第5話「生と死」

「えっ!? キコっ!?」


 馬に乗るキコを見たミナミたちの反応は、当然のものであった。

 騎馬武者が近づいてくると思って隠れたが、姿を現したのが白い制服を来た少女。


「キコ、馬に乗れるの!?」

「少しね」

「すごい……!」


 ミナミは、戦国時代の馬に乗るキコを見て興奮しているようだった。


「キコ、大丈夫だったの?」


 冷静に心配してくれるのはナユタだ。


「うん、大丈夫。何もされてないよ」


 ナユタは男たちに汚されたのではないかと心配しているが、死にそうな目には遭ったものの、体は傷つけられていなかった。多少の擦り傷はあるが。

 キコはゆっくり馬から下りる。


「ちょっ!? 血まみれじゃんか……!」


 キコの白い服が赤く染まっているのを見て、マキが叫ぶ。


「これ、私のじゃないから。それよりも早く逃げなきゃ。あいつらが追ってくる」


 なぜ血がついたかは説明したくなかった。自分でも心の整理がまだついていない。できればすぐに着替えてクリーニングに出したいが、追っ手から逃げて、元の世界に戻ってからの話だ。


「馬は奪ってきたのか?」

「ううん。私を助けてくれた人が譲ってくれて……」

「……そう。それで、逃げるんだっけ?」


 キコの気持ちを思ってか、ナユタはあえて深く聞かなかった。


「うん。荷物は私が持つから、みんな走って」


 キコは鞄を預かって馬に乗せ、三人を先導する。

 しばらく全力で走って距離を離し、それから速度を緩める。息が切れるまで逃げ続けるほどではないだろう。相手も徒歩で、鎧を着ているのだから、そんなに早く動けないはずだ。


「ミナミ、どこに行けばいいと思う?」

「桶狭間に向かえばいいんじゃないの? 信長に会うんでしょ?」

「あそこは危ないよ。今度捕まったら、何をされるか分からない」

「キコ……」


 一同はキコが何を経験したか聞かされていないが、恐ろしい目に遭ったことは想像できた。キコの言うことはもっともだと思える。


「でも、危険じゃない場所なんてあんの? わたしたちに味方はいない。織田だろうが今川だろうが、そこら辺のオッサンだろうが、襲われる可能性はある。それより、戦場突っ込んで信長と会うのがいいんじゃない? 次はいつ会えるか分からないし、それまでわたしたちが無事な保証もない」


 ナユタが反論する。

 戦争が終わってから、信長に会いに行くのが安全なのは間違いない。けれど、安全になるまでどこにいればいいのか。ここにいても襲われることもあるだろうし、時間が経てばお腹が空いて動けなくなる。足は靴擦れで痛み出しているし、空腹になれば熱田神宮に戻ることさえ厳しいと思える。


「そうかもしれないけど……」

「力のない奴が選べる道なんてないんだよ。すがれるときに、すがれる者にすがれ。機を失ったらそれで終わりだ」


 ナユタは言い捨てる。

 自分たちはただの女子高生なのだ。無人島でサバイバル生活なんできない。衣食住を確保して、武士という名の野生動物から逃げられるだろうか。不可能だ。誰かに助けてもらうことで、ようやく生き延びることができる。


「ミナミ、桶狭間までどれくらい?」

「え? 行くの!?」


 ミナミは危険は少しでも避けたいと思っていたが、キコも戦場に向かうべきと言うなら従うしかなかった。


「……ええっと、走って20分くらい?」

「戦いが始まるのは何時?」

「今は12時ぐらい……かな。歴史の通りなら、そろそろ大雨が降るはず。信長は先が見えないくらいの雨の中を進むことで、今川軍に見つかることなく桶狭間にたどり着くの。だから、1時ぐらいだと思う」

「1時……」


 このまま桶狭間に直行したら、信長が襲撃する前の今川本陣に着いてしまう。こちらは無力な女子高生。すぐに見つかり、怪しまれて捕まってしまうだろう。

 キコがそんなことを考えていると、マキとミナミはまったく別のことを話し始める。


「雨かぁ。どこか雨宿りできる場所があればいいな」

「確かに! ヒョウが降ってたという説もあるぐらいで、すごい豪雨みたいだよ」

「ヒョウ!? そりゃヤバイなっ! 死んじゃうじゃん!」


 人が本当に死んでしまう様子を見てしまったキコからすると、雨を気にしたり、軽く死を口にしたりするのはどうなんだろうと思ってしまうが、それが普通の女子高生の反応である。


「どこか木陰で時間をつぶしていよう」


 ナユタの提案で、道を外れて大きな木の下までやってきた。街道沿いの東屋に避難する手もあったが、他の人に遭遇してしまう可能性があるのでやめた。

 織田が今川を襲撃するまでは、桶狭間に近づかないほうがいいだろう。もしも、今川に感づかれてしまっては、警戒が強まり、織田に迷惑をかけることになってしまう。奇襲が失敗したら、人数の少ない織田に勝ち目はない。そうなったら、腹を斬っても詫びたことにはならないだろう。


「今、何時なんだろうなあ」


 マキがぼやく。

 腕時計は4時半を指しているが、それは元いた時代の時間であって、今の時間ではなかった。ミナミは12時ぐらいだと言っていたが、太陽の位置から予測した大まかな時間でしかない。しかも急に曇りだして、太陽がすっかり見えなくなっている。

 ただ待っているというのは非常に苦痛だった。

 なぜタイムスリップしたのか。どうやれば元の世界に戻れるのか。信長に会えるのか。信長は助けてくれるのか。今日の夕飯はどうしようか。夜はどこで寝ようか。多くの難題を抱えているにもかかわらず、何もできないのだ。

 ミナミとナユタは走り疲れたこともあって、木を背にして座り込み、うつらうつらしていた。おそらく、こうして体を休めるのが正解なのだと思うが、キコは休もうという気分にはなれなかった。

 自分を助けるためにあの場に残った利家が気がかりだったのだ。それはこの待機時間が続くほど大きくなっていく。自分は確かに生きることができているが、時間を無駄にしているようにしか思えない。せっかくもらった命、時間を有効活用できないと、利家に申し訳ないと感じるのだ。


「ごめん、ちょっと行ってくる」


 キコが休ませていた馬に飛び乗る。


「え? どこに行くってんだよ」

「すぐ戻るから」


 そう言うとキコは馬を走らせ、通ってきた道を引き返していく。

 マキは引き留めようと後を追いかけるが、すぐに足を止める。キコは心配だが、ナユタたちを置いていくことはできないと思ったのだ。

 キコは構わず馬を進める。利家の馬は従順で、キコのいうことを素直に聞いてくれた。


「あなたの主人を迎えにいくよ」


 馬のたてがみをなでる。

 利家は無事だろうか。あの利家ならば、敵をすべて倒して生きているかもしれない。ならば助けてあげることもできるはずだ。可能性は低いかもしれないが、今は少しでもできることをやりたかった。

 馬も主人を思っているのか、速度を緩めることなく、まっすぐ利家のいた場所へ向かってくれる。

 道ばたに人が倒れているのが見えた。

 その鎧には見覚えがあった。利家だ。

 鎧にはハリネズミのように矢が突き刺さっている。


「利家さん!!」


 キコは馬の腹を蹴ってさらに足を速めさせる。

 そして速度が緩まるのを待たず、馬から飛び降りる。バランスを崩して倒れそうになるが、すぐに立て直して利家に近寄る。


「利家さん!」


 大声で叫び、肩を揺すっても反応がない。

 うつ伏せになっているのを起こそうとするが、鎧が重くて持ち上がらなかった。


「ああん……誰だ。人が気持ちよく眠ってるのを起こすのは……」


 利家の口がわずかに開き、かすれた声を漏らす。


「利家さん! 大丈夫ですか!?」

「あんたは……」

「キコです! 利家さんに助けてもらった」

「分かってるよ……」


 利家は息苦しそうだった。そして目もうつろで、焦点が定まっていない。


「神の使いかなんかだろ?」

「え?」

「そんな服、見たこともねえ……。なら、この世のもんじゃねえってことだ。無事でよかった……」

「利家さん……」


 キコは利家の手をつかみ取る。

 とても弱々しかった。戦場で座り込んでいた自分を起こしてくれたときとはまるで違う。


「欲張ると嫌われちまうかもしれねえが……心の中で期待して待ってるってのは性に合わねえ」


 利家は独り言を言うかのように、つぶやき始める。


「だから言わせてもらうぜ。……神の使いなら、恩返ししてくれねえかな」

「恩返し?」

「昔話であるだろ? 助けた神やら霊やらが……あとでなんかしてくれる話」

「え、ええ……」

「信長を助けてやってくれ……」

「信長さんを?」

「信長は俺の主人にして友だ。この命を奴に捧げてやりてえと思ってたが……これまでのようだ……。あとはお前に託したい」

「そんな……」


 利家は自分の死を覚悟していた。

 体のあちこちには矢が刺さり、刀傷も見える。重傷であることはキコにも分かった。


「迷惑な話っつうのは分かってるさ。でもよ……今の俺にはあんたしか頼れねえ。ただとは言わん……。これを……持ってけ」


 利家は腕を伸ばし、近くに取り落としていた槍を掴む。


「俺の槍だ。持ってるもんで……一番高え」

「でも……それじゃ……」

「もう俺には必要ねえよ……」


 言葉の意味が分かって、キコの心がずきんと痛む。


「今川は……桶狭間にいんだろ?」

「え、はい……」

「そんなすげえこと知ってんのは、神様しかいねえ……。その力で、信長を助けてやってくれよ……」

「…………」


 利家さんは私が普通の人じゃないって分かってたんだ……。

 キコの説得がうまくいって信じたわけではなく、霊的なものだと思って話を合わせてくれていたのだ。


「はい……必ず」


 キコは利家の手を両手が強く握り締める。


「そうか……」


 利家は苦しい中にも、できる限りの笑顔を作ってみせる。


「へへっ……これで安心して逝けるわ……」


 そう言うと、キコの顔を見るために上げていた頭ががくっと下がる。


「利家さん?」


 利家は呼びかけに答えない。


「起きてください、利家さん! こんなところで死んではダメですよ! 信長さんのために戦うんでしょ!? 利家さん……利家さん……!」


 キコの叫びが暗雲のたちこめた空にむなしく響き渡る。

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