第二部07

「ルイス教授はこんな遺書を残していた。……読むかい?」

「ええ、読ませてください」


 手紙を受け取るアネモネ。

 封筒から一枚の手紙を取り出すと、彼女はその文章に驚愕した。


「……どうした?」

「…………失敗した」

「え?」

「失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した、失敗した」


 延々と、一つの言葉を繰り返していくアネモネ。壊れてしまったんじゃないか、と思ってしまうぐらいだった。

 しかし、私にその文面を見せると、彼女が壊れていないことを思い知らされた。

 肉筆で書かれたその文章は、延々と『失敗した』という単語を書き連ねていたのだった。


「実は、彼は精神病院への転院も検討されていてね。正確には、重複治療と言えば良いか。複数の科にかかっておくこと、だったらしいのだが、それよりも早く亡くなってしまった」

「C-27事件のことを、悔やんでいたんだ」

「C-27……何だって?」

「魂を持った機械人形が、機械人形研究所にて誕生したと言われている事件のことです。残念ながら、それは上司の命令により『処分』されてしまったようですが」


 深谷教授の問いに、私は答えた。


「成る程……。ルイス教授は本当にそのようなものを作り上げていた、というのだな」


 言ったのは、深谷教授だ。

 その言葉に、アネモネは頷く。


「本当ならば、彼に出会って話を聞きたいところだったけれど、死んでしまったというならば、仕方無い。もう一つの藁に縋るしか無い、ということになるかしらね」

「もう一つの藁?」

「如月英次よ。彼に出会って話を聞きましょう。先ずはそれからよ」


 そう言って。

 アネモネは立ち上がる。


「案内してくださるかしら? 如月英次の元へ」


 その言葉を聞いて、深谷教授は溜息を吐きながらそれに従うように立ち上がると、私の部屋を出て行った。



   ◇◇ ◇◇ ◇◇



 工学学科棟は、私の部屋がある生物学科棟から少しばかり離れていた。だから当然歩くことになるのだが、それについては致し方無い。私達にとってみれば、その歩く行為すらもったいないと言わざるを得ない事態であるのだが。

 工学学科棟の一室、その扉の前に私達は案内された。深谷教授は深い溜息を吐くと、


「ここが、如月教授の部屋だ。一応言っておくが、くれぐれも粗相の無いようにしてくれたまえ。私が困るのだからな」

「分かっています」


 トントン、とノックをする。


「入りたまえ」

「失礼致します」


 私達はそのやりとりを交わした上で、中に入っていった。

 老齢の男性が、部屋の奥に立っていた。

 部屋の中は綺麗に整えられており、壁一面にあった本棚も綺麗に本が纏められていた。私の部屋と比べると雲泥の差だ。人間はここまで部屋を綺麗に出来るものなのだろうか、等と思いながら私は目の前に立っている老齢の男性に着目する。


「貴方が、如月英次ね」


 言ったのは、アネモネだった。

 突然無礼を働いてしまい、私達は困惑する。


「大英帝国人というのは、突然人間の名前を呼び捨てにするものかね。……まあ、この大学でしか通用しない名前と言われればそれまでかもしれないが」

「す、すいません。如月教授。私は一応注意せよ、と言ったのですが……っ!」

「まあ、良い。私と君の仲では無いか。ここは無しにしようではないか」


 老齢の男性は、かなり温和な性格に見えた。

 その温和な性格を崩さないようにしなくてはならない、と思っている私達であった。


「ところで、一体何のご用ですかな? 私はこれでも忙しい。だから、少しゆっくりしている時期では無いと言い難いのですがね」

「マーティン・アポカリプトと何の研究をしていた?」


 アネモネは、無駄話をするのが苦手な性格だということが良く理解できた。


「ほう……。その名前を聞くことになろうとは。さては彼の研究を狙う『賊』か何かですかな?」

「そう言われても仕方無いかもしれないわね。けれど、私達はあくまでも大英帝国の成長のために存在しているの。賊と言われちゃ、溜まった物じゃないけれど」

「では、何故?」

「何故、とは?」

「何故貴方達はマーティン・アポカリプトの研究をつけ狙うのですかな?」

「それは……大英帝国の成長のためであって……」

「機械人形の研究が? 人間の死体を使って作り上げることの出来る機械人形、それが何のために役立つというのです」

「それは……!」

「機械人形研究は呪いの研究ですよ。人間の命を再び吹き込むことが出来る研究なのですから。神の裁きを受けても致し方無いことだと思っています」

「……貴方は、キリシタンか何かですか?」

「生憎、神は信じていませんよ。きっと、機械人形の研究をする人間は全員神のことを信じていないでしょう。マーティンも、恐らくは」

「そのマーティン・アポカリプトに私は、私達は出会いたいのです。何でも良いのです。何か手がかりをいただけないでしょうか」

「ふむ。手がかり、ですか」


 顎に手を当てた老齢の男性は、何か考えるような仕草を見せる。

 マーティン・アポカリプトは、いったい何者なのだろうか、とふと私は考えてしまう。マーティン・アポカリプトは確かに機械人形研究の第一人者であり、魂を持つ機械人形を作り上げた人間としてみれば、その研究ではもっとも秀でた存在だと言えるだろう。

 しかし。

 しかしながら、だ。

 そのマーティン・アポカリプトに一度も出会えていないのが、とても不思議な話である。

 雲を掴むような話だと言われればそれまでだが、マーティン・アポカリプトがいったい何者であるのかが見えてこない。そもそも実在するのかも怪しくなってきたレベルだ。


「マーティン・アポカリプトとは何回か手紙を交わしたことがあるから知っている。彼は神を信じていない。そして、娘を生涯ずっと愛していた」

「生涯……?」


 それじゃ、まるで。

 マーティン・アポカリプトがもう死んでいるような存在じゃないか。


「マーティンは死んでいるのですか? それとも生きているのですか?」

「分からない。私には見えてこないよ。ただ、君たちは『手がかり』を既に手に入れているはずだ。私に出会っている、ということはね」

「まさか」


 アネモネはポケットから手紙を取り出す。

 それは、ルイス教授に受け渡されるはずだった、彼からの最後の手紙。


「それに、全てが書かれているはずだ。今、君たちが何処へ向かうべきなのか、を」


 そう言って、彼はある一枚の手紙を差し出した。


「これは……?」

「マーティンが私に差し出した、最後の手紙だ。きっと、その手紙と同じ内容が書かれているはずだよ」


 その手紙には。

 いったい何が書かれているのだろう。

 そういえば移動している間、確認していなかったような気がする。

 私達は、仕方無くというかなんとなくというか、彼の部屋を後にすることにした。

 彼からはこれ以上何も得られない、とアネモネが判断したためである。

 深谷教授とも別れることになった。彼曰く、「忙しくなってきたから後のアシストは任せたよ」とのことだった。まったく、自由な人間だと思う。私のことを通報したくせに、何を暢気なことを言っているのだろうか。

 手紙の内容は、簡単なものだった。

 ロシアの東部に位置するウラジオストックの山間の村に、彼は住んでいるのだという。

 そしてそこで、機械人形の研究を続けているのだという。

 老齢の男性から受け取った手紙にも同様の内容が書かれていた。

 きっと彼からの最後の生存確認、のつもりだったに違いない。

 私達は、前に進むしか無い。

 未だ前に進む手がかりを得られたのだ。

 そう思って、私達は次の日にも日本を離れることになるのだった。


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