第21話「エピローグ」
1582年、本能寺の変が起こる。
明智光秀は、主君である織田信長に反旗を翻し信長を討つが、死体は見つからなかった。
信長の死を知った羽柴秀吉は、毛利との戦いを早々に切り上げ、中国地方からものすごい速さで京都へ戻ってくる。
光秀は仲間を集めて、秀吉と戦おうとするが、主君殺しという悪名が響き、誰も手を貸そうとはしなかった。
やがて、光秀と秀吉は山崎にて衝突する。
光秀は数で劣っていたが、互角の戦いを繰り広げた。しかし、秀吉が天王山を取ってから戦況は一変する。
光秀は追い詰められ、ついに潰走することになる。
「光秀さん、しっかり!」
マキは光秀に肩を貸し、藪の中を駆けていく。
「すみません、あなたを負け戦に付き合わせたりして……」
光秀には覇気がなかった。
大敗して多くの家臣を失ったのに加え、自身も大けがを負っていたのだ。
「何言うんだ。アタシは天の使いとか、すごい存在じゃない。気にすることないさ」
「天の使い……そういえば、そういう触れ込みでしたね」
光秀は苦しさの中にも微笑を浮かべる。
「触れ込み……。そういうんじゃなかったんだけどな……」
「しかし、将兵にはよい活力剤となりました。主君殺しの反乱軍では士気が上がりませんから。天の使いが我が軍にいると分かり、皆が勇気づけられました。私もどんなに心の支えとなったことか」
「まあ……それならいいんだけど」
マキは顔を赤くする。
「けれど申し訳ないことに、私の力量が不足していたようです……」
「そんなことないって! 戦いなんて勝って負けての繰り返しだから」
それは、スポーツで培ったマキの勝負感であった。どんなに練習をして、本番に最高のコンディションに持って行っても負けるときは負けるのだ。
「そうですね。次は勝つとしましょう」
そう言うと光秀はその場で足を止めた。
「おい、止まるな! 敵に追いつかれるぞ!」
「私がいては足手まといになります。ここで敵を押さえます。あなたは逃げてください」
光秀の腹部から流れた血が地面にポタポタと垂れる。
「何言ってんだよ! それじゃ光秀さんがやられちゃうだろ!」
「それも仕方ありません」
弱い者、弱った者は殺される。それが戦の掟。
戦国時代に生まれ、武士として生きる者はみんな知っていて、戦場に出る前に覚悟を決めている。
「ダメだ! それだけはダメだ!」
マキは光秀の両肩をつかむ。
「アタシはあんたを生かすために残ったんだ! 死なれたら困るんだよ!」
「のちの歴史では、私はここで死ぬ予定なのでしょう? なるべきしてそうなったと言えますね……」
「違う! あんたは死なない!」
「そうでしょうか」
「そうだよ! アタシは天の使いだ! 歴史だって変えてみせる!」
「おや、さっきと言っていることが違いますね」
「う、うるせー!」
光秀はくすくすと笑う。だが傷が痛み、すぐに苦い顔をする。
「これを持って行ってください」
光秀は腰に下げた刀を外し、マキに差し出す。
備前長船近景。のちに明智近景と言われる刀。
「これでも名刀です。売ればそれなりになるでしょう」
マキにもすぐに分かる。これは形見分けだった。
「やめてくれよ。そんなのいらない」
「私が持っていても、誰かに奪われるだけです。どうか、あなたに受け取っていただきたい」
光秀はマキの目をじっと見つける。
その真剣さに目を合わせていられず、マキは目をそらす。
「分かった、預かる。でも、あんたをここには置いていかないからな」
「マキ殿……」
そのとき遠くから叫び声が聞こえた。
「光秀はいたか!?」
「こっちにはいない!」
「じゃあ、向こうだ!」
羽柴軍の追っ手だった。
「もう時間がありません」
光秀はマキに刀を握らせ、自分の手を重ねる。
「で、でも……」
「私のことを思ってくださるのであれば……。お願いしたいことがございます。私には幼子がいます。どうか息子を……」
光秀は主君を殺した裏切り者。その一族は捕まって処刑される運命にある。光秀はマキに我が子を助けてほしいとお願いする。
「……分かった。奥さんも連れて一緒に逃げるよ」
「私に妻はおりません。だいぶ前に死に別れております」
「そ、そっか……」
マキは刀を抱えるようにして持つ。
「それじゃ行くよ。光秀さんも逃げられるようなら逃げるんだ」
「はい、そうします」
光秀は突然マキを抱きしめた。
「お、おい……」
「ただの牢人だった私を天下に結びつけてくれた、この縁。大変感謝しております。世を正しく導こうとした結果が……。しかし、そこはおっしゃるように、時の運なのかもしれません。あなたと出会えて本当によかった」
「光秀さん……」
マキは優しく光秀の背をなでた。
「いたぞ!」
「光秀だ!」
「捕らえろ!」
そのとき、羽柴軍の足軽たちが突如現れる。
「さあ、行ってください」
「え……」
光秀はマキを敵とは反対側に導き、腰の脇差しを抜く。
「振り返ってはいけません」
「光秀さん! 一緒に逃げようよ!」
マキは光秀に訴え続けるが、光秀がこちらを見ることはなかった。
マキは意を決して走った。
「くそっ……仕方ないだろ、ただの女子高生なんだから……。何とかしたいよ、でも何もできないじゃないか……」
後ろで男たちのうなり声、金属のぶつかり音が聞こえる。
マキは約束通り、振り返ることなく戦場を後にした。
「なんと!? 銘を削れと申すか」
「そうだ。光秀の名前を消してほしい」
マキが男に言う。
「なりませんぞ! 我らは落ち武者といえど、明智家の流れをくむ者。殿の御名を削るなど!」
マキは光秀の一族とともに、名もなき地に身を隠していた。
「よそ者のあなたには分からぬかもしれんが、この刀こそが我らを明智と証明するものとなるのです。そしていずれ再び……」
「そんなのどうでもいいだろ」
「なんと!?」
マキのけろっとした言い方に、男は怒りと戸惑いで声を失ってしまう。
しばらく考えてから、男は口を開く。
「あなたは、刀に殿の御名を残しておくと、我々に危険が及ぶとおっしゃるのか?」
「うん。あれもあるけど」
「では、明智の名を捨て、別の者として生きろと?」
「それは……」
光秀は裏切り者だから、その忌まわしき名を消したい。歴史ではそういう理由で名が削られたと、ミナミが言っていたことを思い出す。
「そうじゃないよ」
「ではなんなのか」
男は侮辱されているように思い、今にも怒り出しそうだった。
「よく聞いてくれ。アタシは天の使いだ」
「殿から、そうとは聞いておるが……」
「だから未来のことも知っている」
「まことか!?」
「未来では、この刀から光秀さんの名前を消しても、ちゃんと光秀さんの刀だと伝わっているし、光秀さんのやったすごいことはみんな知ってる。だから、消しても大丈夫」
「そうなのか……?」
男はにわかには信じられず、戸惑うばかりだった。
けれど何一つ嘘は言ってない。
「大事なのは物に名前を残すことじゃないんだよ」
マキは言う。
「今を、そして未来を生きるのが一番大事なんだ。アタシらが生きて、光秀さんがどんな人だったのか、どういう思いで信長を討ったのか、あとの時代の人に伝えるんだ。そうじゃないと、結局裏切り者だって嫌われちゃう」
「そ、それはそうかと存じますが……」
「ま、そういうわけだ。これは決めたことだから」
そういうとマキは、男が何かを言いたそうにしているのを無視して、自室に戻ってしまう。
「ほんとこの時代の人は分からず屋だなあ。あれはアタシがもらった刀なんだから、何しても自由だろうに」
マキは床の間に飾られている刀の刀身をつかみあがる。
刀身には「明智日向守所持」と彫られている。
「明智所持ねえ……。アタシは明智じゃないからな」
マキは刀身を元の場所に戻し、制服を脱ぎ始める。
この時代に来たときは真っ白だった制服も、だいぶ色が変わってしまっている。これでも、だいぶ綺麗にしたほうだった。本能寺の変では、煤と血で真っ黒になっていたのだ。
そして、男物の和服を着る。
光秀の残した品で、マキも光秀が着ているのを見たことがある。
「あいつら元気にしてるかなー」
マキは脱ぎ散らかした制服を拾い、なんとなく裏返してみせる。
裏地には名前が刺繍されていて、マキは「本城」という自分の名字をなぞった。
「あっ……。『日向』くらい名前残していいのかな?」
花の女子高生、戦国乱世に散る とき @tokito
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