花の女子高生、戦国乱世に散る
とき
第1話
松任葵子(まつとうきこ)は、友達とともに東京の美術館へ来ていた。
中学時代から友達である相羽南(あいばみなみ)が、大の歴史好きで、どうしてもこの「日本武具刀剣展」を見たいと言い張ったのだ。
高校に入って仲良くなった4人はそのワガママに付き合い、長い行列に並び、ようやく日本刀の展示エリアに入ることができた。
「なっげーよ。人をいつまで待たせんだよ」
花の女子高生には似合わぬ台詞を、新戸那由他(にいとなゆた)は辟易した顔で言ってみせる。
長時間立って待たされたことで、展示物を見る前から足はすでに棒のようになり、ソファーにどっかりともたれかかっている。あまりにも無造作すぎて、白い制服のスカートから中が見えそうになっている。
「なんつーカッコしてんだよ!」
そう言って慌ててスカートの裾を直してあげるのは、本城真樹(ほんじょうまき)。
「いいんだよー。せっかく女子高生してるんだから」
「なんだよ、それ」
「サービスってこと」
「はあ?」
マキはナユタの言っている意味が分からなかったようである。
マキは陸上部で鍛えていることもあって、二時間並ばされているのに、まったく疲れた様子がない。
「マサキはいーな。体が丈夫で。背負ってくれよぉ」
「マサキゆーなっ! 背負うって……ここ美術館だぞ?」
「いーじゃん。わたし、子供に見えるっしょ?」
「さっき、女子高生って言ったじゃないか」
マサキはとびきり背が高く、ナユタはかなり低い。
二人が同じ制服を着ていなければ、親子……少なくとも姉妹には見えたかもしれない。
「ねえ、そんなのいいから早く見にいこうよ! もう待ちきれないよぉ!」
二人を先に進むようにうながすのは、発起人のミナミ。
小柄の文系少女で、自分の大好きなものが目の前に広がっているとあって、目がらんらんと輝いている。
頭はナユタたちのほうを見ているが、体は展示物のほうへ向いている。先に進みたくて仕方ないのだ。
「ナユ、鞄は私が持つから。頑張って歩こ」
キコは、ソファーに投げ出されたスクールバッグを持ち上げる。
「あー、悪いよキコ。マサキに持ってもらうー」
「なんでアタシなんだよ!」
ナユタはキコから鞄を取り上げ、マキの肩にかける。
しかし、マキは仕方ないとため息をついて、右肩に二つの鞄を背負う。
こうした関係から長い付き合いなのかと思われるが、二人は入学時に出会ったばかりで、付き合いはまだ一ヶ月ほどであった。
「わぁー! すごいーっ! ここは宝の山だよぉー!」
歓喜をあげるのはミナミ。キラキラした目で、展示されている日本刀たちを見つめている。
甲高い声に、周りの客が騒がしい小娘だと、軽蔑のまなざしを送っていることに気づかない。悲しいかな、花は黙っていてこそ花であるのだ。
「宝ねえ。一本いくらぐらいなんだろ」
ナユタはそのうちの一つに目を留めて、夢のないことを言う。
「もう、そんなこと言わないでよー」
「これ、けっこう古いんだろ? 高く売れそうじゃん」
「古いのは平安時代からだね。日本刀は鎌倉時代に大成して、室町時代にたくさん作られたんだよ。江戸時代以降のは新刀と言われて、前の時代と古刀と区別されるんだ。幕末に作られたのを新々刀、それ以降は現代刀っていうんだ!」
ミナミは楽しそうに自分の知識を披露する。
もちろんナユタはあまり興味なさそうだった。
「ふーん。で、平安時代のどれ?」
「それ絶対、お金で見てるでしょ! 刀の良さは古さだけじゃないよう!」
「まあまあ、せっかく並んだんだし、ゆっくり一つ一つ見ていこうぜ」
順路を外れて古い刀を見にいこうとするナユタの腰を、マキが引きよせる。
ナユタはなすすべなく、簡単に捕まってしまう。
「キコちゃんは好きな刀とかある?」
キコはミナミに突然問いかけられ、返事に窮してしまう。
なんとなく日本刀が好きな人はいても、どの刀が好きと決めている人はあまりいないだろう。擬人化されたゲームキャラクターならば、答えられる人は多いかもしれないが、キコはあまりゲームをやらなかった。
「うーん……。戦国時代のかな」
特に考えがあったわけではない。
両親が「うちは武家の末裔だから」と日頃から言っているので、自分に関わりがあるならば戦国時代だろうかと思ったのである。もっとも、ご先祖が戦国時代の武士だったか確証はなく、キコは妄信だと思っていた。ご先祖がすごい人であるほうがいいに決まっているから。
「いいよね、戦国時代! 武士が刀で戦い合った時代! 日本各地で量産されることになって、いろんな進化を遂げたんだ! あたしは南北朝時代かな! 他の時代よりも大きいのが特徴で、いっぱい名刀が生まれたんだよー!」
「そうなんだ」
ミナミの話に合わせてあげたいと思うものの、そのテンションと内容にはついていけそうになかった。
「あ、これ。南北朝時代の?」
「うん、暦応年間。1340年前後のだね。お、『明智近景』とは渋いものを選びましたなぁ」
「え? そうなの?」
「明智光秀って知ってるでしょ?」
「うん。本能寺の変で信長を倒した人、だよね」
「正解! これは明智光秀が持ってた刀だと言われてるんだ」
「へー、よく残ってるね。光秀って信長からすると裏切り者なんでしょ?」
織田信長の名を知らない日本人はいないだろう。天下統一を目前にした信長を殺したのが明智光秀。その悪名も多く人に知られている。
キコも「光秀の三日天下」という言葉を聞いたことがある。光秀は信長の信頼する家臣だったが、突然裏切って信長を殺す。信長の代わりに世を治めようとするが、すぐに羽柴秀吉に負けて死んでしまう。
「うん。名刀に罪はないからねー。でも、刀に書かれた名前は消されちゃったんだ」
「名前? 刀に名前を書くの?」
キコはビックリしてしまう。
物に名前を書くのは子供のようで、刀のような人を殺す武器に名前に書くのは不思議な感じがする。
「もともと刀身に『明智日向守所持』『備州長船近景』と彫られてたらしいんだけど、すりつぶされちゃったんだ。ほらみて」
ミナミはケースに収められた明智近景を指さす。
「暦応としか書かれてないでしょ? のちの所有者が光秀の名前が入ってると不吉だからって、消しちゃったんだよ」
「裏切り者だから?」
「そうだね。南北朝時代の名刀といっても、悪名高い人の名前が入ってたら嫌でしょ?」
「そうなのかも」
「ちなみに、備州長船近景というのは刀工の名前で、備前長船って聞いたことあるでしょ。長船派の名工で、国宝になってる刀もあるんだよー!」
キコはすりつぶされた部分を見て、彫られていた文字を想像する。
明智光秀はどういう気持ちで、自分の名を刀に刻んだんだろう。自分のものだと宣言するため? 後世に名を残すため?
しかし、その名は消されてしまった。持ち主が死んだあと、所有者が代わったのだから、その人が刀に何をしようかは勝手なはず。でも、名前を消されてしまうのは悲しいなと思う。
たとえば、自分の持っていたものがあとの時代で、「あいつは悪い奴だったから名前消そうぜ」とか言われたらぞっとしない。
逆にいい奴だったら、みんな喜んで名を残してくれるのだろうか。
「おい、キコー! こっちー!」
遠くでもよく通るマキの声がする。
隣のいたはずのミナミがいない。いつの間にか独りぼっちになっていた。
しばらく明智近景をぼうっと眺めていたようで、ミナミたちは別の刀を見にいっていたようだった。
キコは慌ててミナミに追いつく。
「何この行列。中でも並ぶの?」
館内にできた長い行列を見て、ナユタは露骨に嫌そうな声を出す。
「ここは今日一番の目玉商品があるんでーす。売り物じゃないけど」
「それって何さ? そんなにすごいの?」
刀にあまり興味を示さなかったマキでも、この行列は気になるようである。
「なんと! 織田信長の刀が来ているのです!」
「信長? あの織田信長!?」
それだけは知っているという顔で、マキが食いつく。
「うん。あの織田信長。尾張のうつけと言われ、それは世を欺く偽りの姿! 天下布武を宣言し、瞬く間に天下を取ってしまったすごい人! その信長が生前愛用していた『宗三左文字』があるんだよ!」
「すごい刀なのか?」
「そりゃもう! なんと桶狭間の戦いで今川義元を倒して手に入れた刀なんだよ!」
「お! それ知ってる! めちゃくちゃすごいな!」
知っている単語が出てきて、またもや嬉しそうに反応するマキ。
もちろん何がすごいかはよく分かっていない。知っていることが嬉しいのだ。
それに対して、ナユタはやはりまったく興味が持てないようで、
「へー。向こうで休んでていい? 順番来たら呼んで」
「ダメだよ、そんなの! ズルしたら斬り殺されても文句は言えないよ!」
「マジで……」
ミナミは冗談で返す。
「もう少しだから、みんなで並ぼ。おしゃべりしてればすぐだよ」
今にも飛び出しそうなナユタをキコがなだめる。
「はーい……。マサキ、何か面白い話して」
「また、アタシかよ!」
美術館に入る行列中にも、ナユタはマキに何度も話を振っていた。
それでもマキは話をひねり出して、ナユタにネタを提供していた。ナユタもそれなりに話を聞いて、相づちを打っている。
そうこうしていいるうちに、ついにお目当ての刀のもとにたどり着いた。
「これが! あの信長の剣か!」
マキは穴が空くのではないかと思うほど、宗三左文字の刀身を見つめる。
「おお! 織田なんとかって書いてあるぞ!」
「織田尾張守信長だね。信長は義元を倒したあと、そう名乗ったんだよ。愛知県知事、ぐらいの意味」
すかさずミナミの解説が入る。
「ふーん。案外ふつー」
ナユタは一度見終わると、すぐに興味を失ってしまう。
「ま、まあ……ぱっと見は他の刀と変わらないからね……。でも、この裏側には永禄3年5月19日に義元を討って手に入れた刀、って書いてあるんだよ」
「え? 刀にそんなことが書いてあるの?」
キコが質問する。
「うん。信長が義元から奪ったあとに書かせたんだよ」
「さっきの刀と同じで、手に入れた人の自由というわけね……」
義元が所有していたときは、別の文字が刻まれていたのだろう。勝者である信長が、自分の功績を示すため刻み込み直したのだ。
勝者のみが歴史を決めることができる、というのはこういうことなのだろうと、キコは思った。
また、信長がそれを刻んだあと、誰も手を加えなかったのをみると、光秀と違って、信長は残す価値の名だったのだろう。
「もともと三好宗三って人が持ってて、武田信虎に渡って、それから義元が持ってたんだ。だから宗三左文字は、義元左文字とも言われることがあるよ」
「ほー」
「武田信虎というのは、武田信玄のお父さんね」
「お! それ知ってる! 信玄、めっちゃ有名だよな! 信玄餅作った人だろ」
信玄餅は現代になって作られたものだけどね。
ミナミは心の中でこっそりツッコミを入れた。
キコもそれは分かっていたが、素直な反応を見せるマキに思わず微笑んでしまう。
「つっ……」
強い光が目に入り、キコは思わず目を閉じる。
ライトが反射したのか、刀が一瞬光った気がした。
その光は目に強く残り、視界が一部失われている。目をこするが、それでもよく見えない部分があった。
今度は強く目を閉じて、軽く指でほぐしてみる。
「あれ……」
目を開いてみるが、世界は真っ白で何も見えなくなっていた。
そして、音も聞こえていないことに気づく。さっきまで多くの客のざわめきが聞こえていたはずなのに。
「ミナミ?」
手探りで隣にいたミナミを探す。
しかし人にも、手すりにも触れることがなかった。
そんなはずがない。すぐ触れられる場所にいたのだ。
ミナミは別の場所に移動していたとしても、手すりや壁、ケースはそこにあるはず。
「ナユ? マキ?」
次は声を大きくし、手も大胆に動かす。
これだけ大ぶりすれば誰かにぶつかるはずだ。
けれど、手は空振りしてしまう。
「嘘でしょ……。誰か! 誰かいませんか!? 助けてください! 目が見えないんです!」
しかし、答えはなかった。
確かな感触は自分自身だけ。自分の手で自分の体を触ればしっかり感触がある。
……はずだった。
再び自分の顔を触ってみるが、感触がない。自分の顔がどんな形をしているか分からないのだ。
「なんで……」
見えたはずの自分の体も見えなくなっている。
世界は白一色。
そこには自分自身もなかった。
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