ハーティさんとケニーさんのお散歩01
その日初めて、メリーの古書店に『closed』の札がかかっているのを見た。ケニーと並んで、ぽかんとお店を眺める。
「この店、閉まることがあるんだな」
「私も驚いたわ。だってメリー、いつもカウンターでごろごろしているもの」
お茶淹れますね! の笑顔で差し出される昆布茶と、店番と称した読書タイム。私の雑談にも相槌を打ってくれるメリーが店を閉めているなんて、前代未聞だわ……。
「どうしたのかしら、メリー。お腹壊しちゃったのかしら……?」
「仮にも俺たちよりも年上の女性への言葉じゃないだろ、それ」
「だってメリーよ? 食いしん坊を発揮させて、うっかり食べ過ぎたのかも知れないわ」
「……カインがいるから、さすがに大丈夫だろ」
「そうね……。カインはしっかりしているから、大丈夫よね」
そうだったわ。カインがいるもの。メリーの食いしん坊だって、きっと止めてくれるはずだわ。
「……? 何だ、これ」
徐に屈んだケニーが、植え込みから白い封筒を見つける。ぴらりと表に返されたそこには、メリーの字で『ハーティさんとケニーさんへ』と書かれていた。
はたと瞬き、ケニーと顔を見合わせる。彼が差し出した封筒を受け取った。中には二つ折りにされた便箋が一枚入っており、何処か気の抜けたメリーの文字が並んでいる。
ええっと、なになに……?
『
今日はとっても良いお天気ですねー。こんな日は、おふたりでお散歩なんか如何でしょうか?
ついでにおつかいを頼まれていただきたいのですが……なんちゃって。
購入した品物は、下記住所まで届けてもらえると助かります。メリーはここにいます!
追伸。お財布は郵便受けに入っています。それでは、よろしくお願いしますね!
おつかいメモ
1……
』
「買いに行かせる気、満々じゃないか」
「メリーったら……!」
おつかいメモと、お店の場所と思わしき住所の羅列まで目を滑らせ、思わず唖然としてしまう。立ち上がったケニーが郵便受けを開けると、中にはがま口財布が収められていた。
それ、家出中に何度も見た、メリーの財布じゃない!! ちょっとメリー!? いくらなんでも無用心過ぎないかしら!?
「も、もう! メリーったら!!」
「財布を置いていくのも、財布を預けるのも、無用心だろう。大丈夫か? あの店主」
「今心配してるとこ! メリーったら、一度しっかり注意してあげなきゃ!」
再度手紙の下半分に記されたおつかいメモに目を通して、深くため息をつく。
全く、メリーったら。おつかいをお願いするのなら、もっと別の方法にすればよかったのに!
「行くわよ、ケニー! 最初は……あ、あんころ餅?」
「何だ? それは」
「わからないわ……。でも、メリーのことだから、絶対に食べものよ」
「……あの店主、そんなによく食うのか?」
「そうなの! 聞いて、ケニー。メリーったらね」
ケニーに、如何にメリーがよく食べ、なのにスレンダーな体型を維持しているかを話す。メモに記された住所を目指しながら喋る。
最近気付いたのだけれど、ケニーは静かに相手の話を聞くタイプだった。時々しか相槌を打ってくれないから、以前の私なら、「話を聞いてくれない!」と怒っていたところだ。
……ええ、私の勘違いだったのよ。ケニーは存外に私の話を聞いていたし、何だったら過去に話した内容も覚えていた。
機嫌良く話していたかと思えば、突然怒り出す私は、よっぽどケニーの目から見て不可思議な存在だったんだと思う。ああっ、穴があったら入りたい……! いつもケニーがぽかんとしていたのは、そういうことだったのね……!
「……ケニー」
「何だ?」
「あなたって、損なタイプよね」
「喧嘩なら言い値で買うぞ」
「違うわよ、自己嫌悪しているの!」
街中であるため声量は抑えてあるが、胸の内の苦痛を吐き出す。怪訝そうな顔をするケニーを見上げ、彼に指を突きつけた。
「私たち、言葉が足りなすぎるの。特にあなたはもっと言葉にしなさい!」
「……お前が喋り過ぎているだけだろう」
「本当、そういうところよ!」
きい! 感情的になって、ケニーを置いて街路を渡ろうと足を踏み出す。不意に肩を抱かれて引き寄せられた。目の前を通行人と辻馬車が走る。
「注意力散漫」
「うるさいわね!」
「店、あそこか?」
指差された街路の先に、メリーに指定されたお店の看板を見つける。メモと見比べ、こくこく頷いた。よくやったわ、ケニー!
周囲を確認した彼が、私の手を引き大きな通りを横断する。繋がれた手に慌てた。……はわわっ。
あんころ餅、カスドース、琥珀糖……メリーのおつかいは馴染みないお菓子ばかりで、ケニーと一緒にメモを覗きながら首を傾げた。そしてこんなお菓子が売られていることにも驚いた。
ケニーはお菓子をあまり食べない。なので、おつかいの品を探す度に、彼は興味深そうな顔で店内を見回していた。
カスドースのときは、カスドースがカステラをフレンチトーストにした上で、更に砂糖をまぶしたものと聞いて、「……甘そうだな」と渋い声で感想を述べていた。
ちょっと引いた仕草が可愛く見えたとか、そんなことは決してない。
「次がマカロン――あっ、私このお店、知っているわ!」
青空が半分以上茜色に染まり、ケニーの髪色とそっくりな色になる。私が上げた声に、彼がこちらを振り返った。
記載された住所を読み直して、現在地からうろうろと辺りを見回す。頭の中の地図を引っ張り出して、ケニーに伝わるようにお店の方向を指差した。
「あっちの方にあったと思うの」
「わかった」
私が持つメリーのメモを一瞥し、ケニーが私の手を引く。今日一日で回数を忘れるほど手を繋いだけれど、瞬間的に頬が火照って俯いた。
「ね、ねえっ、ケニー」
「何だ?」
「その、……手」
先導していたケニーが肩越しにこちらを振り返り、切れ長の目を瞬かせる。緩く繋がれた手はあたたかくて、すっかり私の体温と飽和してしまっていた。むず痒い心地がとても落ち着かない。
「……嫌だったか?」
「いいえ、そうではないの。ただそう、……気恥ずかしいの」
「なら問題ないな」
「あなた本当、そういうところよ!」
離れかけた手が握り直され、歩みに合わせて引かれる。
あああッあなたね! 絶対今、私のこと弄んでるでしょう!? ぐぬぬと唸る心境で、前を歩くケニーを睨みつける。歩調を緩めた彼が、大体隣からこちらを見下ろした。
「これまでやらなかったから、これからする。だから慣れてくれ」
「は!?」
「良かったな、夕日。誤魔化せるぞ」
はにかんだ彼が前を向き、元の歩調へ戻る。必然的に引き摺られる私は心臓との戦いに必死で、大変なほど上がった体温を鎮めることに全力をかけていた。
ケニーが示したように、夕日は空も空気も赤く染めてくれるため、きっと私の頬の熱さも誤魔化してくれる。けれどもちらと見上げたケニーの、赤毛から覗いた耳に色がついているかどうか、確認出来ないことが勿体なかった。
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