第15話「小谷城の戦い」
織田信長と浅井長政は同盟を組み、京都へ攻め入る。
敵対勢力を追放して、足利義昭を将軍に担ぎ上げると、信長は次代の権力者となった。
しかし信長は長政との約束を破り、朝倉義景を攻める。長政はこれに激怒し同盟を破棄。朝倉を攻める信長の背を襲撃した。
これにより、織田と浅井は戦争状態になる。長政は慣習にならい、市を実家である織田に戻そうとするが、市は断固拒否し長政とともに信長と戦うと宣言した。
「あの姫様、すげーな。兄貴に逆らうのか……」
「政略結婚で嫁いだ姫はいわば人質扱いなんだよね。だから敵対することになった場合、丁重に送り返すのがマナーなんだけど、姫様は自分の意志で浅井に残ると決めたんだ」
ミナミはマキに解説する。
「でも、信長さんは怒り狂ってるんだろ? 浅井絶対許さないって」
「うん……。敵対してから3年。武田信玄が攻めてきたりで大変だったんだけど、近くの敵を全部倒して、ようやく浅井の本拠である小谷城を包囲したんだ」
「それがこれから行くところだよな?」
キコたちは、以前に松と旅した道を通って、小谷城を目指していた。
「うん。あと十日もせず、小谷城は陥落し、長政さんは自害することになっているの……」
ミナミたちは長政を助けるため、信長に長政を許してもらうようお願いしようと主張していた。自分たちがどうやったら元の世界に戻れるかという重大な問題はあったが、今すぐに解決できることではない。まずは信長と敵対して窮地にある市と長政を助けるべき、と考えたのだった。
けれど、言い出せなかったが、キコはそれに反対だった。自分は前田利家を死なせてしまい、当主は自分となり、今では前田慶次になってしまっている。これは明らかに歴史の改編だった。長政を助けるとなれば、また大きく歴史を変えてしまう。そんなこと許されるのか、不安で仕方なかったのだ。
前田慶次の好意で旅費は前田家が出してくれた。旅支度は松が調えてくれたが、松はあれから13年経って26才となり、自分たちより遙か年上になっていた。神の使いだからと邪険にされずに済んでいたが、自分たちがそんなに特別な存在とは思えなかった。
「キコ、悩み事か?」
キコがぼんやり上の空で歩いていると、ナユタに声をかけられる。さっきまで慶次と一緒に馬に乗っていたはずだったが、すでに降りていた。
「うん、ちょっとね……」
「相変わらずだな」
「え?」
「キコは一人で背負いすぎるんだよ」
「そうかな……」
顔には出せないようにしていたが、ナユタには落ち込んでいるのを気づかれていたようだった。
「あまり深く考えるな。あたしらは別にすごい存在じゃない。ただの女子高生なんだからな」
「はは、ナユタはいつもそれだね」
「でもホントのことだろ?」
「そうだね。この時代に来て、いろいろやっちゃってるけど……あれは仕方ないことだった。そう思いたい……」
「思っとけ思っとけ。悪いことやってんじゃないから、先生に怒られる筋合いもないし。……あ、神様に嫌われるのは困るのかぁ」
「あはは、ほんとその通りだね。……ありがと、ナユ」
キコが笑みを送ると、ナユタは照れたように言う。
「だ、誰もキコを責めたりしない。だから、もっと言いたいこと言えば」
「うん、これからはそうする」
「それでいい、リーダーだからって気張るなよ」
ナユタが馬上の慶次に手を挙げると、慶次はその手を取って、ひょいとナユタを馬に乗せる。
「やっぱり私、リーダーなんだ……」
小谷城の麓に到着した一行。信長に会見を申し出ると、快く受けてくれた。
織田本陣にある信長の陣幕で会見する。将兵は皆、甲冑姿でいつでも戦闘ができるように備えていて、これまで感じたことのない緊張感があった。
「面妖な奴らめ。10年前と姿が変わらぬではないか」
「いろいろありまして……」
信長は年を取ってアラフォーになっている。しかしその顔は生気に満ちていて、衰えた感じはしない。
「よい。神の使いの事情を聞いたところで理解できまい」
「ありがとうございます……」
今の状況を説明できないので、信長の割り切りの良さは非常に助かった。
「だがな」
信長は間を置いて言う。
「俺は怒っておるぞ」
「え……」
「貴様らは俺に断ることなくいなくなった。この10年の不在、どう埋め合わせをする」
信長は怒鳴らない。
静かに重く鋭く言い放ち、キコの胸に突き刺さる。
「それに関しましては……」
信長の顔は硬く鋭い。仁王像のような憤怒ではなく、何を考えているのか分からない顔であるのが余計に怖い。
これが信長が恐れられるゆえんなのだと、改めて思う。
キコがしどろもどろしていると、ナユタが口を挟んだ。
「姫様を連れ戻す。それでどうだ?」
主君へのラフな提案で、キコはさらに心臓が痛む。
「ほう」
だが信長は面白そうに顔を緩めて、あごひげをいじる。
「あたしらが長政のところにいって、降伏勧告してくる。それで市を連れて帰ってくる」
「それが貴様らにできると?」
「できる。神の使いだからな」
キコは「なんて提案をしてるんだ」と「そこは女子高生だから、じゃないのか」と心の中で同時にツッコミを入れてしまう。
けれど信長はその冗談を気に入ったようだった。
「くくく……ふははははは……! いいだろう、やってこいやってこい。市を連れ戻してきたら、貴様らの罪を許してやるわ」
「任せておけ」
そう言ってナユタは立ち上がったので、キコたちも続いて、信長の陣幕を出た。
「おいおい、やばかったなー。さすが信長って感じだ。どうなるかと思ったよー」
空気の重さから脱したとたん、マキが安堵の息をもらす。
「ナユ、ナイスだ! うまく話持ってたな!」
「簡単。信長が市のことを心配してたのは分かってたから」
「そうなのか?」
「なんだかんだでシスコンだからな」
キコたちが市を連れ出して近江に行ったときは、信長自ら探しに来ていたが、あれは市を心配する気持ちもあったのだろうか。その裏側は信長とともに近江にやってきたナユタしか知らない。
「それに、怒ってたのはフリだと思う」
「フリ? あの怖い顔が演技だっていうのかよ?」
「あたしらを殺したところで信長にメリットはないし。そのとき利用できるならそれでいい、としか思ってないはず」
「へえ。なるほどなー」
マキは理解したわけではなかったが、理解したフリをして、もっともらしくうなずいてみせる。
「でも、降伏勧告なんてできるの?」
というのはキコ。
この場は収まったが、これから小谷城に行って浅井長政に降伏を認めさせ、市を連れ帰ってこなければならない。
「それは大丈夫だと思うよ」
ミナミがけろっとした感じで返す。
「あたしたちがいかなくても、姫様は子供たちと降伏することになってるから」
「え……それじゃ私たち行かなくてもいいんじゃ……」
「そうかもだけど、うまく行くのが保証されてるんだから、気楽にいけるね!」
「でも……長政さんは……?」
「あ……」
浅井長政は城を明け渡すと同時に、責任を取って自害することになっているのだ。
「じゃあ、アタシたちが行く意味あるな!」
とマキが言うと、ミナミは同意する。
「そうだね! 姫様をお迎えにいくついで、長政さんも救っちゃおう!」
「よっしゃ決まり! それでいいだろ、キコ?」
マキたちの視線がキコに集まる。
マキとミナミが期待のまなざしを送る中、ナユタは不安そうな顔をしていた。
やはり自分はリーダーで、皆の意見をまとめ決定する役目なんだと改めて感じる。
「うん、いいと思う。みんなを助けにいこう」
少し迷ってキコは答えた。
するとナユタが口を開く。
「本当にいいのか? 歴史を変えることになるんだぞ」
「うん……。この時代の人間じゃない私たちが勝手なことをしていいのかなと思うけど……私たちは今この時代を生きているから。自分の意志で行動していいと思うんだ。私は姫様も長政さんも助けたい。それが歴史を変えることだとしても」
「キコ……」
ナユタには、キコが自分の意見としてそう言っているのか、皆の意見を否定しないために言っているのか判別できなかった。
マキがナユタに後ろから抱きつき、ナユタが変な声を出す。
「おい、やめろ」
「決まりだ、決まり! ナユも賛成だろ?」
「賛成だけど……」
ナユタはちらりとキコを見る。
「これは自分の意見だから」
キコは笑みで返す。
「もう迷うのはやめる。私たちがしたことは取り返せないから、責任を持って生きていく」
「そうか……ならいい」
「なんだよ、ナユ。キコがよければいいのかよぉ。お前の意見はどうなんだ? うりうり」
マキはふざけて、ナユタのほっぺをぐりぐりと指でこね回す。
それをミナミが面白がって笑い、いつものじゃれ合いにキコは心が和む感じがする。
皆は自分に責任を押しつける気はないと思うが、リーダーであってほしいと思っているはず。応えられるかは分からないけれど、できるだけやっていきたい。まずは自分が望むことをやろう。この仲間とならば、それでいけるとキコは思った。
そこに一人の男がやってくる。
「皆様方、お話はうかがいました。姫様に会いにゆかれるのですね」
その声には聞き覚えがあった。
振り向くと40代ぐらいの物腰の柔らかそうな男性。歳は取っているが明智光秀だ。
「そのお役目、使者とはいえ危険です。私も同行しましょう」
「え? いいんですか?」
「浅井は孤立無援となり、包囲されて数日となります。この気が立っている時期に女性だけでいくのは非常に危険なことです」
願ってもない申し出だ。キコはどうする?とミナミたちを見る。
「もちろん手伝ってもらおうよ!」
というのはミナミ。有名人である光秀と一緒にいけるのが嬉しいのだろう。
「そうだな。武士が一緒のほうがいいんじゃないか?」
それにマキも同意する。
「わたしはどっちでもいい。キコが思うほうを選んで」
そういうのはナユタ。
またそういうこと言うのかと、マキがからかう。
「違うって。合わせる必要ないと言ってるの」
光秀が一緒のほうが心強いに決まっている。けれどキコには懸念があった。
「やっぱやめておきます。相手の気が立っているなら、私たちだけで行ったほうが警戒させないと思います」
「おいおい、いいのか? アタシらだけで戦場なんて危険だろ?」
「マキの心配は分かるけど、私たちがやらないといけないのは長政さんを説得すること。ただ行って帰ってくればいいだけじゃないから」
市を連れて帰るのであれば、わざわざ自分たちがいなくても、歴史では市は子供たちを連れて城を降りてくることになっている。自分たちがいくならば、長政も生きて降伏するよう説得しなければならない。
「そうだけどさ……」
「ごめんね、わがまま言って」
「うーん……」
マキは腕を組んで考え始める。
キコは迷わないと決めた。ここはしっかり主張していこうと思っている。
「分かった」
「マキ!」
「でも約束して。絶対に危ないことはしないって。何かやばそうなことがあれば、その場で引き返す」
「うん、分かった。そうする」
「よし。というわけだ、光秀さん。今回はアタシたちだけで行くよ」
その返事に光秀の顔が曇る。
「私は構いませんが、本当によろしいのですか?」
「はい、私たちなら大丈夫です。なんとかしてみます。それと、お願いなのですが」
キコは帯に差していた刀を鞘ごと抜いて、光秀に差し出す。
「少しの間、預かっててもらえませんか?」
「刀も置いていくというのですか?」
「武器は持っていけません。少しでも誠意を見せなければと思うので」
「そうですか……。しかし、それはおすすめできませんね」
「どうしてですか?」
「向こうはあなた方を斬っても不利益がないからです」
「え?」
「あなた方が武器を持っている持っていないにかかわらず、向こうにとってあなた方は面倒な存在。武器を持たず下手に出たところで、それは変わりません。むしろ、ぞんざいに扱いやすくなります」
「そんな……。ではどうすれば?」
「ここはしっかり対等の立場に立って交渉しなくてはなりません。使者がただ一方的に願いを伝える存在ではなく、交渉できる存在であれば、向こうも相応の答えを出してくるはずです。武士ならば刀を持ちなさい。それは無礼には当たりません」
光秀の言葉にキコは何も言えなくなってしまう。
当時の常識も武士の作法も分からない。でも使者として役目は果たさなければならない。光秀ぐらいの人がいうならば、その通りなのかもしれないと思ってしまうのだった。
それに自分ももはや武士なのだ。あくまでも立場の問題でしかないけれど、織田家の武士が使者として敵方にうかがうのであれば、武士の作法に従いたい。
「分かりました。刀くらいは持って行くことにします」
キコは再び刀を帯に差す。
光秀に言われたから、というのは強いが、タイムトラベルのキーアイテムである宗三左文字は置いていけないという考えもあった。
「それがよろしいかと。どうかお気をつけて」
光秀は別れを告げると、信長に報告があるのか奥へと進む。そして、
「決して油断されぬよう」
すれ違いざまにつぶやいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます