第12話「野良田の戦い」

「ミナミ、敵は誰だか分かる?」

「んー、1560年の戦いかぁ。その頃、浅井長政は何をやってたんだろうー?」

「もしかして、知らない?」

「ちょっとマイナーなんじゃないかな。浅井長政が戦うとしたら、六角か斎藤しかないから、どっちかだと思うけど」


 戦いを見学にするなら、相手が誰だか知っておく必要があると思って、キコはミナミに尋ねたのだが、あまり意味はなかった。キコはどちらの名も知らなかったのである。


「進行方向から見て、六角で間違いないであろう」

「姫様」

「浅井は六角の支配を受けておったが、独立しようという動きがあったのじゃ。おそらく、ついに軍事行動に出たというところ」


 さすがは戦国時代の姫。聡明であらせられる。ただ大事に育てられたお嬢様というわけではないようだ。


「ミナミ、六角?との戦いはどっちが勝つか分かる?」

「詳しくは知らないけど、六角はあとで信長に滅ぼされちゃうから、浅井が負けたり、当主の長政が死ぬことはまずあり得ないよー」


 これから起こることを知っているのは現代人の特権。ただの女子高生がこの時代で何かできるわけではないが、こうした知識を使えば、次の行動も選びやすい。


「姫様、浅井軍の後ろについて移動し、戦いが始まったら、どこか高いところに上って、合戦を見学しましょう」

「うむ、そうするとしよう」


 あまり戦争をしているところに近寄りたくはないが、浅井軍の後方ならば安全のはずだ。

 キコたちは、浅井軍が通り過ぎるのをその場で待つことにした。


「あっ! アレじゃない!」


 ミナミが浅井軍を指さす。


「どれ……?」

「あの背が高い若い人!」


 浅井軍の最後方、立派な鎧に身を固めた騎馬武者の間に、ひときわ背の高い男性が見える。


「かなり大きい人だね」


 馬に乗っていることもあるが、その長身がとにかく目立つ。

 兜をかぶっているため、よくは見えないが、年は若く、自分たちと同じくらいのようだ。ヘルメットをかぶった高校野球児のような精悍さがある。


「たぶん、あれが浅井長政だと思う。体が大きいって噂だから」

「ほうほう。あれがわらわの夫となる人物か。なるほど、いっちょ前に大将らしく構えておるのう!」


 二人の会話が聞こえていたようで、市は馬から身を乗り出して、長政を見やる。


「お気に召しましたか?」

「まだじゃ、奴の戦ぶりを見届けねば、判断を下せぬよ」


 やはり一目見るだけでは満足してくれないようだった。


「分かりました。それでは少し離れて後を追いましょう」


 こうなっては仕方ない。キコは覚悟を決める。

 馬から刀を下ろし、制服の上から帯を巻いて、刀を差した。信長にもらった刀である。

 自分が何かできるとは思えないが、いざとなれば市を守らなければならない。刀を持っていたほうが少しは役に立つだろう。


「マキちゃんも槍持ってみたらー?」

「え? アタシが……?」


 ミナミにからかうように言われ、マキは嫌な顔をする。


「うん。その槍は私が持つより、マキが持ってたほうがいいと思う。私じゃ重くて振ることさえ、できないから」


 槍とは前田利家よりもらったものだ。念のためにと一緒に持ってきている。


「そ、そうか……?」


 マキはおだてられ、気をよくして槍を掴む。


「うん、なんかいい感じだ」


 槍を少し振って、感触を確かめている。

 キコでは槍を持って突くぐらいしかできなかったが、マキはゆうゆうと振り回してみせる。


「マキちゃんは男の子だなぁー!」


 マキは槍を持つだけで気持ちが高揚して、はしゃいでるようだった。


「うし! これでアタシがみんなを守ってやるよ!」


 キコはマキがあまり荒事を好まないと思っていたので心配だったが、その気になってくれてほっとする。一緒に戦ってくれる人がいると思うだけで、かなり心強い。

 しばらくして、行軍が止まり、何やら緊迫した空気が流れ始める。どうやら前方で両軍が衝突したようだった。

 キコたちは行列を離れ、小高い丘へ移動する。

 ここならば、敵が迫ってきたらすぐに分かる。危ないと思ったら、反対側に下がれば簡単に逃げられる。


「キコ、どっちが有利なのかな?」

「え? ミナミ、こういうの詳しいんじゃないの?」

「歴史は詳しいけど、合戦とかはよく分からないよー。あくまでも本の知識になっちゃうし」

「たぶんだけど……浅井軍が負けてる」

「え!?」


 合戦は原っぱで行われていた。丘からは両軍の動きがよく見える。

 浅井軍が六角軍のほうへ攻め込んでいる形だが、六角軍のほうが圧倒的に数が多い。浅井軍が突撃しても、六角軍はまったく動じることなく、その場に留まって応戦している。


「ふむ、これはまずいな」


 面白がって見ていた市の顔が曇っている。

 戦況はみるみるうちに変化して、浅井軍が押され始めている。なんとか堪えようと奮闘しているが、少しずつ前線が後退している。


「ねえ、キコ……。逃げたほうがいいんじゃない?」


 浅井軍がこのまま押され続け、敗走すれば、この丘にも六角軍がやってくるだろう。


「どうします、姫様? ここは退いたほうが」


 浅井軍がすぐに負けるわけではないだろうが、リスクを負う必要はまったくない。キコは市に撤退を提案する。


「むむむ……もうしばらく見ていたいと思ったが……。もはや手遅れのようじゃ」

「え? どういうことですか?」

「後ろを見てみい。お客さんじゃぞ」


 言われてさっと振り向く。

 そこには目をギラつかせた兵士たちの姿があった。六角軍だ。


「ひっ……」


 その目には見覚えがあった。

 こんなところでご褒美にありつけるとは、という目。キコたちがこの時代に来たとき、今川兵がしていたものと同じである。

 数は多くない。丘に上がって戦況を確認しようとやってきたのだろう。


「ミナミさん、大丈夫です。大丈夫ですから……」


 ミナミは腰を抜かし、松にしがみついていた。

 松はミナミを勇気づけようとするが、足が震えている。戦国時代の人といっても、普通の少女に過ぎないのだ。

 キコは迷わず、刀を抜く。

 マキも手を震わせながらも、槍を兵士たちに向けた。


「姫様、その馬ならば逃げられるはずです。ここは私たちが食い止めます。どうかお逃げください」


 相手は十数人ぐらいいるが、こっちは五人。しかも、ただの女子高生だ。勝てるはずがない。


「殊勝な心がけじゃ。……と言いたいところじゃが、ここで無駄死にすることもなかろう」


 そう言うと市はそろりそろりと馬を前に進めた。


「姫様、何を?」

「なあに、話し合いでもしようかと思うての」

「危険です! 下がってください!」


 声がうわずっているのが、自分でもよく分かった。

 自分の使命を果たそうと強がっているものの、やはり怖いのだ。死にたくないのだ。

 できれば、何も起こらず過ぎ去って欲しいと思っている。市が話し合いで解決してくれるなら、それがどんなにいいことかと願っている。


「誰だ、貴様! 馬を降りろ!」


 兵士の一人が叫ぶ。


「降りろとは無礼な。雑兵ごときが、誰に口を利いておる」


 怖じることのない市の言葉に、兵士たちは思わず一歩後ずさりしてしまう。

 兵士たちは何か小声で相談を始める。こちらが何者であるか、どう対応すべきかを検討しているのだろう。

 まとまったようで、リーダー格の男が進み出て言う。


「何者かは知らんが、その見慣れぬ服だけでも価値はありそうだ」

「服を置いて去れ、と?」

「いや。それを着て、馬に乗る貴様はもっと上等なんだろう?」


 馬に乗るのは貴人に決まっている。それに市はナユタの制服を着ているから、誰が見ても特別な人間だと判別できた。


「ほう。わらわを捕らえて売ろうというのか。面白い、やってみせよ」

「ちょっと、姫様!」


 市が相手を挑発し始め、さすがにキコが制止しようとする。


「やめてください! そんなことされたら私たち……」

「この状況になったら、何をしようとただでは済まぬさ。ならば、格好つけておいたほうが良くはないか?」

「いやいやいや……」


 市は清洲城主・織田信長の妹だから、命は助かるかもしれないが、こっちは一般人。身ぐるみ剥がされ殺されるのがオチだ。


「覚悟を決めよ、前田葵子」


 市がにやりと笑う。

 何を楽しんでるの、この姫様……!

 殴り飛ばしてやりたい気持ちになるが、ここでそんなことしても何の意味もない。

 諦めのため息をついて、六角兵を見ると、向こうはやる気満々で刀を構えていた。


「マキ、姫様をお願い」

「ええっ!? アタシが? む、無理だろ、そんなの!」

「槍を突き出して、近づけさせないようにすればいいから」

「や、やるけどさ……。キコはどうすんだよ!」

「こっちもやってみる……」


 キコは刀を構えて、六角兵と向き合う。

 当主なのだからと、前田邸で少し刀の扱い方を教わったが、ほとんど素人だ。


「ほう、お嬢ちゃんが相手になってくれるのか」


 相手は完全にこっちを舐めていた。

 女一人くらい自分で充分だと、リーダー格の男が一人でキコににじり寄る。

 そして、男は脅すぐらいのつもりで、刀をゆっくり振り上げてくる。

 来る……!

 キコも高く刀を振り上げ、力一杯振り下ろした。


「いやあああーっ!」


 キィンと金属同士がぶつかり合う音が響く。

 打ち合ったら衝撃で手がしびれるんじゃないだろうかと思ったが、ほとんど手応えがなかった。


「なんだと……」


 男としても意外なことが起きていたようだった。

 男が持つ刀の真ん中から先がなくなっていた。

 キコが切ったのである。

 それには本人もビックリして唖然としてしまう。

 鉄が切れる……? なんて切れ味なの……。


「キコ、とどめを刺せ!」


 市の言葉にはっとする。

 男には余裕が一気になくなり、短くなった刀を立てて突っ込んでくる。

 あれが刺さったら痛い。そして死ぬ。

 実際に刺されたことはないが、その感覚には自信があった。絶対に刺されてはいけない。本能がそう言ってくる。

 キコはとっさに刀を横に振るった。

 それは当てずっぽうで、ただ危険なものの接近を止めるつもりぐらいでしかなかった。

 だが現実は、思わぬ事実が起きていた。

 刀の切っ先が男の喉元を捉え、血の花を咲かせていたのだった。

 男は声にならない声を一言だけ上げて、その場に崩れ落ちる。

 キコは自分のしたことがよく分からなかった。切ったつもりはないのだ。ただ振っただけで……。


「キコ、次が来るぞ!」


 市の声で我に返る。

リーダーをやられ、いきり立った男たちがキコを斬り殺そうと向かってきていた。


「うわああああ……!」


 兵士が後方へと吹っ飛んだ。

 マキが槍を構えて突進し、一人の兵士を突いて吹っ飛ばしたのだ。それに周りにいた者がぶつかり、兵士たちが重なり合って倒れていく。


「マキ!」

「はあああ……はあああ……」


 マキの目は血走り、恐怖の形相をしている。まともに呼吸ができていない。

 キコを救うために、無我夢中で突っ込んできたのだ。


「この野郎!」


 反撃に面くらいながらも、一人がキコに向かって刀を振り上げる。

 キコは反射的に刀を下から振り上げ、相手の刀を受けようとする。

 これもまた、不思議と手応えがなかった。

 受けた刀は真っ二つになり、相手は血しぶきを上げている。

 キコの刀が勢い余って、刀ごと相手の体を切り裂いていたらしい。


「うそ……」


 信長がキコに授けた刀は紛れもなく名刀だったのだ。一般兵が使うナマクラとは違う。名工が命を削って鍛え、その品質を刀に自分の名を刻むことで保証している。自信を持って世に送り出した、名刀中の名刀なのだ。


「キコ、手を緩めるな!」


 市の檄が飛び、どこかへ言ってしまいそうな意識がかろうじて現実に引き留められる。

 それからは自動的であった。

 斬りかかってくる相手に向かって、刀を合わせるだけ。何も難しいことはない。それだけやれば相手が倒れていく。

 気づいたときには、キコが6人の兵士を倒していた。

 私……また……人を殺してる……。

 キコに罪の意識が襲いかかってくるが、うまく考えることができなかった。頭が真っ白で、体がひどく重い。息が尽き果て、脳に酸素が回ってきていないのだ。そのため、罪に溺れることも、打ち勝つこともなかった。


「くそおーっ!」


 破れかぶれになった六角兵が、まっすぐに突っ込んでくる。

 キコはブラックアウトしそうな目でそちらを見るが、刀は自分のほうを向いていなかった。

 馬上の市を目指している。

 いけない……!

 そう思うが、体が動かない。酸素不足で足が震えて、力が入らないのだ。

 市も驚くばかりで、馬を返そうとしない。


「姫様……」


 残った息を吐き出すが、まともに声にならない。

 刃が市に迫る。

 ズドォン、と銃声が響いた。

 兵士は電池が切れたかのように意志を失い、地面を転がっていく。


「鉄砲?」


 市はすぐに自分が誰かに助けられたことを悟り、キョロキョロと狙撃手の姿を探す。


「危ないところでしたね」


 そう言って一人の男が草むらから姿を現した。


「ああああっ! あのときのおじさんっ!」


 ミナミが男を見るなりに叫んだ。

 そう、その男は桶狭間の戦いのときに、ミナミたちを助けた30代の男だったのである。

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