第13話「士官」
男が手に持っているのは、銃だった。
その形には見覚えがある。教科書で何度も見ている。火縄銃だ。
戦国時代に登場し、伝来した場所にちなんで種子島と言われていることは、学校で習っている。
「実物初めて見るよ……」
「珍しいものなの?」
「うん。日本に持ち込まれたのは1543年。今が1560年だから、量産は始まってるけど、まだそんなに普及してないはずなんだ。すごく高かったみたいだし、珍しもの好きしか持ってないんじゃないかな」
そんなに珍しいものを持っているこの男はいったい何者なのだろう。
「ご無事のようですね」
六角兵は思わぬ増援、そして新兵器の登場に、慌てふためき逃げ始める。
男は逃げる兵士に目をくれず、こちらへゆっくり歩いてきた。
「珍しいものを持っておるな。いや、まずは礼を言おう」
「いえ、とんでもない」
男はうやうやしく頭を下げる。
「わらわは織田の者じゃ。恩人に聞くのもアレじゃが、聞いてもよいかの?」
「どこの者でもありません。仕えるべき主を持たず、各地を放浪しております。危機をお見受けして、勝手ながら助太刀させていただきました」
「ほう、誰にも仕えておらぬとはな。ならば、わらわに仕えてみぬか?」
このお姫様は気に入った人をすぐに勧誘するのだろうかと、キコは思う。
「いえ、お誘いいただき恐縮ですが、今はこの自由な身分を楽しんでおりますゆえ」
「左様か。惜しいのう。名ぐらいは聞いてもよいか?」
「十兵衛と申します」
「その名、覚えたぞ。何かあれば、わらわを尋ねてくるがよい。便宜を図ろうぞ」
「はっ、ありがたきお言葉」
市との話が終わったのを見て、ミナミが十兵衛と名乗った男に声をかける。
「十兵衛さん、ありがとうございます! また助けていただけるなんて」
「いえ、近くで戦が始まり、野次馬をしようかと思ったら、偶然居合わせただけです」
「そうなんですかー! あたしたちもなんですよー」
さっきまで怯えていたのが嘘みたいに、ミナミが楽しそうに話し始める。
キコは会話に加わる気になれず、血を拭って刀を鞘に収めた。辺りには自分が殺した兵士たちが転がっている。目に入れないように努めたが、血の臭いが気になって仕方なかった。
人を殺したのはこれが初めてではない。だが、自分の意志で殺したのは初めてだ。殺してしまった彼らに何を思えば、何をしてあげればいのか、キコは分からなかった。
手を合わせたほうがいいのだろうか。埋葬してあげたほうがいいのだろうか。けれど、殺した相手にそんなことをされたいのだろうか、自分にそんなことをする資格があるのだろうか。自分たちの身を守るためにしたことだから、許されてもいいことだと思う。そうであってほしい。
誰かに肩を叩かれた。
「マキ?」
「気にするなよ」
マキは励まそうとしてくれているようだった。マキ自身はまだ顔が青いままで、完全に立ち直ったわけではないのが分かる。
「仕方なかったんだ。生きるために……。それにありがとな。アタシたちの代わりに……やってくれて」
「マキ……」
マキの言いたいことは分かった。仲間を守るために、人殺しをやってくれたキコに感謝しつつ、申し訳ないと思っているのだ。
「アタシもさ……人刺しちゃったよ……」
「ううん、マキが助けてくれなかったら、私死んでたと思う」
「そっか……。それなら仕方ないよな、アタシも」
マキは空元気の笑みを見せてくれる。
「お! 流れが変わったようじゃぞ!」
遠くを眺めながら、楽しそうな声で市が言う。
丘の下では浅井と六角の戦いが続いていた。さっきと違うところは、浅井が六角を押し込んでいるところである。
「何があったんですか?」
「抜け目のない奴が来たようじゃ」
「抜け目のない?」
「きっと、そこにおるはずじゃ」
市が遠くを指さす。六角軍の奥のほうだ。
「そこに誰がいるんですか?」
「我が兄上じゃ」
「兄上? 信長様が!?」
「そうじゃ。いち早く、浅井と六角の戦いを聞きつけ、介入しに来たわけじゃな。浅井が戦っているすきに、精鋭を率いて六角本陣をつく。兄上ならばしそうなことじゃ」
確かに六角軍の動きがおかしく見えた。
前に進むわけでもなく、後ろに退くわけでもない。四方に動き回って、どんどんバラバラになっていく。
「六角は挟み込まれて終わりじゃな」
「浅井を助けに来たということなのでしょうか?」
「表向きはな」
「表向き、ですか?」
兄弟だからなのか、市もまた兄・信長のように策略家なのか、市には信長の意図が分かっているようだった。
「ただのいいとこ取りじゃ。苦労なく多くの兵を討ち取り、浅井に恩を売って、今後の交渉をしやすくしようという企みに違いあるまい」
「それは……」
「出来すぎておるよな。こんなに都合良く、織田軍がこの辺りをうろついているわけがない」
「はい……」
清洲城からこの辺りへは一日かかる。電話や車があるわけでもないから、戦を知ってからでは間に合うはずがないのだ。
六角軍は潰走状態になっていた。
兵士たちはもはや戦意を失い、仲間を見捨て自分だけでも生き残ろうと逃げようとしている。
「では、兄上に真相を聞きにいくとしようか」
織田の旗を持った集団が六角を追いかけているのが見える。きっとあそこに信長もいるのだろう。
丘を降りようとしたところで、向こうから騎馬武者がやってくる。
「おおっ、これは市ではないか。こんなところにおったとはな。急に城から消えるものだから、ずいぶんと探したぞ」
「兄上……」
馬に乗っている人物は信長だった。
「よう」
信長に抱えられるようにして馬に乗る子供が声をかけてくる。
着物の少女。
その姿、その声には覚えたがあった。ナユタである。
「ナユ、お前どうしてここに!?」
マキが叫ぶ。
ナユタは市の身代わりとして、清洲城に置いてきたはずである。それが信長と一緒にここに現れたということは、すべてを信長に明かしてしまったということだ。
「市よ、やんちゃが過ぎるぞ。どんなに心配したことか」
「これは兄上、白々しいことを。ここは市も、兄上が動きやすいようにしたのです、と答えればよいでしょうか」
「何のことだか。俺は妹が心配で来ただけだ。まさか浅井と六角の戦いに巻き込まれるとは思いもせんかった」
信長はあくまでも、市を探しに来ただけだと言い張る。
「ねえ、もしかしてこれって……」
ミナミがキコに小さい声でささやく。
「うん。信長はすべて知ってたんだと思う。私たちが姫様に懐柔されること、姫様がお城を飛び出して浅井を見にいくこと。六角と戦争をやることまで知ってたかは分からないけど」
「だよねー。うまいこと利用されちゃった、ってことかな」
「妹を探しにきたら偶然合戦に巻き込まれた。それを建前にして武力介入。浅井を助けて恩を貸し、同盟に持ち込むか……」
信長はすごいと思うが、手のひらで踊らされていたようで、もやもやする。
「キコ、妹の護衛よくぞ果たしたな」
「いえ、私はそんな……」
「用は済んだろう。市を連れてさっさと帰れ」
信長の声は褒めているようで、まったく褒めているトーンではなかった。
「信長さん、冷たいね。こっちは姫様の危機を救ったのにー」
「そうでもないよ。本当なら、姫様を連れ出したところを怒られても仕方ないのに」
「あ、そうだった……」
「でも、信長さんは私たちが姫様を連れて行くのを織り込み済みだったから、それで怒らないし、仕向けた通りのことをやり遂げたから、それなりに喜んでくれてると思う」
信長に与えられたことは、市を浅井長政に嫁がせること。今回のことはその一段階として成功を収めたと言えるのだ。
「ところで……貴様は何者だ?」
信長は十兵衛をにらみつける。
十兵衛は膝をついて言う。
「はっ。明智十兵衛光秀と申します」
「明智……光秀!?」
キコは思わず口に出してしまう。
明智光秀といえば、本能寺の変で信長を裏切って殺害した武将しかいない。
「ん? キコ、こやつを知っているのか?」
「いえ……前に助けられたことがありまして……」
30年後にあなたを殺す人です、とは言えない。
「まあよい。それよりも珍しいものを持っておるな」
「はっ、種子島にございます」
光秀は恭しく信長に火縄銃を差し出す。
信長を手に取り、銃の状態を確認する。
「ほう。確かに本物だな。これを持っておるとはただ者ではあるまい。何が目的でここに現れた?」
信長が銃口を光秀に向ける。
「あっ」
ミナミが飛び出そうとするのをキコが制止する。
光秀はぴくりとも頭を動かすことなく、信長に答える。
「士官をお許しいただきたく!」
「士官? 我が妹をつけ回してか?」
光秀がこの場に現れたのは偶然ではなかった。光秀は清洲から市のあとをつけてここまで来たのだ。そうでなければ、タイミングよく市を助けることなんてできない。
「申し訳ございませぬ。これも信長様にお会いするため……」
「こざかしいわ。……だが、市を危機に追い込んだのは貴様の企みではあるまい。分かった。俺に仕えるがいい」
信長の判断は一瞬だった。
「ありがたき幸せ!」
光秀は頭を地面にすりつけて礼を言う。
信長は何も言わず、光秀の銃を放り投げる。
キコは慌ててキャッチする。
信長は馬を返してその場から去って行ってしまう。光秀は信長の姿が見えなくなるまで、頭を下げていた。
「光秀さん、良かったですね!」
「はい、あなた方のおかげです」
光秀はミナミに軽く微笑む。
「ふん、都合のいい奴」
不機嫌そうにつぶやいたのは市だった。
自分を利用されたのは不満のようだ
「姫様、助けてくれた人にそれはないんじゃないか?」
というのはマキ。
市はぷいっと顔をそらす。
「わらわをつけておったならば、助ける機会は他にもあったはずじゃ。こやつは頃合いを見計らっておったのじゃ。我らに恩を着せるためにな。じゃが、助けてくれるのは事実。兄上がおっしゃったように、それは偽りなかろう」
「そのお言葉だけで充分にございます」
光秀は恭しく頭を下げる。
「キコ、清洲へ帰るぞ。用は済んだ」
用とは浅井長政がどういう人か確かめることである。
本当は会って話すつもりだったのかもしれないが、この気前の悪い状況でそうする気にはなれないのだろう。
「はい、姫様!」
何はともあれ、誰もケガをせず目的を達成できてよかった。
「あれ? ナユは?」
信長に連れられてやってきたナユタは、そのまま信長と一緒に戻っていったようだった。
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