第14話「帰還」
市と長政の婚姻は成立し、織田と浅井の同盟は成った。
自分の意志で結婚するならば構わないという言葉の通り、市は婚約に異議を唱えなかったのだ。
「この時代は大変だな。結婚相手を選べないなんて」
二人の婚儀を見届け、マキは素直な感想を言う。
「それでも、姫様はちゃんと相手を見に行って、自分で選んだんだよ。世の当たり前に逆らって、本当にすごいと思う」
とキコは返す。
現代はもっと自由だ。しかし、自分が同じような立場になったとき、常識と戦うようなことができるのか分からない。
「そうだな。戦国時代は今よりめんどくさい制限はあるけど、その中でも自由に生きようとしてる」
「うん。たぶん姫様は長政さんのことを、自分の意志で好きになって嫁いだと思う」
「だな。それにまあ、相手もけっこうかっこよかったからいいんじゃないか?」
長政は長身の清々しい青年で、現代でも人気が出そうな人物だった。
「お、マキちゃん、ああいうのが好み?」
ミナミがにやにやしながら言う。
「ちっげーし! 美男美女でお似合いだと言ってんの! アタシは関係ねーから!」
「長政もマサキみたいな男とは結婚したくよな」
横やりをいれるナユタ。
「男じゃねー! それにマサキ言うな!」
マキはナユタを追いかけ回す。
それを見て、ミナミは微笑をもらした。
「これで、信長さんに宗三左文字をもらえるんだよね?」
信長とは市の婚儀が成れば、報酬として宗三左文字をもらえる約束をしている。宗三左文字があれば、元の世界に戻れるかもしれない。ようやく希望が見えてきたのだ。
「うん。清洲に戻ったら信長さんに聞いてみる。」
「やっと帰れるねー! でも、せっかくだから、信長さんが天下取っていくところみたいなー!」
歴史好きなミナミとしては、信長の天下取りに興味がないわけがない。
キコはあきれ笑いをする。その気持ちは分かるが、キコとしては自分たちはこの世界にいるべきでないと思っていた。できれば今すぐにでも帰りたい。
「松ちゃんにお別れしないとね」
「そうだねー。だいぶお世話になったから。でも、なんて言う? これから元の世界に戻りますって?」
キコは答えに窮してしまう。
この事態を松に話して分かるのだろうか。そして、仮にもキコは前田家の当主だ。家を放り出して帰ることを許してくれるのか。
「話せるわけない……」
「うん……。これでホントに戻れるかも分からないしね」
実際そうなのだ。
宗三左文字がタイムスリップの原因だと思って、この刀があれば元の世界に戻れると思っているが、それが本当とは限らない。
「とりあえずやってみよう」
「そうだね。まずは試してみないと!」
キコたちはタイムスリップで初めにやってきた地、熱田神宮へと戻ってきた。
キコの手には信長から授かった宗三左文字が握られている。信長は男に二言はないという様子で、放り投げるように渡してくれた。おそらく、浅井と同盟が結ばれたことで、この刀以上の利益が得られるのだろう。
キコたちは来たときと同じ制服姿で、本殿の前に立つ。
「これで戻れるんだよな……」
「うん、そのはず!」
期待の中に不安を持つマキに、ミナミは勇気づけようと明るい声で答えた。
「で、どうすればいいんだ? 神社だから祈るのか?」
ナユタがぶっきらぼうに言う。
「そうだね。元の世界に戻りたいって神様にお祈りしてみよう」
キコは自分で馬鹿なことを言っているなと思う。できるのは神頼み。でも、それ以外にやれることはない。戻れるなら、恥ずかしい発言だって構わない。
「だな。やれることは試してみよう」
そう言ってナユタが優しく笑いかけてくれたので、キコの心は少し和らいだ。
「じゃあ、祈ろう」
キコは本殿にかろうじて残っている鐘を鳴らす。
四人は合わせて二礼、そして二拍手する。
元の世界に戻してください……。
目を閉じて心の中で、できる限り強い思いで念じる。人生でこれほど強い願いを込めたことはないだろう。
最後に再び二礼。
そして恐る恐る目を開いた。
しかし、当然ながら目の前には熱田神宮の本殿。
「え? 帰れてない!?」
「おい、どういうことだよ!」
取り乱すマキとミナミ。
「待って。キコ、刀抜いてみて」
「え?」
ナユタに言われて、訳の分からぬままキコは刀を鞘から抜いた。
すると、刀身からまばゆい光が放たれる。
「これって!?」
この光には覚えがあった。
美術館で見た光。この光で当たりは真っ白に包まれ、何も見えなくなってしまった。そして気づくとこの熱田神宮にいた。
「あのときも抜き身だったもんね! あたしたち、これで帰れる!」
「やったな! ナイス、ナユ!」
「ふふ」
マキに褒められ、得意げに笑うナユタ。
「お願い、私たちを元の世界に返して!」
刀から放たれる光が次第に勢いを増し、目を開けていられないほどになる。
これで帰れるという自信があった。
世界は真っ白で、もはや何も見えない。
自分がそこに立っているという感覚がなくなった。
そして意識も途絶えた。
「起きて、起きてってば!」
キコは体を激しく揺らされて目覚めた。
ぼんやりした目で、左右に揺れるミナミをとらえる。もちろん揺れているのは自分のほうだ。
「ミナミ……ここは?」
元の世界に戻れているはずだ。
一足先にミナミが目覚めて起こしてくれたのだろう。
「名古屋!」
「は?」
熱田神宮は名古屋にある。それでは何も変わっていないではないか。
「熱田神宮のままなんだよ!」
辺りを見回してみると、見慣れた風景。
だだっ広い境内に本殿。
いや違った。
本殿がさっきまでのボロとはまったく違い、朱色に輝いている。崩れ落ちていた瓦も、真新しいものに替えられている。
「どういうこと……」
「タイムスリップしちゃったんだよ!」
「え? 成功ってこと?」
「成功と言えば成功。でも……」
「でも……?」
「まだ戦国時代なんだよ!」
「ええーー!?」
マキとナユタは近くで倒れていて、特に異常はなかった。
二人も元の世界に戻れていないと聞いてショックを受ける。
本殿が建て変わっているのに、現代ではなくまだ戦国時代だとミナミが言い張るのには理由があった。
「桶狭間の戦いで勝利した信長は、そのお礼にってことで熱田神宮を建て直すんだけど」
「だけど?」
「まだ新しすぎるんだ、これ」
「新しすぎる?」
「その後もいろんな大名が熱田神宮を直したりするんだけど、今ある熱田神宮はこんなにピカピカじゃないの。これはまだ直したばかりなんだと思う」
「つまり……あれからそんなに時代が経ってないってこと?」
「うん……」
三人は絶句する。
苦労してようやく元の世界に戻れると思ったら、たいして時間が経過していなかった。けちけちせず、400年ぐらいぱっと戻してくれないかと思ってしまう。
「それで、今何年なの?」
「それは……」
ミナミは辺りを見回して他に情報がないかと探す。
「おっと先客か」
そのとき、門をくぐって甲冑姿の男が現れる。
歳は30代ぐらい。武人らしい精悍な顔つきをしている。
「え!?」
キコは思わず叫んでいた。
男が来ている鎧に見覚えがあったのだ。
「利家さん……」
利家が着ていた鎧だ。
しかし男にはまったく覚えがない。
「お、伯父御のことを知ってるのか。その奇天烈な姿、もしや……」
「キコと言います。前田家の……」
信長に命じられ、キコは前田家当主ということになっている。しかし、それがこの新たな時代で通用するかは分からなかった。
「やはりそうか! 噂には聞いてたが、神の御使いにふさわしい格好だ!」
男はキコたちの白い制服を見て、豪快に笑って見せる。
キコたちのことを知っているということは、どうやらキコたちがいた世界と同じのようだった。単純にあれから何年か経っている世界ということなのだろう。
「あの失礼ですが……あなたは?」
「おっといけねえ。先代当主に無礼働いちまった」
「先代?」
「そう。俺が今の前田家当主・前田慶次さ!」
男はわざわざ胸を張って堂々と言い張る。
「前田慶次!?」
大声で叫んだのはミナミであった。
「おう、あんたは俺を知っているのか」
「知っていると言えば知ってるけど……」
マキはミナミに耳打ちする。
「あいつ誰なんだ? 当主はキコだろ。何勝手に奪い取ってんだよ」
「いやあ、そうじゃなくてね……。あの人は前田慶次と言って、有名な戦国武将なんだよ」
「戦国武将? じゃあ、利家の子供かなんか?」
「話は複雑なんだけど……。前田慶次はもともと滝川家の一族で、前田家の当主が病弱だから代わりに後を継げって信長に命じられ、前田家の養子になるの」
「へえ、前田の人なんだ」
「でも結局、当主の弟である利家さんが後を継いだから、史実で慶次は当主になってないんだよ」
マキは説明がよく分からなかったらしく首をかしげている。
「それで……あなたが今の前田家の当主なんですね?」
キコは利家に尋ねる。
「ああ。あんたが急に家を飛び出すから仕方なくな」
慶次の言葉には明らかにトゲがあった。
キコは松に何も告げずに、タイムスリップしてしまった。あれから何年経っているか分からないが、キコは無断で何年も留守にしていることになる。
この世界の前田慶次は、当主となるべく前田家の養子になったが、利家が当主となった。しかしその利家が亡くなり、キコがその後を継いだが、キコは行方不明になったので、慶次が当初の予定通り、当主となったようである。
「そうでしたか……申し訳ありません……」
「別に謝ることじゃねえ。どっからどう見たって、あんたらが常ならざる者ということは分かる。なんか事情があんだろ?」
「え?」
「いなくなってから10年以上経ってんだ。なのに見た目が変わらないとか、普通じゃねえ」
「10年……? 今、何年ですか!?」
「ほら、浦島太郎みたいなこと言う。天正になったばかりさ」
信長や利家に思われていたように、慶次にも霊か何かに思われているようだった。
「ミナミ、天正って何年?」
「えーとね……天正元年ってことなら……1573年だね。タイムスリップする前が1560年だから……」
「13年経ってるんだ……」
13年も経っていれば、人も時代も変わるだろう。けれど、キコたちはあれから一日も経っておらず、15才のまま。慶次が驚くのも無理はない。
「でもなんで13年……」
タイムスリップは成功したのに13年しか経過していないのはなぜなのか。どうしてこの時代に飛ばされたのか。そして何より、どうすれば元の世界に戻れるのかと、キコの頭は疑問だらけだった。
「そんじゃ俺は用が済んだから帰るが、あんたらはどうする? 前田家に戻るってなら、口きいてやってもいいが」
「え? いいんですか?」
自分たちには前の時代で関わった前田家しか頼れないが、無断で開けてしまった13年のブランクが申し訳なく思えた。
「熱田の使いがいれば、誰だって嬉しいだろうさ。松も喜ぶし、今なら信長だってうれしがるだろうさ」
「あの、松ちゃ……」
「信長さん大丈夫なんですか!? 今、大事なときですよね!?」
松ちゃんは元気なんですかと聞こうとして、ミナミに先に言われてしまう。
「ああ。だからこうしてお参りに来たわけだが、御利益ありそうだ」
「今、何月何日ですか!?」
「8月20日。ほんとに何も知らんのだな」
「天正元年の8月……小谷城だ……」
「小谷城? お城がどうしたんだ?」
マキがミナミに問う。
「大変だ! 長政さんが死んじゃうよ!」
天正元年8月20日。織田信長は朝倉義景を滅ぼす。そして浅井長政を撃つため、本拠である小谷城へ兵を向けようとしていた。
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