第10話「女旅」

 キコは前田邸に戻り、急ぎ旅支度をさせた。

 旅などしたことないが、家の者があれこれ気を利かせてくれ、用意をしてくれた。急に現れたよそ者の主人のために、申し訳なく思い、ただ感謝するばかりだった。

 再び城に戻って、夜闇に紛れて市を連れ出し、街道で待っていたミナミたちと合流する。


「というわけで、わらわが市じゃ。別に特別扱いする必要はない。道中、よろしく頼むぞ」

「わあ! 姫様にお会いできて光栄です! 戦国一の美女をいわれる姫様に絶対お会いしたいと思ってたんです! あっ、あたし、相羽南と言います! ミナミと呼んでください!」

「ほう、わらわを戦国一とな。ミナミとやら、なかなか見所があるのう」


 有名人と出会えて、ミナミはいつも以上のようにテンションが上がっている。

 しかし市が有名になるのは、結婚したあとのことだ。まだ地方領主の妹でしかない。


「おい、キコ。お姫様なんて連れてきてよかったのか? 偉い人なんだろ? もしものことがあったらどうすんだ」

「ごめん、断り切れなくって……」


 マキの言うことはよく分かる。戦国時代に不慣れな女子高生グループが、お姫様をつれて旅をできるのか、ということだ。

 浅井長政の居城である小谷城は、現在の滋賀県にある。名古屋からは80キロ程度で、車ならば1時間ぐらいで着く距離にある。もちろん、車はないので移動手段は基本的に徒歩である。


「それより……」


 マキは、ミナミとはしゃいでいる市を見て言う。


「なんでお姫様が制服着てんだ? あれ、ナユのだろ? そして、ナユはどうした?」


 戦国のお姫様が真っ白の制服に身を包んでいる。

 着慣れていないというのがあるのだろう、ちんちくりんな感じがする。


「ナユがね……姫様に制服を着せれば、城から怪しまれずに出られるからって。で、本人は姫様の代わりに、お城に残ってるよ」

「おいおい……。ナユは歩きたくないだけだろ……」


 今頃、お姫様待遇でゆったりくつろいでいるに違いなかった。

 身代わりになってくれていると思えば役に立っているはずだが、怠けている気がしてずるいと思ってしまう。


「まあ、あいつが来たところで、邪魔になるだけだしな……」

「あはは……」


 マキに背負われるナユタの姿が思い浮かぶ。


「それで、あの子はなんだっけ? 前田家の人?」


 旅のメンバーは、キコ、マキ、ミナミ、市、そしてもう一人いたのだ。

 旅装の少女が、馬に載せた荷物が緩んでいないか確認している。市と同い年らしい。つまり、キコたちの年下だ。

 マキはそんな少女を旅に付き合わせていいのか不安だった。


「大丈夫だよ。松ちゃんはしっかり者だから」

「へえ。わざわざアタシたちのお供をしてくれるんだから、そういうもんか。正直、アタシらだけの旅はきついもんな。この時代の人がいてくれるだけでも助かるよ」


 屋敷で雑用をしている少女なのだと、マキは思った。この時代に生きる人で、年も同じならば、この旅で一番面倒くさそうなお姫様の相手もしてくれるだろう。それは非常に助かる。


「さて、姫様。そろそろ行きましょうか」


 空が白み始めていた。

 市を歩かせるわけにもいかないので、馬に乗せてキコが手綱を引いた。他は皆、徒歩である。

 旅程は80キロ。歩いて10時間以上かかる。うまくいけば、日が暮れる前に小谷に入れるはずだが、実際には難しいだろう。余裕を持って、不破関で一泊する予定だった。

 案の定、数時間歩いたところで、足が悲鳴を上げていた。舗装されていない道を革靴で歩くのは、やはり現代人にとって非常に困難なのだ。


「そろそろ食事にしましょうか」


 キコたちが立ち上がる気力もなく、座り込んでいる中、松が一人でテキパキと準備を始める。

 時間はおそらく8時頃。ちょうど戦国時代の人も朝食を食べる時間だ。

 戦国時代は一日二食が基本で、二回目の食事は午後二時ぐらい取る。日が暮れたら就寝時間なので、夕飯は不要なのである。


「あの子、すごいな……」


 体力的にマキは余裕があったが、家事全般は苦手なので、少女が準備している様子をぼうっと見ているしかない。


「ま、ベテラン主婦だからねー」

「え? 主婦? どういうことよ?」


 マキはミナミに問う。


「松ちゃん、子持ちだよ」

「は? 子持ち? 何言ってんの?」


 自分より年下の少女に子供がいると言われても、意味が分からない。

 マキの頭には、子持ち昆布しか思いつかなかった。


「松ちゃんは12歳になる前に出産してるの。歴史通りなら、去年のはず」

「はあああああ!? 12歳で子供産むわけねえだろ!」


 そんなはずがないと、マキは思いっきり否定する。


「まー、戦国時代だからねー。そこまで珍しいことじゃないよー」

「はあ……? それ、マジなのか?」

「うん、マジマジ」

「わけわかんねえな……。今は13とか14? アタシたちより年下でもう結婚してて、子供いるとか、考えられないな……。あのお姫様もこれから結婚するんだろ……」


 マキはこの400年前の慣習についていけず、腕を組んで体をぐらぐらと揺らしている。


「ミナミ、歴史通りなら、って言ったよね?」

「うん、言ったけど?」

「松ちゃんって有名な人なの?」

「え? キコも知らないの?」

「知らない……」


 ミナミと仲の良い、前田家で働いている少女、というぐらいの認識だった。キコはまた、未来の偉人に失礼なことをしていたんじゃないかと不安になる。


「前田家で松と言えば、一人しかいないよ! 前田利家の奥さん! 利家とは仲が良く、11人も子供を産んだんだって」

「え……」

「この数は戦国時代でも珍しいみたい。名前は芳春院とも呼ばれてるね。良妻賢母として知られ、利家の出世を支えたんだ。利家の死後も、前田家をリードして加賀百万石の土壌を築いたんだよー」


 利家さんの奥さん……? 子供が11人……? それって……。

 キコは頭が真っ白になった。未来の偉人に失礼をした、というレベルではなかった。

 私……松ちゃんの旦那さんを殺してしまったんだ……。

 前田利家と松は夫婦である。すでに1人の子がいて、利家が生きていればこれから10人の子の恵まれるはずだった。しかしすでに利家はこの世におらず、その子供たちは存在しないことになってしまう。


「キコ、キコ? どうしたの?」

「あ……ううん、大丈夫……」


 平静を装おうとするが、呼吸が落ち着かない。このままで過呼吸になってしまいそうだ。

 立ち上がって一人歩き出す。


「私……利家さんだけじゃなく……お子さんの命まで奪っちゃったのかな……」


 目から涙がとめどなくあふれてくる。

 もはや巻き込まれたと被害者ぶってもいられない。自分はこの時代に影響を与えすぎている。


「何を泣いておる」


 人目を避けて移動したはずだったが、前には市がいた。


「いえ……花粉症です……」

「かふんしょう?」

「あ……」


 ごまかそうとしたが、この時代に花粉症があるわけがなかった。


「すみません……」


 涙を止めることもできず、キコは市に対して謝ることしかできなかった。


「なぜ謝る。そちが何かしたのか?」

「いえ……何も……」

「ふむ」


 顔を押さえて涙を流し続けるキコを、市は興味深そうに観察している。


「わらわに対してではなさそうじゃが、誰かに何かをしてしまったようじゃな」

「え?」

「それはあの娘に対してか?」


 きっと松のことを言っている。


「どうしてそれを……」

「なんとなくじゃ。この場で泣き出す理由など、それぐらいしかなかろう」

「はい……」

「訳ありのようじゃな」


 問い詰められるかと思ったら、市は松が食事の支度をしているほうへ歩いていってしまう。


「聞かないんですか……?」

「うん? 聞いて欲しいのか?」

「いえ……聞かれるのかなと思いまして」

「おかしなことを言う。そちが話したくないことを聞きはせぬよ」

「姫様……」

「じゃが、話したいと言うならば、聞かぬことはないがな」


 市がにやりと笑う。

 偉そうにしていることはあるが、本当は優しい人なのだろう。


「また今度、話させていただきますね」

「うむ。楽しみにしていよう」


 キコは涙をぬぐって市と松のもとへ戻り、皆で一緒に朝食を取る。

 松は干したご飯をお湯で戻し、味噌で味付けして雑炊にしてくれた。


「お味はいかがでしょう?」

「ウマっ! これ全然イケるよ、松ちゃん!」

「ふふ、よかったです」


 マキはがつがつと雑炊をむさぼる。一番体が大きく、育ち盛りとあって、食べる量も多い。

 実際、松の料理はおいしかった。旅先であり、現代に比べれば簡素すぎるものだが、胃を満たすものとして充分すぎる。


「私の顔に何かついてますか?」

「え?」


 キコがぼんやり松を眺めていたのだった。

 松とは何度か食事をともにし、会話もしたことがあったが、まさか利家の妻だとは思わなかった。それは夫を失った素振りをまったく見せていなかったからである。ごく普通の元気な少女だったのだ。

 彼女は何を思ってこの一週間過ごしていたのだろうと、キコは考えていた。


「いえ、何でもないです……」


 涙はどうにかコントロールできたが、松とどう接していいか分からなかった。

 どうして笑っていられるんだろう。自分の夫がどのように死んだか、知りたくないのだろうか。その原因となっている人物が目の前にいると知ったら、なんと思うだろうか。そして、その人物が前田家を乗っ取っている状況をどう感じるだろうか。

 聞けるはずないと、キコは思う。


「そうですか。たくさんありますから、食べてくださいね」


 松が屈託のない笑顔で笑うのは、キコにはつらかった。

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