ケニーさんと仲直りまでの道01

 ハーティスが家出などという突拍子もないことを仕出かしてくれたお陰で、俺は両親から説教を食らった。母には泣かれ、父からは拳骨を食らわされた。中々古典的な説教の方法だろうが、これが意外に精神的にくる。今後『彼女』とは関わらないよう誓約書を書かされ、不貞腐れながらも頷いた。

 この約束を違えれば、待ち受けている未来は勘当と廃嫡だろう。そのくらいわかる。いくら口煩い婚約者のことが苦手だからといって、いつまでも駄々を捏ねてもいられない。恋情は捨てきれなかったが、保身のために『彼女』へ別れを告げようと思った。


「――ッ、」


 校内をさ迷い歩き、見つけた後姿へ『彼女』の名前を呼ぼうと息を吸い込んだ。そのまま吐き出したそれは音にならず、縫い止められたかのように脚が動かない。


 華奢な肩と寄り添うように、親しげな仕草で男が話している。笑みを零す『彼女』は蕩けるような幸せに満ちた顔をしており、彼等が親密な仲にあることを悟らせた。

 ――何故? 俺が『彼女』の傍を離れたのは数日程度だ。何故、ここまで親密な仲の異性がいるんだ?


「ケニーくんはいつも前を歩いてくれるから、私、嬉しい」頬を染めて微笑んでくれた『彼女』の言葉が、歪んで脳裏に響く。


 音を立てないよう注意して脚を下げ、その場から離れる。自分がひどく混乱していることだけはわかった。同時に、決定的な失恋の瞬間に立ち会った。『彼女』にあんな親しい男がいるとは思わなかった。俺自身の立場もある。

 ……胸は引き裂かれそうなほどに苦しいが、『彼女』の幸せを願おう。後日改めて祝福しようと、その日は自宅で冷や水を被って、メイドに驚かれた。



 翌日、『彼女』の姿を探して、校内の中庭へ向かった。『彼女』とはよく屋上で会っていたが、そこには誰の姿もなかった。

 外廊下から庭を見遣ったとき、『彼女』の髪色を見つけた。ベンチに座っているらしい後姿へ声をかけようと近付き、ふと、ベンチから二本の脚が伸びていることに気付いた。ぴたり、俺の歩みが止まる。疑問符が大量に脳内に浮かんだ。


 男子生徒の制服であるズボンと角度から察するに、その人物は『彼女』の膝に頭を乗せているらしい。

 ……校内で何と大胆な。苦々しい思いで顔を背け、その場を離れようと踵を返す。失恋の直後にこの光景は、中々えぐいものがあった。胸が痛くて苦しい。

けれども――ごそり、衣擦れの音を立てた背後に、うっかり振り向いてしまった。


(……? 昨日とは違う男?)


 昨日の男は黒っぽい髪色をしていたように思う。今日の男は金髪だった。……どういうことだ?

 疑問に首を傾げた俺の前で、男が『彼女』の額に唇を押し当てていた。頬を真っ赤に染めた『彼女』が、抵抗なく男を見上げている。ここからでは話し声は聞こえないが、とても親密な様子で……んん!?






「うおわ!? ケニー? お前、大丈夫か?」

「腹を斬りたい……」

「やめろやめろ。物騒なことを言うな」


 友人のロイスが勝手に俺の前の席に座り、こちらを覗き込む。どんより落ち込んだまま、その顔から逃れた。


「……なあ、三股かけられたとき、お前ならどんな顔をする?」

「あー……ご愁傷さま」

「知っていたのか?」

「あの子、やり手だからなー」


 髪がばらつくまま顔を上げ、正面に座る男を見遣る。ひらひらと手を振った彼が、苦笑とともに肩を竦めた。


「ま、良かったんじゃないか? 気付けてさ」

「……知っていたなら教えろ」

「教えて聞いたか?」

「……腹を斬りたい……」

「やめろやめろ」


 呆れ顔に見下ろされ、ごつんと机に額を打ち付ける。椅子の背凭れで頬杖をついた友人が、気軽な調子で俺の頭をぺんぺん叩いた。……おい、やめろ。


「目が覚めたんなら、婚約者ちゃん大事にしてやれよ? 今のお前なら、俺も友達続けられるわ」

「……ああ、すまんな」

「おうおう。恋は盲目っていうしな! 火傷する前でよかったな!」


 にんまり口角を持ち上げ、「お大事に!」ひらひら手が振られる。机に突っ伏したまま後姿を見送り、踊らされていた自分の愚かさ加減に腹を斬りたくなった。






 二日連続冷水を頭から浴びたわけだが、冷静になったかと問われればそんなことはない。

 容易く踊らされた自身への腹立たしさと、耐え難い屈辱。糾弾せずに抑えている自身を褒めたい。

 ここで俺が『彼女』を非難したところで、生産的とは思えない。『彼女』の取り巻きは俺の抗議を負け惜しみだと嘲笑するだろうし、家で交わした誓約書に楯突くことになる。それは本意ではない。


 まず俺の現状は、首の皮一枚で生き長らえている状態だ。迂闊な行動を取れば、勘当は確実だろう。婚約者であるハーティスの怒りを解くことが、俺に課せられた最重要課題だ。


「おい、ハーティス!」

「うるさいわね! 話しかけないでちょうだい!!」


 こんな調子だがな!!


 ハーティスとの付き合いは長い。祖母同士が親友だったとかで、互いに生まれた子どもを結婚させたかったらしい。

しかし子どもは同性。ならば孫へと期待をかけたとかなんとか。つまりは祖母同士の「ずっと友達でいようね!!」の集大成が、俺とハーティスの婚約だ。


 はっきり言って、性格が合わない。俺は短気であるし、ハーティスは強気だ。顔を合わせて2秒で喧嘩だ。お互いにどうにかしようと試みるも、長年の水掛け論が皮肉を助長させる。

 ハーティスは世話焼きの過干渉だが、俺は自分のことは自分でしたい。襟くらい、口で指摘されれば自分で直す! 放っておいてくれ!


「待てと言っているだろう!」

「知らないわよ!! 追ってこないで!!」


 引っ掴んだ鞄の取っ手が握力でぎしぎし悲鳴を上げている。忙しない速度で前を歩くハーティスに立ち止まる気配は一切なく、ぎりぎり込み上げてくる苛立ちに舌打ちしたくなった。

 耐えろ。今回のは完全に俺が悪い。ハーティスも意固地だが、家の意思に反したことは俺の責任だ。ハーティスが家出しなければ、確実に俺は廃嫡されていただろう。だから謝罪と礼を述べなければならない。


 全く話を聞いてもらえないんだがな!!


 ハーティスの悪い癖は、人の話を聞かないところだ。思い込みも激しく、怒りっぽい。特に俺に対して苛烈に当たる。道行く女性を目で追っただけで肘鉄を食らうんだぞ!? そこまで悪行か!?

 もういっそ、誠意と称して腹を斬るか!? 話を聞いてもらう隙がないのなら、作るしかないだろう!


「ハーティスッ、」

「ついて来ないでと言っているでしょう!!」


 お前、俺がその言葉を真に受けて帰ったら、次の日烈火のごとく怒っていただろう!? あまのじゃくか!! わかりにくいわ!!

 罵倒を受けながら黙々と脚を動かす。学園を離れれば公道だ。そのくらい弁える。

 ハーティスは急ぎ足ではあるが、なにぶん俺の歩幅よりも圧倒的に狭い。ずんずん苛立たしげに街路を進む彼女が、人通りの少ない道へ入った。


「……おい、何処へ向かうつもりだ」

「あなたには関係ないわ!」


 あと三回拒絶されたら、腹を斬ろう。決めた。

 周囲を見回す。……ハーティスの自宅の方向とはずれている。近道とも言い難い。寂れた印象の街路に警戒しながら、先行するハーティスとの距離を詰めた。……こいつ、少しは自分が金持ちの格好をしていることを配慮しろ。


「ついて来ないでと言っているでしょう!?」


 振り返ったハーティスが、目をつり上げ怒鳴る。きんっ、と響いた甲高い怒声に眉をひそめた。彼女の口を片手で塞ぎ、自身の唇に人差し指を立てる。


「治安が悪い。あまり大きな声を出すな。用があるなら、さっさと済ませろ」

「ッ! ケニーのくせに!!」


 雑過ぎないか!? その罵倒!!

 俺の手を振り払ったハーティスがひとつの建物へ近付く。開かれた薄ぼけた扉が、ばたんっ!! 騒々しい音を立てて閉められた。……思わず頭上を見上げる。……鳥になりたい。


 渋々建物へ近付き、扉の横にかかる木の板に目を通す。『古書店』と小さな文字の綴られたそれに、首を傾げた。

 ハーティスは本を読まない。むしろ、俺が読書すると機嫌が悪くなる。……違うな。あいつは俺が何をしていても機嫌が悪くなるんだ。こうも苛立たせてしまうのなら、いっそハーティスの希望通りに、婚約を解消してやった方がいいんじゃないか?

 ……いや。そうするとイアハート家の名に傷がつく。俺から婚約を解消してしまうと、ハーティスの嫁入り先が潰えてしまう。ままならない世の中だな……。


 ずっしりと重たい心地のまま、店と思わしき建物の扉を開ける。ふわりと動いたインクと古紙のにおいと、埃っぽさ。ひしめき合う本棚の間にいた黒髪の青年が、こちらを向きやんわりと微笑を浮かべた。


「いらっしゃいませ」


 彼の落ち着いた声が、環境音のように響くハーティスの怒声に掻き消される。あの男、何の魂胆で……! 聞き取れたヒステリックな声は、その一文だった。

 ……よし。父上に切腹の許可でももらうか。謝罪する隙すら作らないあいつが悪い!


「あれ? お客さんですか~?」

「ケニー!? あなたっ、ここまでついて来るなんて、どういう了見よ!?」


 女心がわからん。帰れば怒るくせに、帰らなければ怒られるとは、どういう了見だ?

 頭を乱雑に掻き、苛立たしさを込めてため息をつく。店主らしい若い女とハーティスへ据わった目を向け、即座に閉じたばかりの扉の取っ手を掴んだ。


「邪魔した」

「まあまあ。折角来たんですから、お茶でも一杯どうですか?」

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