第7話「拠り所」
「よかった! 無事だったんだね!」
キコがミナミたちと合流したのは、桶狭間奇襲成功から二時間後のことだった。
合戦自体は義元を倒しただけでは終わらず、織田軍は大将の首を取ったことを宣言しつつ、逃げ惑う今川軍を追撃していた。信長は近くの砦に引き上げ、各所から上がってくる被害や戦功の報告を受けている。
キコは自分たちの保護を求めるという本来の目的を思い出し、信長に話しかけようとしたのが、信長のそばには入れ替わり立ち替わり人がいて、きっかけがなかった。
ミナミたちと出会ったのは、縁側で待ちぼうけしているときのことである。
「ごめん、飛び出したりして」
キコは一人飛び出して、戦場に向かってしまったことを謝る。
「団体行動だぞ! 勝手な行動されたら、こっちも困るんだ」
「まあまあ、マキちゃん。無事だったからいいじゃない」
「それ、結果論だろ! 死んだらおしまいなんだぞ! 分かってんのか!」
マキはミナミになだめられるが、キコが一人で危ないことをしたのが許せないようだった。
「別にいいじゃん。キコが相談したって、誰も戦場についていこうなんてしなかったろ」
ポツリとナユタがつぶやき、空気が凍り付く。
「そういう話じゃない! キコがアタシたちに何も言わなかったのが問題なんだ」
「あーはいはい。次からは何でも相談するよな、キコ」
ナユタは腕を伸ばして、ガラの悪い不良が絡むようにキコの肩をがしっとつかむ。
「あ、うん……」
「トイレいくときとか、好きな人ができたときとかさぁ、マサキにちゃんと相談するんだぞ。一緒についてきてくれるからな」
「おい、ナユ! 茶化すなよ! それに、マサキってゆーな!」
マキとナユタはいつもにように、砦の中で追いかけっこを始める。
「どこでも変わらないね、あの二人は……。そういえばミナミ、どうやって砦まで来たの?」
ミナミたちとこうもあっさり合流できるとは思っていなかったので、気になっていたのである。
「ああ、ある人に助けてもらったんだよ」
「ある人?」
「ほら、あのおじさん」
ミナミが指さした先には、笠をかぶった旅装の男性がいた。
男性はこちらに気づいたようで会釈する。
キコたちもぺこりと頭を下げる。
「誰?」
「さあ? 帰りが遅いなあってキコを探してたとき、あの人が道案内をしてくれたんだ」
「道案内?」
「うん。事情を話したら、キコを見たってここまで連れてきてくれた」
「へー」
親切な人もいたものだ。信長の隣で、馬に乗って砦に入るところを見られていたのだろう。今は泥で茶色になってしまっているが、この制服姿は目立つはずだ。
そう思う一方で、戦国時代の見知らぬ人によくついっていったなと思う。
「合流できたようで何よりです」
男は落ち着いた、いかにも温厚そうな声であった。
確かにこの男性であれば、親切に甘えてもいい感じがする。
「いえ、友達がお世話になりました。ありがとうございます。あの、お名前をうかがってもいいですか?」
男はゆっくり首を横に振る。
「取るに足らぬ身です。お忘れになってください」
「はあ……」
不思議な断られ方にキコは戸惑ってしまう。
「それでは、私はこれにて失礼いたします」
「あ、はい! 本当にありがとうございました!」
「信長公の力になってあげてください」
そう言うと、男は砦の門をくぐって出て行った。
「信長公の力? どういうこと?」
ミナミがキコに尋ねる。
「あ、説明してなかったね。私、桶狭間にいって信長に会ったの。助けられたのは私のほうだったけどね」
「え!? 信長に会ったの!?」
「うん、ほらあそこ」
室内には、地図を広げ、家臣とあれこれ問答をしている信長の姿がある。
「うわー! すごい! 本物だー! あとでサインもらおっ!」
アイドルか、とキコは心の中で突っ込む。
やっぱあの人にやっぱ見られてたんだな。でなければ、あんなこと言わないだろうし。
信長と今川義元を追い詰めたところを、近くで見ていたのかもしれない。他の人と同様に神の使いだとか、思ったのだろう。ただの女子高生に、信長の力になってほしいと言う人はいない。
「信長の力、か……。あっ……」
人生で間違いなく最大級の危険が連続していたこともあり、頭からすっかり抜けていたが、その台詞を始めに言ったのは、前田利家であった。
利家の死を思い出して、キコはしゅんとする。
自分を助けるために命を落とした利家に、何か恩返しでもできればと思い、信長と会ったが、結局何もできていないように思えた。
「これからどうしよう……」
自分はただ巻き込まれただけ。責任はないはずだが、利家のことを思うと胸が痛い。
「とりあえず、信長さんに話してみよう」
独り言のつもりだったが、ミナミに聞かれていたようだ。
「そうだね。それしかないよね……」
「とりあえず、食べ物と寝るとこ。さすがの信長でも、元の時代に戻る方法は知らないよね」
「そりゃねえ……」
「あ、信長出てきた」
信長が部屋から一人で出てきたのである。
廊下を渡って、どこかへ行くようだ。お付き者はいなかったが、戦時とあって手には刀を携帯している。
「追いかけよう」
ミナミがうなずく。
ナユタとマキもはしゃぐのをやめ、キコに続いた。
砦に滞在する許可は信長にもらっているので、とがめられることはないが、出会う人すべてにジロジロと見られてしまうこともあり、なるべくこっそりと移動する。
「どこに行くんだろ?」
「金庫かな」
「なんでだよ」
マキは、特に意味のないナユタのぼやきにツッコミを入れる。
エネルギー効率が対照的な二人が微笑ましい。キコはこういう感じが好きだなと思う。
そうしているうちにも、信長は目的の場所についたらしい。戸の前で足を止める。
「何の用だ」
信長が振り返る。
もちろん尾行していたのは、バレていたのだ。
「えっと、あの……の、信長様……」
ミナミが顔を紅潮させて、憧れの歴史上の人物である信長と話そうとするが、緊張しすぎてまともにしゃべれない。
「厠の世話がしたいか? 女4人で」
「かわや……?」
「トイレのことよ」
キコたちの疑問にミナミが答えてくれる。
「ちっ、違います!」
キコはミナミと違う意味で、顔を真っ赤にして言う。
「ちっ、うんこだったか」
「女子高生がそんなこと言うな! 惜しかったみたいに言うな!」
ナユタのボケにつっこむマキ。
男性がトイレにいくのを女子高生4人がついていくというのは、あまりにもシュールな様子だった。
「あの……ぶしつけなのですが、私たちに食べ物を住む場所をいただけないでしょうか?」
「住む場所だと?」
信長は腕を組み、体を気怠そうにひねっている。
「天に帰ればよいのではないか? もしくは神宮を住処にしているのではないか?」
「あ、そうじゃなくて……私たち、人間なんです。それにあの神社は……」
あんなボロボロな神社に住めと言われても困る。贅沢言える身分ではないが、電気がなくてスマホを充電できないのは許す、だが雨風をしのげるところがいい。女子高生として。あとお風呂に入りたい。
「ふむ。褒美は充分やったと思ったが」
「そうなのですが……」
信長の刀をすでにもらっている。織田家の当主が持っていたものなのだから、その価値はたいしたものなのだろう。
しかし女子高生に刀、無用の長物であることには間違いない。
「あっ、言い忘れていたことがありました」
キコは自分たちの命の次に大切なことを、忘れていたことに気づく。この時代に来てもらったものは、もう一つあった。利家の槍だ。
「私……前田利家さんに信長様をお守りするようにと、頼まれたのです」
「前田利家!?」
驚いて大声を上げたのはミナミであった。
「利家って言えば、信長配下で加賀百万石の大大名に出世したすごい人だよ! 利家に会ったの!?」
「うん……」
「いいなぁ! あたしも会いたい」
「それは……無理かな……」
「大事なときに姿を現さぬと思えば、利家はおなごに会っていたとはな。それでなにゆえ、利家が左様なことを貴様に頼むのだ?」
信長の疑問も当然だ。キコもその理由をはっきりとは分からない。
「利家さんは亡くなりました……」
「なんと言った……?」
「利家さんは……私を助けるために命を落としました。亡くなる前に、代わりに信長様を守ってほしいとおっしゃったんです。だから私が……」
「利家が……」
信長のショックはかなり大きいようだった。明らかにうろたえている。圧倒的に不利な戦況を覆すという、桶狭間の奇跡を勝ち取った人間とは思えなかった。
「ふふ、そうか……。ふはは……利家がおなごを助けて死ぬとはな……」
「信長様……」
自分はなんてことをしてしまったのだと、キコは胸がズキンと痛くなる。利家は信長の大切な仲間であり、いずれは大大名となる偉大な人だったのだ。
「利家は……貴様が代われ、と言ったのだな」
「はい、そうです……」
「ならば、代われ。貴様が利家の代わりを務めてみせよ」
「は?」
「貴様が利家の代わりに前田家を継げ。住むところが欲しかったのだろう。利家の屋敷に住み、当主を務めるがいい」
「そんなの無理です! 私……前田家の人間ではありませんし……。無関係の人が継ぐなんて……」
私は他の時代から来た人間だ。この時代の人に代わることなんてできない。
「無関係? 利家を殺しておいてか?」
信長の声がキコの心をえぐり取る。
冷たくも、すべてを燃やし尽くすような熱い目をしている。信長はキコを恨んでいるのだ。その目は、利家を死なせた責任と取れと言っている。
「はい……。仰せのままに……」
受け入れるしかなかった。
断れば一刀のもと斬り捨てられていただろう。今の信長にはそういう凄みがあった。
「ちっ、出るものも出なくなったわ! 俺は寝る。往ね」
そう言って信長はトイレに寄らず、奥へと消えていく。
生の感情をぶつけては相手を壊してしまうと思い、信長は必死に気持ちを抑え込んだのだった。
途中で家臣に何か言われるが、よく分からなくことを叫んで追い返す。
「キコ……」
ミナミたちはキコにかける言葉が見つからなかった。
「いいの……。私がやったことだから。それにほら、住むところ見つかったし、結果オーライかなって」
できる限り明るく言ったつもりだったが、無理しすぎていることは自分でも分かった。
ミナミたちも余計言葉にしづらくなっている。
「どうしようもなかったんだ……。私だけじゃ何もできないし……。利家さんは見ず知らずの私を助けてくれて……。だから、私……利家さんが望むことならって……。でも、何もできなくて……」
これまで溜めていたものが一気にこぼれ出す。それに合わせて、キコの目からも涙が止めどなく流れ出た。
「好きなだけ泣いて」
「え……」
ナユタが進み出て、キコの頭を優しく抱いた。
「誰もあなたを責めたりしない。誰もあなたを恨んだりしない。あなたは充分に敬意を払ったわ。利家も代わってくれて喜んでるし、信長も友の死を看取ってくれたことを感謝してる」
「ナユ……」
「だからキコも自分を責める必要はない。……それでも泣きたいなら、わたしの胸で泣くといい」
「う……うう……ナユ……。私……うわあああーっ……!」
キコはナユタに抱かれて激しく泣いた。
「おー、よしよし」
ナユタはキコの頭を子供をあやすようになでる。
「キコぉ……うう……ううう……」
マキも涙に誘われ、目には大粒を溜めている。
「来いよ、大きな坊や」
「うわあああんっ……!」
マキはナユタの小さな胸に飛び込み、ナユタは腕でその頭を抱え込んだ。
「う、ううっ……。ナユ、あたしもいい?」
「ダメ」
「なんで、あたしだけぇー!」
「ただのもらい泣きだろ。自分の胸で泣いたら」
「できないよっ!」
キコとマキはそのまましらばく泣いていた。
あまりにも長い時間泣いているので、さすがにナユタも呆れてしまう。
戦国時代に来て一日目の日が暮れようとしていた。
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