第5話 アベル視点――貴族家の次男

 ケンジ―・ランドルフ、公爵家の次男。


 オレと同じく次男であるということにまず共感を覚えた。

 そして学園を首席で卒業し、卒業と同時に学園の教師になったというプロフィールに希望を覚えた。次男であっても兄より優秀な人間になれるのだと。

 オレは彼に憧れるようになった。


「平民を養子にするなんて、まったく。貴族の面汚しよ」


 母親がそう言っているのを聞いてしまった。


 オレが長年憧れを抱いてきたひとが貶されるのを聞いた時、オレは母親に嫌悪を抱くのではなく、憧れてきたそのひとに憎悪を抱いてしまった。

 どうして憧れに相応しい行動をしないのかと。

 どうしてオレが憧れるに相応しい人間でいてくれなかったのかと。


 やがてオレと同じクラスに件の平民が入ってきた。

 こいつが憧れのひとを堕落させた張本人なのだと思った。

 だからオレは非常に子供っぽい手段で度々彼に危害を加えた。

 当時まだ十歳を過ぎたばかりの子供だったとはいえ、今思うと幼稚に過ぎた。


 だってその平民はオレがどんなに虐めても能力を伸ばし続け、遂にはオレには手の届かない領域にまで至ったのだから。虐めなんて無意味なことだった。

 あのひとが養子にするくらいなのだから、彼はきっと人間ではないのだ。化け物か何かだ。今はそう思うことにしている。


 高等部に入り、憧れのひとがオレの教師となっても憎悪はそのままだった。

 オレは彼に冷たい態度を取り続けた。なんと愚かだったことか。

 それでもそのひとはオレに優しくし続けてくれた。

 あのひとはオレを守ってくれたのだ。


 その日、オレは学園の廊下で兄上に叱責されていた。

 この前のテストで平均点を下回る点数を取ったからと。


 兄上は決して母親の期待を裏切ったことはなかった。

 優秀な兄上は母の愛情を一身に受けて育った。

 兄上は母がオレを叱責する様をいつも見ていた。

 そして母の元を離れて寮で生活するようになった今は、自分が母の代わりにオレを叱責する権利があると思っているのだ。


 "お前の為を思って言っている。"


 兄上は母とまったく同じ言葉を口にした。

 兄上は自分の嗜虐欲に気づいてもいなかった。


 オレには分かる。

 兄上がオレを叱責する度に、オレがケインを虐めていた時とそっくりの快感を得ていると。


 そんな時だった、あのひとが通りがかったのは。


「アベルは劣等生ではない。オレの自慢の生徒だ」


 そう言ってくれたのだ。

 オレはあのひとに碌な態度を取らなかったのに。

 オレは情けないことに涙が止まらなかった。


 それから、オレは素直ではないながらも彼のことを少しずつ頼るようになっていった。

 彼に個人的に授業を付けてもらったことすらある。

 今ではもはや彼とオレは師弟のような関係だ、とオレは思っている。


 そして……いつからだったろうな。

 彼に対していけない感情を抱くようになってしまったのは。


 師弟のような関係では満足できない自分がいる。

 彼にとってのたった一人の人間になりたいと思ってしまった。

 なんて浅ましい。その胸の内を独占したいだなんて。


 だから、彼にその手紙をもらった時には心臓が止まるかと思った。


「明後日の朝、八時に中庭のトネリコの木の下で待つ。少し話がある。」


 中庭のトネリコの伝説。

 そこで想い人と待ち合わせをすれば恋が叶うという。


 先生はその話を知っていてこんな手紙を送ったのか?

 でも結構天然だからなあの人。知らない可能性もある。

 いやもしくはオレの想いまで見抜いた上で、あえてトネリコの木の下でオレを振るつもりなのではないか?


 良い想像も悪い想像も滅茶苦茶に頭の中を飛び交った。


 そして当日。

 彼はトネリコの伝説を知らないと言った。


 大して落胆はしなかった。いや、少しだけした。

 予想通りではあった。彼がそんな幼稚な話を信じる訳はない。


 でも、この事実はオレを勇気づけた。

 運命の女神が「彼に恋してもいいのだ」と言ってくれているような気がした。


 ……けど、額に口付けを落とすなんて流石にやり過ぎた。舞い上がっていた。

 もう彼にもオレの恋心は透けて見えているだろう。

 しばらくは彼と顔を合わせられる気がしない。

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