第8話「仕事」
桶狭間の戦いを生き残り、住む家が見つかり、これで戦国生活も安泰……というわけにはいかなかった。
キコは前田家を継ぐことになったが、信長の口利きがあっても、前田家の人々との軋轢は避けられなかった。
「当然と言えば当然だよね……」
身元不明の女4人が急に家に上がり込んで、今日から私たちのものとする、と言って納得できるものはいない。
主君には絶対服従という時代だから、信長の命令に刃向かうことはできないので、形式上は当主および客人として世話をしてくれるが、隠しきれない不快感が伝わってくる。
「居づらい……」
護衛を名目に、誰かがいつも側についている。
これは監視だ。利家の急死に、キコたちが関わっていることは疑いようがなく、彼女らが何者かを見定めようとしているのだ。
もちろんキコもこれまでの事情をすべて話したが、信じてくれていないようだった。タイムスリップのことを隠していることもあり、出自がかなりあやふやになっているのも原因の一つだろう。
「どうするんだ、キコ。これからさ。このまま戦国時代にいるわけにもいかないだろ」
そういうのはマキ。部屋であぐらをあき、つまらなそうな顔をしている。
「ミナミは楽しんでいるようだけど、もう一週間だぜ。家族や友達は心配してるよな……」
「私にも分からないよ……」
キコが前田家の当主となったことで、キコがこの時代でのリーダーのようになっているが、別にキコが望んでなったわけではない。よく分からないタイムスリップに巻き込まれ、状況が把握できないでいるのは、マキたちと同じなのだ。
「東京行ってみる?」
床でゴロゴロ寝そべりながらナユタが言う。
ナユタは特に戸惑うことも心配に思うこともなく、戦国生活を無難に受け入れているようだった。
「東京? 無駄じゃない? 東京って言っても、アタシたちの家があるわけじゃないないしなあ」
「今は……江戸なんだよね? そこまで行くのも大変だし、織田の領地じゃないから危険なはず……」
キコもナユタの意見にはあまり賛同できなかった。
「けど、東京には美術館もある。この時代にはないだろうが、わたしらがタイムスリップした場所へ行ってみれば、なんか分かるんじゃないか?」
「お、そっか! じゃあ、行くか!」
意見をひっくり返して、マキは勢いよく立ち上がる。
「マキ、落ち着いて。東京までどうやっていくの? 道も分からないし、一日じゃつかないから、食べ物も必要なんだよ。背負って持っていくの? どうやって調理するの? それにどこに泊まるの?」
「え? あ、あああ……それは……」
名古屋から東京を歩いて移動するにはどうすればいいのか。マキは想像もつかなかった。新幹線があれば二時間も掛からないが、歩いたらどのぐらい掛かるのだろう。細かいことは分からないが、その距離を歩ききれるという自信もあまりなかった。
「しばらく考える……」
マキはキコたちに背を向けて、その場にどかっと座り込む。
そこに戸が開いて誰かが入ってきた。
「ねえねえ、キコたちもお着替えしようよ~!」
きらびやかな和服に身を包んだミナミである。
「服借りてきたんだ~。やっぱ日本人と言えば、和服だよね~」
ミナミは服の袂を振って、その場で一回転してみせる。
「ミナミは満喫してるね……」
「うん! せっかく戦国時代に来たんだから、戦国ライフを楽しまなきゃ!」
もともと戦国時代に興味があったミナミは、積極的にこの時代の人に関わって、文化を体験している。好奇心は、人見知りの性格に勝るようだ。
だが今すぐにでも帰りたいと思っているマキとは、意見が合いそうにない。
「ミナミは帰りたくないのか?」
ナユタは床を転がって移動し、ミナミの服の裾を持ち上げる。
「パンツはいてるじゃん」
「きゃっ! めくらないでよ!」
「和服は下着つけないんじゃないの?」
「そうだけど、あたしたちは現代人なんだから、別にいいでしょ」
ミナミは、裾をひっぱわりまわして楽しんでいるナユタの手をはたき落とす。
「それで、ミナミはどう思ってるの?」
二人のやりとりにため息をついて、キコが改めて尋ねる。
「そりゃー、帰りたいと思ってるよ。でも、帰る方法が分からないでしょ。なら、分かるまで、この世界を楽しみたいなって。こんな経験めったにできないじゃない!」
「まあそうだけど……いつかは帰らなきゃ。タイムスリップについて、何か思い当たることはない?」
歴史に関してはミナミが一番詳しい。難しい選択を迫られたときは弱いが、こういうときには非常に頼りになる。
「うーん、そうねえ。怪しいなと思うのは……刀かな。あたしたち、刀剣展でタイムスリップしちゃったんだし」
「刀……。あっ、信長の刀……」
「そう! ちょうど宗三左文字の前だったよね。何か関係があるのかも」
キコは深くうなずく。
関連性を考えれば、それが一番原因に近い気がする。
「それって、義元から奪ったんだよね?」
「うん、その通り! 信長が桶狭間の戦いに勝利して、義元から奪い取ったんだ」
「それでそのあと、刀に何か彫った……」
キコは義元を討ち取ったときのことを思い出す。信長が義元と打ち合い、刀身が吹き飛び、地面に突き刺さった。信長はそれを手に取り、眺めていたはずだ。確か、何も彫られてなかった。
無銘……か。だがそれがいい。
信長はそう言っていた。
「私、その刀、見たかもしれない……」
「え、ほんと!? いいなぁ! 文字が彫られる前のでしょ! レアすぎる! あたしも見たいなぁー! ねえ、どんなだったどんなだった!」
「え? どんなだったと言われても……」
他の刀とたいして変わらない。
それが一般人の感想である。
「おい、ちょっと待て。その刀っていうのは、美術館にあったのと同じものなのか?」
これまで話に加わらず、一人で考えていたマキが口を挟む。
「うん! あの、宗三左文字だよ! すごいよね! 義元から信長に渡る伝説の瞬間に、あたしたち遭遇しちゃったんだよお!」
「お前は黙ってろ」
マキはテンションの高いミナミの口を押さえ込む。
「タイムスリップの原因は、やっぱその刀だ! 一番怪しい! だってそうだろ。東京にいっても、アタシらの家はないし、美術館もない。でも、美術館にあった刀はこの時代にあるんだ!」
「それ、あるかもしれない……」
「だろ。その刀がアタシたちをタイムスリップさせたんだ。間違いない」
キコの賛同を得られて、マキはドヤっとした顔をする。
「刀がタイムスリップさせた、だ? バカじゃねーの」
露骨なからかい文句は、もちろんナユタのもの。
「はあ!? 知らねーし! 刀に聞けよな! アタシは思ったことを言っただけだし!」
マキは指摘されて急に恥ずかしくなり、顔を赤くしながら声を荒らげる。
「おい、やめろ! やめろって!」
寝転んでいるナユタの足を掴み、体ごと振り回し始める。ジャイアントスイングというやつだ。
「刀でほぼ決まりかな。充分、関係ある気がする。というより、それしかあたしたちをつなぐものないよね」
「そうだね。可能性もあるし、刀は信長さんが持っているから、東京へ行ってみるより実現性もかなり高い。他の選択肢がないなら、調べてみていいんじゃないかな」
ナユタを放っといて、ミナミとキコがコメントする。
「だ、だけど……どうやって……その刀を手に入れんだよ……! 信長のなんだろ……! くれるのかー!?」
ナユタが振り回されながらわめく。
信長に最後に会ったのは、トイレの前である。利家の死を報告し、信長が取り乱したときのことだ。
あれ以来、会う機会はなく、信長が違う時代から来た自分たちのことをどう思っているのかが、心配だった。友を失い、見ず知らずの少女を前田家当主にするなど、正気の沙汰ではないのだ。
「刀、譲ってくれるかな……」
もう一つ不安があった。織田家の一員になって分かったことだが、信長の存在は自分たちが思っているよりもずっと偉い。学校の先生とは訳が違う。会社員が社長に逆らえないというのよりも、数段上なのではないか。絶対服従とはこのことを言うのだろう。
気軽に話していいはずもなく、何かを求めてはいけない。何かが欲しいのであれば、功績を挙げてその対価として希望しなければならない世界なのだ。
「少し貸してもらえばいいんじゃないか? それで、お金取ったりしないだろ?」
マキはグロッキー状態のナユタをゆっくり床に降ろしながら言う。
お金の問題なのかなと、キコは苦笑いをする。
「それも厳しいかな……。でも、頼むだけ頼んでみる」
「ああ、アタシたちにはそれしか、すがるものがないからな」
「貴様は普通に出てこられんのか」
キコは清洲城に登り、信長に話すタイミングを伺っていたのだが、警護の者がいつも付き従っていて、信長に話しかけようとすると制止させられた。
信長は多忙であり、大変偉い人物であるので、こちらの都合でいつでも会える訳ではないのだ。
このまま帰るわけにはいかないので、信長が一人になるときを待っていたら、またもやトイレにいくタイミングだった。もうすっかり日も暮れ、信長が灯りを持って、離れにある粗末な小屋に向かったと思えば、そこは崖を利用した小便専用のトイレだったのだ。
「あう……すみません……」
信長は灯りをキコに渡し、はばかることなく、背を向けて用を足そうとする。
「それで何の用だ」
「あの……刀を貸していただけないでしょうか?」
「刀? やったではないか」
キコは桶狭間の褒美として、信長が愛用していた刀をいただいている。
「あれではなくて、桶狭間のときに得たもので……」
「宗三左文字か?」
「はい、それです」
「天の使いは欲深いのだな」
「そういうわけじゃ……」
さすがに図々しいことをしているなと思う。相手が信長でなくても、強情者の台詞に感じるだろう。
「だが、あれはダメだ」
「え?」
「あれは俺のものだ。誰かに触らせるわけにはいかん」
「そんな……。何かをしようと訳ではありません。ほんの少しでもいいのです、貸していただければ……」
「ならぬものはならん。それに今は刀鍛冶に出している」
おそらく刀に文字を入れてもらっているのであろう。
「ではそのあとにでも……」
「くどい!!」
一喝。
それは覇者の命令だ。それ以上は何も言ってはいけない。言ったら自分の命はないのだと分かる。
キコは恐怖で下がることも叶わなかった。
信長は用を足し終わり、服を正してキコに向き合う。
信長の顔を見るのが怖かったが、発された声に怒りはなかった。
「しかしな。貴様が功を立てたら考えないこともない」
「え?」
信長はニヤニヤして何かを企んでいるようだった。
面白がって、キコを試そうとしているに違いない。
「貴様向きの仕事だ。やるか?」
「は、はい、やります! 何でもやってみます!」
この状況でこう言われてはやるしかない。
信長の思い通りになっているのは分かっていたが、自分は何かに選べる立場にないのだ。
「近々、他家と同盟を結ぼうと思っている。それを貴様に頼みたい」
「えっ!? そんなの無理だと思いますけど……」
営業のサラリーマンが契約を取ってくるのとは、訳が違うはずだ。それをこの時代に疎い、女子高生ができるとは思えない。
「なあに、先方とはすでに話がついている」
「それでは私は何をすれば……?」
「同盟の条件は、俺の妹を相手に嫁がせること。だが、妹は嫁にいかんと一向に了承せんのだ。奴を説得してほしい。簡単だろう?」
「嫁に? 政略結婚ということですか?」
「ああ。妹の市を嫁がせ、浅井家と同盟を結ぶ」
市……。
その名はキコも知っていた。小学校でも歴史の教科書に必ず肖像画が載っている。戦国時代における悲恋の美女として有名だ。
政略結婚の結末は、織田信長が夫の浅井長政を攻め滅ぼし、市は死別してしまうのだ。
それが分かっていながら、縁談を成立させなければいけないのか。キコはすぐに返答できなかった。
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