第18話「本能寺の変」
1573年、織田信長は小谷城の戦いで浅井長政を討つ。市は助け出され、信長の保護下に置かれた。
信長は次々に敵対勢力を滅ぼしていき、天下統一も目前となっていた。
1582年、信長は羽柴秀吉の要請を受け、毛利攻めに向かうため、安土城を立つ。途中、京都の本能寺にて宿泊する。
明智光秀もまた先鋒として西へ向かう予定だったが、突如軍を返し、信長のいる本能寺を攻めた。
信長はわずか100人程度。対して光秀は1万以上の大軍を引き連れていた。
キコとナユタに取れる行動は一つしかなかった。
信長とともに本能寺を脱出すること。
しかし、信長はこの戦いで死ぬことになっている。信長に協力したところで自分たちも助かるか分からないが、信長を放っておくわけにはいかないし、敵と囲まれている本能寺から逃げる方法もなかったのである。
多勢に無勢とあって、完全に防戦一方だった。敵を狭い場所に誘い込み、少しずつ入り込んでくるのを討ち取っていく。だが、相手は死体の山を乗り越えてどんどん奥へと入り込んできた。
「キコ、もう下がれ。これ以上は無理だ」
キコは一心不乱に戦っていた。
信長を助けるためもあるが、何よりも自分が生きるため。刀を振るい続け、敵兵を倒していく。
何者かに後ろから肩を捕まれた。
反射的に振り払おうとする。
「キコ!」
その声とその顔にはっとする。
ナユタはキコを呼び戻すため、危険を冒して近づいてきたのである。
「ごめん……」
キコは迫り来る敵を突き飛ばし、ドミノ倒しになったのを見届けると、ナユタに肩を貸されながら、奥へと引っ込んでいく。
ナユタは手ぬぐいでキコの汗と返り血をぬぐう。
「ありがと……」
呼吸することを思い出す。
あまりにも無我夢中だったため、自分は呼吸をして戦っていたのか自信がなかった。
制服はもうめちゃくちゃだった。煤と血に汚れ、元が何色だったかも分からない。これまでも戦闘で汚れることはあったが、さすがにもう捨てるしかないだろう。
制服を買い換えるとなればいくらになるだろう。親に怒られることを考えると頭が痛い。
「そろそろ仕舞いだな」
信長が一人つぶやく。
体中に矢傷を負い、全身が真っ赤に染まっている。
小姓が手当をしようと近づくが、信長はハエを払うかのように追い払う。
「これも何かの縁だ。天の使いよ、最期も見届けてもらうぞ」
「最期……」
信長の意味は誰にだってすぐ分かる。
もう打つ手なし。敵に討たれるくらいならば自害する、ということだ。
キコは現代に戻ったときのことを考えていたが、戻れるのはこの場を乗り切ったあとのことだ。しかし、乗り切れるのか……。
「信長様、私に任せてもらえませんか?」
「任せる? 何をだ?」
「光秀さんを説得してきます」
「はっ、何を言うかと思えば」
信長は鼻で笑う。
「おっしゃる意味は分かります。覚悟なければ、主君を討とうなど思いません。私なんかが光秀さんを説得できるわけないんです」
「分かっておるではないか」
交渉に自信はない。また何かを失ってしまう気がする。
「でも、試す前に諦めるのは間違っています。時間くらい稼げるかもしれません。私を使者に立ててください」
信長はあっけにとられていた。
小娘が何馬鹿なことを言うのだ、ではなく、小娘もこんな顔をするのかと。
キコは真剣だった。
「分かった。もはやどうにもならん。貴様の好きにしてみせよ」
「ありがとうございます」
キコは乱れた制服を整える。
これでも自分の正装だ。戦国を生き抜いてきた軍服だ。交渉ならばできるだけきっちりしたい。
ナユタはキコの髪を手ぐしで梳かしながら問う。
「キコ、何をする気だ?」
「話し合ってくる」
「戦うのか?」
「そうなるかもしれない」
「死ぬぞ」
「うん……」
キコは苦々しくうなずく。
「誰のためだ?」
「私のため」
「ならいい」
ナユタはキコの思うところを察してふっと笑った。
「誰かのために死ぬのは、馬鹿馬鹿しい。でも、やりたいことがあるならやってこい」
「ありがとう、ナユ。できるか分からないけど、みんなを救ってみせる」
「そうだな。だが信長はほっとけ。たぶん歴史通り死ぬ」
「ふふ、ナユって正直だね」
「当たり前だ。あたしら四人で帰れればいい。どっちみち信長が助かったところで、現代では生きてないからな」
ナユタの言うことは最もだった。
できれば信長も助け出したいとは思っているが、今一番大事なのはこの場を乗り切って、マキと南を探し出し、元の世界に戻ること。
このままここで戦い続けてもそれはかなわない。ならば、敵大将と直接渡り合うほかないのだ。
「あたしもいく」
ナユタはキコに手を差し出す。
キコは少しびっくりするが、すぐにその手を両手で包み込んだ。
「うん! 一緒に行こう」
ナユタから何かをしようというのは珍しい。いつも一人離れて見ていた。しかし、今回ばかりは違った。
燃えさかる本能寺に、甲高い女性の声が轟く。
それは女房の逃げ惑う声ではなかった。
「道を開けろー! 天の使い様がお通りぞー!」
ナユタだった。
小さい体に似合わぬ大音量で叫びまくっている。
甲冑を着ず制服姿のまま、キコとナユタは敵中をゆっくり堂々と歩いていた。
その異様さに明智軍は誰も手出しできず、道を開けるしかなかった。炎の地獄から出てきた天の使いとあって、手を合わせて拝み出す者もいる。
キコはいつ殺されるか分からない緊張感、そして天の使いに持ち上げられる恥ずかしさで紅潮していた。
「来ましたね」
敵をかき分けた先には大将・明智光秀がいた。
いつもの光秀だった。すぐにこっちを殺そうといった気配はまるでない。
「ご用件をうかがいたいところですが、事が済んでからにしていただきましょう」
「そうはいきません」
「交渉に応じることはありません。それに、時間稼ぎなのでしょう?」
光秀に読まれていたようだった。
光秀は合図をする。キコの横を兵士たちがすり抜け、信長のいる方向へ向かっていく。
そして、光秀の横に意外な人物が姿を現す。
「キコ、無駄なことはやめよう」
「マキ!?」
それはマキとミナミだった。
タイムスリップ後、キコたちと違う場所に現れ、光秀陣営にいたのだ。
「信長は死ぬ運命なんだ。死ななきゃいけない人間なんだ」
「マキ、何言ってるの……?」
マキが光秀を肯定し、信長を殺そうとしているのは明らかだった。
「ごめんね、キコ。一応、説得したんだよ? でもね、マキちゃんどうしても信長は許せないって……」
マキの隣で、申し訳なそうに言うミナミ。
信長が長政を殺したことを言っているのだろう。
「キコ、光秀さんの邪魔をしないで!」
「どうして!? 信長さんを死なせる必要はないでしょ!」
「あるよ! 見ただろ、あいつのしたこと! あいつは死んで当然なんだ。だから、歴史でも光秀さんは信長を殺すしかなかったんだよ!」
「マキ……」
「キコも分かるだろ? 光秀さんは悪い人じゃないって。光秀さんはちゃんと信長に仕えようとしたんだよ! でも信長が悪いことをするから、殺すしかなかったんだ!」
マキはこの時代に来て、光秀と話をしたのかもしれない。光秀を信じて、光秀のやることを応援しようと思っている。
「そうかもしれないけど……歴史通りになるのを見過ごせないよ」
「歴史を変えるのはよくないって言ったのはキコだろ! アタシらは余計なことしちゃいけないんだ! 関わるだけ何かが不幸になっちまう!」
マキの言う通りだった。
キコのせいで利家は死に、前田家の人間はどれだけ狂わされたことだろう。長政と市の件も、余計な苦しみを与えてしまったかもしれない。
「……ごめん、マキ。私はもう迷わないって決めたから……」
「そういって……。そういって、アタシと戦うの?」
「え?」
「そうだ、好きにすればいいよ。アタシを倒してからね」
「待って、そういうことじゃなくて……」
「そういうことなんだよ! キコのしてることは!!!」
マキはかつてないほど声を荒らげ、その勢いには戦場の将兵たちも声を失ってしまう。
「マキ……」
「分かんないんだよ! アタシにも! ……それなら、キコみたいに決めてもいいなと思うよ」
マキは腰に差していた刀をゆっくりと抜いた。
「ダメだよ、マキ……」
「これで決めようよ。勝ったほうが正しい、でいいんじゃないか」
マキは刀を構え、一歩一歩キコに近づいていく。
キコはそれに合わせて後ずさる。
そして後ろにいたナユタにぶつかってしまう。
「キコ、やれ」
「え、でも……」
「ミナミはあたしがやる。マサキは頼んだ」
「頼んだって……」
ナユタもまた刀を抜く。
「ええっ!? わたしはやらないよ!?」
自分が狙われていると分かり、大いに取り乱すミナミ。
「意見が食い違えばぶつかるしかない。解決してこい、キコ」
「ナユタ……」
キコは刀を抜く。
「うわああああ!」
それを見たマキは一直線に斬りかかってくる。
キコは刀を合わせ、力をそらしてやり過ごす。マキは勢いのまま無様に地面に転がるが、受け身を取ってすぐに立ち上がった。こういう荒事には臆病だが、マキは四人の中で一番運動神経がいい。
「そうだよね、ナユタ。こうなったらやるしかない」
キコは刀を握り直した。
「ミナミ、光秀を追うぞ」
「え? どういうこと?」
「あの刀だ。あれに何か秘密がある」
「秘密? あ、タイムスリップのこと?」
「そう」
キコとマキが戦っている横で、ナユタはミナミの腕を引っ張り走り出していた。
「やっぱり何かあるよね、あれ。そんな感じしてたんだ」
「何か知ってるのか?」
「うん。あれは明智近景だよ」
「あー、名前が消されたとか言ってたっけ?」
「光秀が持つ名刀で、光秀の死後、他の人に渡り、『明智日向守所持』って文字を削られてしまうの」
「やっぱあれもタイムスリップした鍵だったんだな」
キコたちは美術館で見た刀は、信長が所有していた宗三左文字だけではなかった。その前に、光秀の明智近景も見ていたのである。
その二つに因縁があるかどうかは、誰が見ても明らかである。
「とりあえず光秀を追うぞ」
「うん、信長さん殺されちゃうからね」
「信長は別に言いけど」
「え~。歴史通りと言っても、信長さんが死んじゃうの嫌~。天下統一するのみたい~」
ミナミは相変わらず歴史オタクで、こんな状況においても、信長が生存するというifに興味があるようだった。
しばらく進むと、兵士たちの人だかりが出来ていた。
ナユタとミナミはずうずうしく、かき分けて前に出て行く。
そこでは信長と光秀の一騎打ちが行われていた。
大将同士の戦い、兵士たちはそれを見守ることしかできないのだ。
「こっちでもやってたか……」
「うん……。どうしようっか」
「ミナミ、ちょっと行ってきて、光秀の刀奪ってこい」
「無茶だよ! 死んじゃうよ! ナユちゃん!」
「ちっ」
そう言ってナユタは人の輪から飛び出して、二人の戦場に接近する。
「信長! 勝て! 勝ってその剣を手に入れろ!」
「天の使い? また、不可思議なことを言う」
信長は光秀の攻撃をあしらい、ナユタの言葉に耳を貸す。
「あの刀がないと天に帰れないんだ! だから勝て!」
「ふ、無茶を言ってくれる。この状況で俺が勝つと思っているのか?」
信長は体中傷だらけ。平気そうな軽口を叩くが息は上がっていて、ふらつきながら戦っている。
それに光秀を倒したところで、大勢の敵に囲まれている状況なのだ。
「勝つ」
「なにゆえに?」
「信長だから」
「ふっ。ふふ、ふはは、ふははははは!」
信長は息苦しいのに笑いをこらえきれず、大笑いしてしまう。
決闘中に大笑いする信長の姿に、一同は呆然とするしかなかった。
「俺が信長だから勝つと? ふははは! 面白い。まさにその通りよ! 俺は信長だから勝ってきた。確かにこの戦でも負けるはずがない。ふははは!」
「お前はいつもそうやって、人を馬鹿にする! 戦を茶化すな! これがどういう戦か分かっているのか! だからお前は……」
「そうカリカリするな、光秀。だから貴様は足りぬのだ」
「足りぬと?」
「貴様は器が足りぬ。小さいことで取り乱すようでは天下など取れぬ。人の上には立てぬ!」
「この後に及んで……!」
光秀は馬鹿正直に正面から信長に迫り、渾身の一撃を加える。
信長は力の方向を見抜き、簡単にいなしてしまう。
「カリカリするなと言うておろう」
光秀は構わず連続攻撃を加えていく。
信長に残された力は少ない。信長の剣技が優れていようと、いつまでも受け続けることはできないだろう。
「散れ、信長!」
「来い、光秀!」
これで仕留めるつもりで、光秀は全身全霊をかけた一撃を放つ。
信長もその場で構え、光秀の技に応じる。
鋭い金属音が鳴り響く。
「勝負あったな」
「え? どっちが勝ったの?」
「そりゃ信長だろ」
「ほんと?」
「たぶん」
斬り合ってその場から動かぬ二人。
先に動いたのは信長だった。
倒れそうになり、刀を床にさして支えとしようとするが……刀が折れて、信長は無様にも倒れてしまう。
「ええっ!?」
その姿に仰天の声を上げてしまうミナミ。
「お見事です……信長様……」
光秀はそう言うと、力なくその場に崩れ落ちた。
「ええっ!? どっちが勝ったの!?」
「だから信長だろ」
致命傷を負ったのは光秀のほうだった。
信長は折れた刀を使って、なんとか這い上がるようして立ち上がる。
「くそっ……。こんなナマクラ持たせたのは誰だ……。蘭丸め、あの世で文句を言ってやらねばならん」
「信長さん!!」
ミナミは驚きと喜びで跳ね上がるようにして信長のもとに駆けつけ、信長に肩を貸した。
「光秀よ」
信長は倒れたまま動かない光秀に声をかける。
「何も貴様が間違っていたわけではない。俺のような魔王がいれば討ちたくなる気持ちも分かる。だが時期が悪かった。天下を取ったあとならば玉座を譲ってやったものを」
将兵たちが光秀の仇を討とうと信長を取り囲む。
「死んではおらぬ。武士と武士の約束だ。通してもらうぞ」
信長はミナミに肩を借りながら、敵の中を取っていく。
ナユタは光秀の手から転がった明智近景をこっそり拾い上げる。
「期待しておったのだがな」
信長は一人ぼやいた。
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