笛の音と、流れる長閑な景色が心地好い。ふんと腕を組んだ同行者が、「仕方ないわね。乗り遅れないように、気をつけるのよ?」許可をくれた。
小鳥の囀りが心地好い。緑に染まる視界は時折光に透け、さらさらと細波の音を立てていた。木の根が盛り上がり、歩き難い足許をぴょんと飛び越える。
「め、メリー……、もう戻りましょう……?」
「どうしました? ハーティさん、お疲れですか?」
「つ、疲れては……ッひ、む、虫!!」
おっかなびっくり身を縮めていたハーティさんが、目の前を通り過ぎた羽虫に悲鳴を上げる。ぴしりと硬直してしまった彼女は顔面蒼白で、何だか申し訳ない気持ちになった。そっか、年頃の女の子。
「ハーティさんは虫が苦手でしたか。すみません、気がきかなくて」
「あっ、あなたは平気なの?」
「はい。わたしはへっちゃらです」
一人暮らし歴はそこそこ長い。虫とか、トイレの水とか、電気の交換とか、大体のことはひとりでこなせる。
けろっと頷くわたしに、ハーティさんが悔しげに唸った。キッとこちらを睨み据え、びしりと指を突きつける。
「あ、侮らないでちょうだい! 虫如き、私だって平気なんだから!」
「そうですか? 無理はしないでくださいね」
「無理なんてしてなっ、きゃ!?」
わたしの位置からでは目視出来ない虫が飛んできたらしい。縮こまって震えているハーティさんが、正しくか弱い少女で頬を掻いた。彼女の元まで道を辿り、小刻みに震える肩をぽんぽん叩く。
「ハーティさん、わたし、お腹空きました。ごはん食べに行きましょう?」
「ほ、本当に……? 本当にお腹空いてるの……?」
「はい。ぺこぺこです! 早く戻りましょう。おいしそうなお団子屋さんがあったんです」
「それ、ごはんじゃないわ。あなた、食べてばかりじゃない……」
おずおずとわたしの上着を掴んだハーティさんが、何ごとか呟く。えへへと笑い返し、気晴らしに話題を振った。
「ここ、ニーヴェオの森にはですね、ペガサスだったかユニコーンだったかが住んでるんですよ」
「情報が曖昧すぎるわ。どっちも馬で獰猛ってことしか、わからないじゃない」
「えー。出会えたら幸運がもらえるって噂ですよ~?」
「出会うだけで幸運使い果たしてるわ!」
わたしの背中にへばりつき、ハーティさんが訴える。なるほど。そういう見方もあるのか。
次、段差ですよ。注意を促したわたしの足と、ハーティさんの足がぶつかった。うわわ!? 悲鳴を上げた彼女から、金色の何かが転がり落ちる。
「あっ、あー! 私のブローチ!!」
「下に落ちちゃったみたいですね。取ってきます。ハーティさんはここで待っていてください」
「ちょ、ちょっと、メリー!?」
地面を転がった金属片を追いかけ、背中のハーティさんの手を退ける。現在地より下方へ伸びる斜面へ靴底を当て、辺りに注視しながら山道を下りた。
「メリー! メリー!? 待って、置いて行かないでよぉ……!!」
必死にスカートを握り、メリーが駆け下りた斜面を覗き込む。すっかり見えなくなった金色の頭に、じわりと目頭が熱くなった。ざわざわとざわめく木々は心細さを加速させるし、虫は飛んでいるし、まともに顔も上げられない。
確かにあのブローチはお気に入りで大切にしていたけど、もしもメリーが帰ってこなかったらどうしよう……! ぐすぐす、瞬きを堪える。
大体、メリーもメリーよ! ブローチなんて放っておけばいいのに、私のことを放って探しに行っちゃうんだから! これでもしもメリーが遭難しちゃったら、ただでさえお腹を空かせてるメリーが倒れちゃうわ!
メリーが倒れている姿を想像してしまい、余計に背筋をぞっとさせてしまう。がさがさ、ぴいぴい、ひとりぼっちで聞く森の音はこわい。
も、もしもそのユニコーンだかペガサスがいるなら、ぱっと出てきて、ぱっとメリーのことを連れて帰ってきてほしい。そして私たちをぱっと森の入り口まで送ってほしい。うん、それがいい!
「っ、メリー……!?」
ふと空気の揺れる感覚がしたから、メリーが戻ってきたのだと思って、顔を上げた。飛び込んできた光景に息を呑む。両手で懸命に口を塞ぎ、震える脚を必死に立たせた。
――緑が折り重なる先に、馬がいた。タテガミまで真白で、木漏れ日と緑を反射する湖面に口をつけている。静まり返った周囲に、先ほどまでの小鳥の囁きはない。余りに神聖で神々しい景色に、両手の隙間から吐息が漏れてしまう。
ばさり、純白の翼を広げた馬が、こちらを一瞥した。黒い瞳が、ずっとこちらを見ている。――ぱしゃあん、蹄が高らかに湖面を波打たせた。羽が広がる。伸びやかに、逞しく。
「ハーティさあん!! ありましたよー!!」
「ぴぎゃああああ!!!!!」
「は、ハーティさん!?」
背後から背中を叩かれ、自分の喉から淑女らしくない悲鳴が上がった。こちらを覗き込んでいるのは見知ったメリーで、折角私が朝から整えた頭には、いくつもの葉っぱを貼り付けていた。
はっと、湖面の方へ顔を向ける。そこには先ほどの馬はおらず、何ごともなかったかのように水面も静かに揺れていた。
――本当にメリーが帰ってきた。一気に緊張感から解放され、おろおろと狼狽するメリーにしがみつく。
「う、馬がいたのよ、メリー!」
「お馬さんですか?」
「真白で! 羽が生えてて!!」
「わあっ、天馬さんですね! いいことありますよー!」
「メリーあなた! 本当に信じてる!?」
「ハーティさんの言うことを、わたしが疑うわけないじゃないですかー」
「本当に、本当!?」
「本当です。はい! ブローチ、これでしたよね?」
にこにこと両手を差し出したメリーが、金色のブローチを見せる。……土下座してほしい婚約者からもらった、唯一の贈りもののそれを、お礼を言って受け取った。
――ブローチまで帰ってきた。天馬の幸運の噂は、本当なのかしら?
「……メリー。あなたとこのブローチなら、あなたの方が大事なんだからね。今度は無茶しないでちょうだい」
ぶっきら棒に呟いた私の言葉に、きょとんと瞬いたメリーが、綺麗な顔をふにゃふにゃに緩めて頷いた。
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