第4話「騎馬武者」
「近寄らないで」
キコは一歩前に立ち、腕を広げる。
男たちからミナミたちをかばおうというのだ。
「キコ……」
今にも消えそうなか細い声。ミナミの足はガタガタと震えている。
体格的には頼りになりそうなマキも、ナユタの腕にしがみついて離れない。本人はナユタの力となろうとしているのだが、実際はナユタに支えられている形だ。
キコは歯がみする。隙を見つけて逃げ出すというわけにもいかなそうだった。
「なあに、怖がる必要はねえ。間者かどうか、確かめさせてもらうだけだ」
それだけで済まないことは、男たちの下卑た笑いから分かる。
間者? 何を言っているの? いや、そんなのどうでもいい。今はこの場を乗り切ることを考えなきゃ。でも、どうやって? 相手は十数人。鎧を着て、槍を持ってる……。
他の三人は完全に諦めている。もはや男に従うしかない未来を受けて入れている。皆を助けられるのは自分しかいない。
キコは決意する。
「私が相手をするわ。みんなには手を出さないで」
手を下げて、男たちのほうへ歩み寄っていく。
なるべく心が怯えていることが分からないように、大きな歩幅で。
「ほほう。お前がか? いいだろういいだろう。さあ、こちらへどうぞ」
ニヤニヤした、いやらしい顔。
舌打ちをしたくなる。
気安く手を肩に置いてくる。
振り払いたくなる。
「キコ……」
男たちに伴われて去って行くキコを見て、マキが情けない声を出す。
「大丈夫。ちょっと話をしてくるだけだよ」
キコは今できるかぎりの笑みを三人に見せる。
三人はキコが連れて行かれる様子を、見ていることしかできなかった。
マキは血がにじむほど、自分の唇を強くかんだ。助けたいと思っても、声が出ない、手が出ない。ただ涙が出る。キコが名乗り出てくれてよかった、と思ってしまう自分を責めるのが精一杯だった。
「それじゃあ、話を聞かせてもらおうか」
男たちはヘラヘラした笑いをしながら、キコを取り囲む。
「いいわ。何が聞きたいの?」
「そうだなあ。まずはお仕事を片付けてからにしようか」
男たちは顔を見合わせて、気味の悪い笑いを浮かべる。
「俺たちは怪しい奴がいないか探るのが仕事なんだ。織田の奴らがどこにいるかとか、間者がおかしなことをしてないかとかなぁ」
織田? ということはこいつらは今川の兵?
男たちは相手が少女と思って、ぺらぺら情報を漏らす。彼らは今川の偵察隊のようだが、別にキコから有益な情報が得られると思っていない。ただ、はかない少女とのやりとりを楽しんでいるのだ。
「さっき信長を見かけたわ」
「は?」
兵士の顔が少し変わる。
「あなたたちが探している、織田軍の大将を見たと言っているの」
「はっ、ふざけたことを言うんじゃねえ。織田は兵をかき集めたって数千だ。対して今川は数万。奴らが籠城するのは分かりきってんだ。こんなところに出張るはずがねえ」
兵士は周りに織田軍がいるとは思っていないようで、思いたくもないようだ。自分たちは勝ち組で、敵のいないところで楽な任務を行い、余興として少女で遊びたい、という欲望と慢心。
「ほんとよ。信じるか信じないかは、あなたの自由だけどね」
「ああん? こっちが優しくしてやってんのに、何だその態度は!」
男がいきなり制服の襟元を掴み上げる。
これにはキコも予想外だった。男たちはもっと理性的で、有益な情報をちらつかせれば、態度を和らげて交渉に持ち込めると思っていた。しかし戦国時代の兵士は、そうではなかったようである。
「うっ……やめて……」
「やめねえよ! 貴様が俺たちの相手をするって言ったんだからなぁ!」
男の腕を振り払おうとするが、まったく振り払えない。
「避けろっ!」
誰が発したか分からなかったが、確かにそう聞こえた。
次の瞬間、視界が真っ赤に染まった。
それは紛れもなく血だった。
自分のではない。掴んできた男が血しぶきを上げている。
突き飛ばされて、キコは地面に倒れ込む。一瞬のことで何が起こったか分からなかった。
「敵だーっ!」
男たちが叫んでいる。
キコはその言葉で状況をようやく察した。敵が攻めてきて、戦いが始まったのだ。
そして、白い制服が赤く染まっているのに気づく。自分の血ではなく、相手の返り血なのは分かっているが、ひどい嫌悪感に襲われる。
「え……」
さらに畳みかけるように心が揺すぶられる。
体を起こすと、血まみれの男が倒れているのが見える。肩には槍が食い込み、体を貫いていた。
人が死んでる……?
目の前の人が生きているわけがないのは、誰の目にも明らかだ。けれど、いやだからこそ、それが現実のものだと認めたくない。
馬蹄の音が聞こえる。
騎馬がものすごい勢いで接近していた。数はおそらく一騎。
今川兵は槍を構えて応戦しようとする。
「どけどけどけーい!」
騎馬武者が怒声を上げて突進してくる。
今川は十人以上いる。だが向けられた槍に恐れることなく、速度を下げずに集団へと突っ込む。振り下ろされた太刀は槍を切りはね、鎧ごと男を両断する。そして、その勢いのまま、囲いを突破し脱していった。
「また来るぞー! 迎え撃てー!」
騎馬武者は馬首を返し、再びこちらへ向かってくる。
また死んだ……? 本物なんだよね、これ……。槍も刀も……血も死も……。
すぐにこの場を離れなくてはいけないはずなのに、体が動かない。地面とくっついてしまったかのようだ。頭と体は無意識に酸素を求め、肩を激しく揺らして呼吸する。
騎馬武者がまた人を斬った。
キコの側で、男のうめき声が聞こえる。
「たかが一人だ! 囲め囲めー!」
まさに獅子奮迅。騎馬武者は馬を巧みに操り、徒歩の今川兵を次々に始末していく。
キコの眼前で馬がいなないた。人がどんどん死んでいくさまを呆然とみていたが、急に現実に引き戻される。
馬につぶされたら死ぬ。騎馬武者に刺されたら死ぬ。そう分かっていても、体は相変わらず言うことを聞いてくれなかった。
そして、馬に乗った男と目が合った。
勇ましい顔つきで、自分とはまるで違って恐怖など感じていない目だった。むしろ、生き生きとし精気がみなぎっている。
これが武士というものなんだろうか。キコは自分が日本の戦国時代にいることをようやく認識する。
男がふっと笑った気がした。
そして、一番はじめに殺した男から槍を勢いよく引き抜いた。それは彼が遠くから投げて的中させたものである。
「やれー! 今だー!」
今川軍は騎馬武者が停止した隙を逃さない。
五人で取り囲んで槍を突きかけた。
騎馬武者が一振りする。
槍は跳ね飛ばされ、今川兵の手元は空っぽになってしまう。彼ら自身も何が起きたか分からないようだった。
続けざまに槍が降り注ぎ、体にぽっかり一つずつ穴が空いていく。男たちは決して叶わぬ相手と戦ってしまったことだけを悟り、絶命していった。
「ひ、引け! 引くのだー!」
恐怖で裏返った声が、残りわずかになった部下に命令する。それはキコをさんざん言葉で弄んだあの男である。
今川兵は槍を投げ捨て、振り返ることなく走り去っていった。
残されたのは仲間の死体だけである。
「大丈夫か?」
一人で十人近くを倒した男が馬を下りて、キコのもとに歩み寄る。
息が上がっているというよりも弾んでいる感じだ。あれだけ暴れ回っても、まだまだ動けるようだ。
手を差し出されたので、キコは何も考えることなく受けてしまう。
大きくて温かい手だった。
「あ、ありがとうございます……」
しかし、男の手は血で濡れていた。握った自分の手も赤くなっている。
「危ないところだったな。女が何をやっている? ここは戦場だぞ」
「すみません……。行かなくちゃいけないところがあって……」
戦場か……。
自分たちはなんてうかつなことをしていたんだろう。今川軍の本隊がいるという桶狭間までは5キロもないはず。その近くには配下の部隊がいて当たり前だ。どうして、わざわざ危険な場所へ行こうとしたのだろう。キコは今さらながら後悔する。
「どこに行こうってんだ? あっちこっち兵ばかりだぞ。戦時に見通しのいい道を歩いてるとは、命知らずにもほどがある」
そっか。これまで人に会わなかったのは、戦争やってるからなんだ……。
大雨の中、外を出歩く馬鹿はいない、というぐらい、戦国時代では常識なのかもしれない。
「会わなければいけない人がいて。もしかして、織田の方ですか?」
「そうだが……戦中見舞いでも届けようというのか?」
「いえ、信長さんに会いたくて」
「は? 信長と言ったか?」
男の顔が急に険悪になる。
信長といえば織田家の当主。いきなりその人物に会いたいと言えば、疑うのは当然だった。
「うわーはっはっは! 信長に会いたいだと! これはおかしい!」
怒られるかと思ったら豪快に笑い出すので、キコはきょとんとしてしまう。
「信長はやめとけ! ろくな男じゃないぞ!」
「え? どういうことですか?」
「あいつは欲しいと思ったら必ず手に入れる男だ。一方、面白くないと思えばいつでも捨てられる。お前、見てくれは悪くないし、あいつが面白がりそうな服を着ているが、いつまで気を引けるかな」
「え……そういう意味じゃなくて……」
キコは顔を赤らめる。
この男は、キコが信長の女になりに来たと思ったようだった。
「まあ、戦が終わったら会ってみるがいいさ。気に入ることは間違いない。お前の器量なら、もっといい男もいっぱいいると思うがな」
「そ、そんな……」
こういうことは言われ慣れていないので、どう反応していいか分からなかった。
「おっと、こうしている場合じゃない。俺はこれから、その信長のところに行かなくちゃならねえんだ」
「え? 桶狭間に行くんですか?」
「桶狭間? なんでそんなところに行かなきゃならねえんだ?」
「だって、今川の本陣が……。あっ」
キコはそこでようやく気づいた。
信長が桶狭間で義元を討つのを知っているのは、歴史を知ってるからなんだ……。この時代に生きるこの人が知るわけない……。
「どうしてそれを?」
「い、いえ……何でもないです」
「何でもないじゃねえ。教えてもらおうか」
男から優しい顔は消えていた。
さきほどの武士の顔つきで、キコの腕を掴み上げる。
「えっ……。あ、あの……」
なんて不用意な発言をしてしまったのだ。せっかく友好的で頼りになる人物に出会えたのに。
キコは必死にうまい言い訳を考える。
「偶然見ちゃったです。桶狭間で今川義元を……。それを信長さんに伝えたくて」
「それ、本当か?」
「はい。嘘じゃありません。100パーセント……いえ、絶対義元は桶狭間にいます」
男はキコの腕をぱっと放す。そして、無精髭の生えた顎をさすりながら考え始める。
「……ふむう。道理ではあるな。よし、信長のところへ案内しよう」
「いいんですか!?」
まさかこう簡単に信じてもらえるとは思わなかった。
しかし、こんなにいい条件はなかった。とても強い信長の家臣に守ってもらいながら、信長に会えるのだ。
「じゃあ、友達も連れてきますね。向こうにいるんです」
「ああ、そうするといい」
「あ、そういえばお名前、聞いてもいいですか?」
「俺のか?」
「はい。私は松任葵子と言います」
「キコか。可愛いな名だな。俺は利家。前田利家という」
「利家さん、ですね」
キコはぺこりと頭を軽く下げて、ミナミたちがいるところへ行こうとする。
「危ねえ、伏せろ!」
利家の声が聞こえた次の瞬間、キコは後ろから突き飛ばされていた。
重くて固い、そして痛い。
甲冑を着た利家が負ぶさってきたのだ。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
何が大丈夫なのか、よく分からなかった。
利家に突き飛ばされ、地面にぶつかったところは鈍い痛みがあるが、そんなにヒドイものではない。
「馬は乗れるか?」
「え? はい」
「そうか、珍しいな」
決して裕福な家ではなかったが、母が乗馬クラブに通わせていたので、キコは馬に乗ることができた。もともと武士だったとか、貴族だったことがあったとかで、人よりよい教育をと、無理矢理習わせていたのだった。
利家は自分が乗ってきた馬の手綱を引き、キコの前まで連れてくる。
「きゃっ!?」
急に体が宙に浮いた。
利家がキコの体をひょいと持ち上げたのだ。そのままキコを馬に乗せる。
「走れ! そして、信長に会え!」
「え? 利家さんは?」
そのとき、風を切る音が聞こえた。
音のほうを見ると、空から何かが降ってきていた。矢だ。
利家は馬の尻を思いっきりひっぱたく。
馬はびっくりして、いななくと同時に走り始めた。
「利家さん!」
「俺のことはいい! 逃げろー!」
今川軍が仲間を引き連れて戻ってきたのだ。
利家の背には、すでに矢が数本刺さっている。今川軍は弓を射かけ、利家はキコに覆い被さることで、かばってくれたのだった。
そして今、矢の雨が利家に向かって降り注ごうとしている。
利家は槍を拾い、矢を受けながらも敵がいる方へと走り始める。
助けなきゃ、とキコは思う。この馬はサラブレッドと違って大きな馬ではないが、なんとか扱えるという感覚があった。
しかし次の瞬間には、自分が戻ってどうなるわけでもないという考えに至る。
「ごめんなさい……」
キコは馬をまっすぐ走らせる。
利家さんは私を逃がすために残ってくれたんだ。なら……私は逃げなきゃ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます