第19話「帰還」

 まさか、戦国時代に来ることになるとは思わなかった。

 まさか、本物の刀を振って人を斬ることになると思わなかった。

 まさか、同級生と決闘することになるとは思わなかった。


「おかしいのは……分かってる」


 誰が望んで友達と真剣勝負をしようか。

歴史の舞台である本能寺において、キコとマキは刀を向け合っていた。

剣の扱いならば自分のほうが上のはず。けれど、運動能力でいえば普段から部活で体を動かしているマキのほうが上。相手が勘をつかむ前に、こちらが疲れる前に決着をつけなければ。


「やらないと前には進めない!」


 意味の分からない、理不尽すぎる世界では、言葉なんてほとんど意味をなさなかった。武士の流儀に従って刀で解決するしかなかった。

無理を通せば道理が引っ込む。そう信じて、キコは積極的に攻撃に出ていた。

 文字通りの真剣勝負に手加減なんてできない。神経を研ぎ澄まし、相手の動きを読み、最良の一手を見つけては刀を打ち込む。

 マキのセンスはよかった。キコの動きに合わせて、確実に打ち払ってくる。

 何度も打ち合い、手がしびれてくる。力の限り振り回し、細かい動きでステップを踏み、息が乱れてくる。

 息苦しい。熱い。炎が伸び、火の粉が散る本能寺は決闘場としては最悪だ。

 意識が飛びそうになるのを必死にこらえて呼吸をする。体が重い。酸素がもっとほしい。

 キコは刀を振り上げるのがきつくなり、ついに刀を支柱にして体重を預ける。


「おい、へばってるぞ……」


 マキも相当つらいはずだが、まだ余裕があった。姿勢を正して大きく呼吸をする。これがスポーツ少女との差なのだろう。

 あと何度も打ち合えそうもなく、キコは次の一撃に勝負を賭けるしかなかった。

 力押しで行っても負けるのは分かっている。ならば、不意を突くしかない。

 キコは刀を下段に構え、真っ正面からつっこんだ。

 マキは落ち着いて、まっすぐ切っ先をキコに向けて刀を構える。


「たああああーっ!」


 下から上にすくい上げるように振り上げる。

 マキはその動きに合わせ、上から叩きつけてくる。

 刀が激しくぶつかり合い、手に強い衝撃が走る。腕ごとどこかに飛んでいったのではないかという感覚。腕の先に手はついているのか。指は刀を握っているのか。確かめる必要なんてない。


「マキぃぃぃぃ!」


 キコは体ごと突っ込み、全体重を乗せてマキにぶつかった。


「うぐっ!?」


 その重さには耐えられず、マキがよろける。

 あと一歩!

そのままキコは肩で押しやり、マキを突き倒した。


「あぐっ!!」


 マキは背中から地面に衝突する。

 呼吸する時間なんてない。帯に挿していた小刀を引き抜いて、マキの首元に当てる。


「私の勝ち……でいいよね……」


 正しく台詞になったか分からない。体が酸素を求めて口から酸素を吸い込もうとする。


「はあはあはあ……。くっ、負けたよ……」


 マキは握っていた刀を手放して脱力。キコに乗られるままとなった。


「よかった……」


キコはほっとしたことから力を失い、マキの胸に突っ伏してしまう。


「重いって……」

「ごめん、動けない……」


 キコは胸の中で、ヘヘヘと笑う。

 なんだよそれ、とマキもハハハと笑った。


「おいおいおい、何いちゃついてんだ?」


 突然背後から聞こえた声に、キコは飛び起きる。

 ナユタであった。


「ナユ!?」


その後ろにはミナミも、そして信長もいる。


「信長様! ご無事だったんですね!」

「無事に決まっておろう。俺は信長だぞ?」

「え……。そ、そうですね」

「いちゃついてる場合じゃないよ、キコ! 早く逃げなきゃ!」


 ミナミが言う。


「光秀さんは?」

「たぶん大丈夫」


 ミナミがニコッと笑う。

 ミナミはこういうときに嘘をつける人間ではない。きっと言葉の通り無事なのだとキコは思う。


「分かった。すぐに脱出しよう」

「キコ、これ」


 ナユタが抜き身の刀を差し出すので、キコは訳の分からぬまま受け取る。


「なにこれ?」

「光秀の刀」

「え? どうして?」

「これで元の世界に戻れる……と思う」


 キコはこの明智近景が宗三左文字とともに、タイムスリップの原因となっているのではないかという推論を聞いた。


「これでようやく帰られるのだな。世話になったな、キコ」

「信長様……」

「褒美をやりたいところだが、あいにく何も持ち合わせておらぬ」

「いえ、そんな……」


 考えてみれば信長にいろんなものをもらいっぱなしだ。信長は怖い人物だと言われているが、思ったよりもいい人だったように思う。


「よーし! いろいろ名残惜しいけど、さっさと元の世界に戻ろう! マキ、ほら立って」


 ミナミは床に仰向けになっているマキに手を差し出す。


「ごめん、みんな……」


 思い詰めたような声。マキがうつむきながら言う。

 腕で顔を隠しているが、涙があふれているのが見える。


「ええっ!? どうしたの!?」


 マキはゆっくり立ち上がり、腕で涙をぬぐった。


「アタシ、行ってくる」

「どこへ? 早くおうちへ帰ろうよ!」

「アタシは帰らない」


 その言葉に皆、沈黙してしまう。


「光秀さんって、やっぱ……裏切り者扱いなんだろ? 信長を殺そうとして本能寺を燃やしたって。……なら放っておけない」


 光秀が裏切って信長を襲った事実は変わらなかった。


「それって歴史通りのことでしょ? なら、気にしても仕方ないよ! たぶんこのあと山崎の戦いで、羽柴秀吉に負けて死んじゃう。あっ……」


 ミナミは失言に気づく。

 歴史的事実といえど、光秀を救おうと思っているマキに言うことではなかった。


「もう、決めちゃったんでしょ?」


 キコが代わってマキに問う。


「うん……」

「光秀さんのことが大事?」

「え? あ、うん……」


 マキはもじもじして、いじらしく答える。


「ん?」

「もしかして?」


 ナユタとミナミがにやにやし始める。


「マサキはおっさん趣味だったか」

「マキちゃん、乙女!」

「う、うっせえ!」


 マキは二人の茶化しに叫ぶがむせてしまう。


「行っておいで」


 キコはそう言って、マキの制服について煤を優しく払ってあげる。


「ごめん。それじゃ、みんな……。…………元気でな」


 マキは本能寺の奥へ走って行ってしまう。

光秀に寄り添うため、この時代に残る判断をしたのだった


「キコ、これで良かったのか?」


 ナユタが問う。


「分からないけど……マキが決めたことだから。私たちはこの時代で、普段では経験できないことをいっぱい経験した。いろんなことを感じて、たくさんのことを考えた。マキもそれで自分の答えを出したんだと思う」

「そうだな」


 ナユタは少しさびそうにうなづいた。


「そういえば……信長様はどうするんですか?」


 キコは大事なことを思い出す。

 信長はこの本能寺で死ぬべき人間だ。それが光秀に勝ってしまって、これからどうするのだろうか。


「話はすべて聞いた。貴様らのことも、俺のこともな」

「それじゃ……」

「俺はこの戦で死んだのだろう。ならばそれでよい。天下を独り占めしたくて始めたわけではないからな。いずれ家康が天下泰平をもらたらすというのならばそれでよい。殺されたことにして、余生を好きに生きることにする。上に帰ったところで、まだ命を狙われるのは分かっておることだからな」


 自分の運命を聞いておきながら、けろっとしている。やはり信長の器は底知れない。


「ははは……信長様らしいですね」

「信長だからな」


 何はともあれ、宗三左文字と明智近景がここにそろった。

 宗三左文字だけでは元の世界に戻れなかったのならば、これでようやく自分たちのいた未来に戻れるはずである。


「達者でな」

「信長様もどうかご無事で」


 キコは二振りの刀を持つ。


「願おう、私たちの未来に帰れるように」

「うん! 今度こそ絶対帰る! 帰る帰る帰る!」

「平成に帰る……。あれ、平成だったっけ」


 宗三左文字と明智近景から激しい光が放たれる。

 これで長かった冒険もおしまいだ。

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