第11話「不破関」
結局、一日で小谷城にたどり着くことはできず、不破関(ふわのせき)で一泊することになった。
不破関は古代からある三関の一つで、京都と東国をつなぐ要衝。琵琶湖を囲むように険しい山に覆われているため、名古屋方面から京都へ出るにはここを通るしかないのだ。そのためこの地は、昔から経済的にも軍事的にも重要視されていた。
旅人や商人が多く通ることから、宿泊施設やお店がたくさん建てられている。キコたちはそのうちの一つに入り、六畳ほどの板間に通された。
「うわっ、せまっ!」
文句をたれるのはマキ。
だが五人で六畳となれば、そう言いたくなるのも仕方ない。
大きい部屋もあったが、基本的に他の客と雑魚寝になるため、それよりかはと思って、この部屋を選択したのだった。
「やっぱ布団はないよな……」
部屋には備え付けの家具どころか、布団さえなかった。
前田屋敷にも布団はなく、キコたちは板間で服を掛けて眠っていた。
「布団はまだ存在してないんだよねー。木綿(もめん)、つまり綿ね。量産が始まったのがこの戦国時代で、まだ庶民では手の届かない値段だったんだ。江戸時代になると、綿がたくさん普及するようになって、服に綿をつめて、寝るときに掛けるようになるの。それが現代の掛け布団につながっていくんだよー」
歴史大好き娘であるミナミが楽しそうに解説してくれる。
「あぁ……ふかふかのベッドで寝たい……」
庶民は土間にゴザを敷いて寝ることが多かったようだが、板間でもけっこうつらかった。寝返りをちゃんと打たないと、背中が痛くなってしまう。硬い床で寝るのは、現代人はつらかった。
五人は狭い部屋で重なるように床についた。旅の疲れもあって、横になるとすぐ眠りに落ちる。
数時間ほどすると、キコは目を覚まして、部屋を出て行ってしまう。
うまく眠れなかったのだ。
現代であれば、暗闇の中でスマホを見ながら、ぼうっとしていたかもしれない。ここでは暗い天井を見つめることしかできず、月夜にひかれて外へ出ることにした。
月はだいぶ欠けていて、あまり明るくはなかったが、目が慣れてしまえば歩けないほどではなかった。
「はぁ……」
出るのはため息ばかり。
この時代に来てから、ろくなことがない。いや、この時代に来てしまったことが最大の不幸だ。帰る手段も分からないまま、織田と浅井の同盟という歴史事件にかかわっている。
お市を浅井家に嫁がせることができれば、このタイムスリップの原因だと思われる刀を貸してもらえることになっているが、それで元の世界に帰られる保証はない。
今はそれよりも、頭の中で何度も再生して、止めることのできないシーンがあった。利家の死である。
「どうしたんですか、ため息ばかりついて」
キコはびくっと体をこわばらせる。
振り向くと、後ろに松が立っていた。
「……松ちゃん。起こしちゃった?」
「いえ、気づいたらキコさんがいなかったので」
「そっか……」
松とは何をしゃべっていいのか分からなかった。自分が原因で、松の最愛の人を殺してしまったと思うと、目を合わせるのもつらい。
「変なこと聞いてもいいですか?」
「え? いいけど……」
「それでは失礼して。……キコさんたちは、結婚されてないんですか?」
ピンポイントでしたくない話を振られ、胸がずきっとする。
「うん……。まだだね……」
「そうでしたか」
松は何か言いたいことがあったようだが、うつむいたり、上がり始めた月を眺めていたりと、話し出せないようだった。
沈黙が恐ろしく、キコは何か言葉を継ごうとするが、何も出てこない。
先に口を開いたのは松だった。
「幼いころ父が亡くなり、母が再婚するときに、私は前田家に預けられました」
「え……」
「厄介払いです。再婚には私が邪魔だったんですね。前田家には叔母が嫁いでいて、叔母に預けられたという形になります」
いきなりのショッキングな告白に、キコは言葉が出ない。
だが松は笑顔で話し続ける。
「そこで出会ったのが、前田家長子の利家様です。年が8つほど離れていたこともあり、利家様は私を実の妹のように可愛がってくれました。利家様は信長様と行動をともにされていて、いつも戦ばかり。二十歳になられても妻を娶りませんでした。けれど、私が12になったとき、利家様は私と結婚してくださったのです」
「そうだったんだ……」
実の母から切り離されるのは、つらかったことだろう。きっとその寂しさを埋めてくれたのが利家だったに違いない。
「もしかすると、利家様は私と結婚するために、他の方と結婚しなかったのかもしれません。私が大きくなるまで待ってくれたんです。……なーんて、美化しすぎですかね」
松はてへっと笑う。
キコは微笑み返してあげたかったが、苦笑いしか出ない。
もはや言い逃れはできない、してはいけないとキコは思った。心を決して真実を打ち明ける。
「松ちゃん……。利家さんが亡くなったことなんだけど……ごめんなさい……私……」
「え? それは謝るようなことなんですか?」
この一件について、松はほとんど知らなかった。今川との戦いで利家が戦死したこと、信長が跡継ぎをキコにせよと命じたことだけが伝わっていた。
「利家さんが亡くなったのには、私に原因があるんです……。利家さんは、私が今川の人たちに襲われているところを助けてくれ……。私を逃がすために、大勢に一人で立ち向かって……」
「ふふ、あの方らしいですね……」
松は微笑んでみせるが、これまでの明るさはなくなっている。
「それで利家さんは最期におっしゃったんです。信長さんを助けてほしいって……。なんでそんなことを私に言ったのか分かりません……。でも、私はその言葉に従って、桶狭間に向かいました。信長さんは私の目の前で義元を討ち、奇跡の大勝利を成し遂げます。そして、信長さんは言ったんです。私に亡くなった利家さんの代わりになれと……」
「そういうことでしたか……」
松の肩は落ち、すっかり消沈しているのが分かる。
「話してくれてありがとうございます。利家様の最期がわかって嬉しいです」
松は今できる限りの笑顔で微笑んでくれる。
だがそれがキコにはつらい。
「ごめんなさい……松ちゃん……。利家さんを死なせて……。前田家を取るようなことをして……」
目からあふれる涙を止めることができなかった。
松はキコの手を優しく取る。
「謝らなくていいんですよ。利家様があなたを代わりに選んだのでしょう? ならば、そうしてください。キコさんが利家様に代わって、信長様にお仕えしている限りは、私は何も申しません。もちろん、恨んだりなんかしませんから」
「松ちゃん……」
松はキコに笑顔で応え、キコを抱き寄せる。
その優しさに、キコの感情がいっそう激しくあふれ出す。松の小さなに抱かれ、ただただ泣いて泣いて、嗚咽した。
まるで母に抱かれているような温かさだった。
年下といっても、彼女は母親なのだ。自分は年が上なだけで、まだまだ子供なんだと思い知らされる。
松ちゃんのがつらいはずなのに、どうして笑ってられるんだろう……。
キコは、松のためにできる限りのことをしたいと思った。利家が望み、松も望むならば、私は信長に忠誠を尽くさねばならない。
「ミナミ、何ニヤニヤしてるんだ?」
「え? 分かっちゃう?」
「危ない人にしか見えないぞ」
マキが言うように、ミナミは朝からずっと嬉しそうな顔をしていた。
「不破関ってね、すごい歴史事件が起きた場所なんだよ」
「歴史? 聞いたことないけどな」
「ちゃんと教科書に載ってるよ! 壬申の乱って聞いたことない?」
「さあ? まったく知らん」
「672年、天武天皇が反乱を起こして勝利した戦いだよ。天武天皇がこの地を封鎖して、激しい戦いが行われたんだ。それから、ここはものすごく大切な場所だと分かって、立派な関所を作ることになったんだよー」
「へー」
マキは特に興味がないようだった。
「じゃあ、関ヶ原って知ってる?」
「は? アタシをバカにしてんのか? あれだろ、徳川家康が勝った奴」
「正解! その関ヶ原の戦いがここなんだよ!」
「マジか!? すっげーじゃん、ここ! 天下分けの決戦だろ! うっひょー!」
マキが飛び跳ねる。
その全身から喜びがあふれ出していた。自分の知っている知識が現実とリンクして嬉しくて仕方ないのである。
「不破関……。あっ、その関があるから、関ヶ原って名前なのね」
「そういうこと! 1600年、徳川家康と石田三成が大軍を引き連れて、関ヶ原で戦ったわけだけど、ここが戦場になったのは関所が置かれるくらい重要な場所だからなの」
「そうなんだ」
現代からすると400年以上前のこと。この戦国時代からすると40年後のことで、キコは妙な感じがした。その頃には、織田信長たちはこの世にいないのだ。
「そちら、何の話をしておるのじゃ?」
馬上の市が首をかしげている。
「姫様、歴史の話です。将来ここで徳川家康が……」
とっさにキコはミナミの口をふさぐ。
「何でもないです! ミナミの虚言癖です!」
「徳川家康とか、言っておらんかったか? あの三河の小者がどうかしたのかの?」
「いえ、信長様には遠く及ばない、って話です!」
「ほうほう、そういう話か!」
兄のことを褒められ、市はご機嫌になる。
どうやらごまかせたようである。
「やっぱ、未来から来たことは言わないほうがいいのかな……」
ミナミが小声で話す。
「そりゃ、やめたほうがいい。何が起きるか分からないし、何より信じてもらえないでしょ。頭おかしい人だと思われるよ」
「それで、あたしの虚言癖に……?」
現状、自分たちがタイムスリップしてきたことを、この時代の人に話すメリットがなかった。悩みを共有できれば、ある程度不安は取り除けるだろうが、それだけのためにリスクは冒せない。
「キコさん、引き返したほうがいいかもしれません」
松が足を止める。
「どうしたの?」
「あれを見てください」
前方で、長い行列が横切るようにして歩いている。
もちろん人気店に並ぶ人たちではない。皆、異様に長い棒を持っている。
「軍隊……」
長い棒は槍。行列は兵士だ。
「どこの軍じゃ」
「家紋はええっと……亀甲が三つ。浅井軍だと思います!」
市の問いにミナミが応える。
「お、それならちょうどいいんじゃね? これから浅井に用があるんだろ? 偉い奴、見にいこうぜ」
「マキ、それは危険だよ」
「は? 結婚相手がどんな奴か確認するのが目的なんだろ?」
「軍隊だよ。それが歩いてどこかに向かってるってことは、これから戦争が起こる……」
「戦争……」
マキはようやく気づいたようで、顔が一気に真っ青になる。
「やべーよ! 早く逃げようぜ!」
「ふむ。確かにちょうどよいな。浅井長政がいかに戦うか、見せてもらうとしよう」
「ええええ!? 姫さん、ヤバイっすよ! 巻き込まれたら死んじゃうっす!」
馬を進めようとする市をマキが必死に止めようとする。
「なに。別に戦おうというわけではない。遠くから、どっちが勝つか見るだけじゃ」
市がニヤリと笑う。
好奇心があふれ出している。
これは止められないな、とキコはため息をついた。
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