第16話 アベルへの告白
「それで先生、話ってなんですか」
中庭。
あのトネリコの木の下にオレとアベルはいた。
まるで昨日の繰り返しのように。
今日は走ってきた訳でもないのに、アベルは同じように頬を赤らめていた。
まさか熱があるんだろうか、大丈夫かな。
アベルに「話がある」と言ったら次の時間は授業がないらしく、素直について来てくれた。昨日も突然手紙で呼び出しておいて碌な話をしなかったのに、ありがたいことだ。
でも今日はちゃんと彼に話さなければならないことがある。
「ああ、うん……スワンプマンって、知ってるか?」
アベルにそう切り出した。
「スワンプマン? 魔物の名前ですか?」
どうやらこの世界にはその思考実験は存在しないらしく、アベルは首を傾げた。
「いや思考実験というやつだよ。ある男が不運にも沼のそばに雷に打たれて死んでしまう。この落雷が偶然にも沼の汚泥と化学反応を起こして死んだ男とまったく同一のものを生成してしまう。この時生まれた存在をスワンプマンと呼称するんだ。スワンプマンは死んだ男とまったく同じ見た目をしていて、知識や記憶も同じものを持っている」
「うーん、魔術法則的に言って雷が落ちたくらいでそんな現象が起きるとは思えませんが」
アベルは現実的なことを口にして眉を顰めている。
「あり得るかどうかはどうでもいいんだ。これは思考実験だからな。この"死んだ男"と"スワンプマン"は同一人物と言えるかどうかを考えるのさ」
「なるほど、そういうものですか……」
アベルが口元に手を当て考え出す。
その真剣な表情に、やっぱり真面目な子なんだなと感じる。
「知識も記憶も死んだ人間とそっくり同じなんですよねスワンプマンは。とするならば取る行動も死んだ人間同じで、他人からは見分けが付かない。いやスワンプマン自身にすら死を自覚できない。そうですね?」
「ああ、その通りだ」
彼はやはり頭がいい。
魔力量だって人より多いし、充分優等生の部類に入る。
ただ同級生に完璧チート息子ケインがいるのが可哀想だ。
あれと比べられればどんなに優秀であっても見劣りしてしまうだろう。
「なら、死んだ男とスワンプマンは同一人物なのではないでしょうか。取る行動が同じならば起こす事象も同じ。起こす事象が同じならば、それは同じ人間です」
彼の言葉がじんと胸に染みる。
ケンジ―・ランドルフと同じ人間だと胸を張っていいと言われたような気がした。
いや、そんな訳はない。
真実を知れば彼もオレを糾弾するだろう。
「じゃあもし、そのスワンプマンに死んだ男とは違う異物が紛れ込んでいたら?」
「ええと、異物とは一体どんなものですか?」
当たり前の質問だ。
オレは勇気を持って口にする。
「例えばまったく違う人間の記憶や、知識だ」
「……元の男の記憶や知識もあるんですよね?」
「ああ」
ベンチに腰掛けながら、アベルが考え込むように頭上のトネリコを見上げる。
「それなら、スワンプマンの選択次第だと思います」
「選択?」
アベルの色素の薄い金髪が風に揺れていた。
トネリコの枝葉を見上げる蒼い瞳が綺麗だと思った。
「はい。二つの記憶が存在してるならば、スワンプマンは元の死んだ男と同じ行動を取るか、紛れ込んだ異物の意思に従うか選べるはずです。だから同一人物になるか、違う人間になるかはスワンプマンの選択次第です」
「スワンプマンが、選べる……」
つん、と鼻の頭が痛くなる。
オレの考えは半ば間違っていたのかもしれない。
今ここにいるのはオレだ。
この身体からオレを追い出せば元のケンジ―・ランドルフが戻ってくるかも分からない。オレがケンジーでいることを諦めれば、それは息子たちからケンジ―を永遠に奪うのと一緒かもしれない。
オレはケンジ―でいる義務があるのだ。
「なんて、答えになってないかもですけど」
アベルがこちらを振り返って照れ笑いする。
そんな彼を見て、彼を裏切りたくはないと思ったのだった。
「アベル、聞いてくれないか」
だからこそオレは彼に話すことにした。
それはオレがケンジ―でいる為に必要なことだから。
ケンジ―ならばきっとそうしただろうから。
「オレは君に告白することがある」
「え……っ!?」
オレがそう言いだした途端、アベルが耳まで真っ赤になって狼狽えた。
まだ何も言ってないのに。
「アベル、オレはな……ケンジ―・ランドルフじゃないんだ」
オレの言った言葉を理解できていないかのように、アベルの表情が固まった。
「オレの名は蘭堂健治。この世界の人間じゃないんだ。オレの告白を聞いてくれるか」
そうしてオレは彼に生前の話を滔々と語り出したのだった。
そして、すべての話を聞くとアベルは…………
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