第17話「運命」
キコたちは市、長政らとともに小谷城から降りて、信長の本陣へとやってきた。
信長が笑顔で迎えてくれるわけもなく、これまで以上に険しい顔つきで長政をにらみつけている。
キコのほうは見もしなかった。信長は市を連れてこいと命じただけで、長政につれてきたのはキコが勝手にしたこと。信長が不機嫌なのは当然だった。
「何か言うことはあるか?」
「ありません」
長政は地面に額をこすりつけたまま、信長に返答する。
「そうか」
そう言うと信長は顎で合図をする。
すると刀を手にした将が長政のほうへと近づいていく。
「信長様! お待ちください!」
信長が長政を殺すように命じたのは明らかだ。
キコは飛び出して、長政をかばうように立つ。
「貴様の役目は終わった。往ね」
「そうは行きません! どうか長政さんを許してあげてください!」
「なぜだ? なぜ裏切り者を生かしておかねばならん?」
「もう戦は終わったからです。これ以上、人が死ぬ必要はありません」
「必要とな? あるぞ。長政を殺せば俺の気が晴れる」
「なっ……」
信長の率直な言葉に度肝を抜かれる。このような暴言、現代ではなかなか聞くことができない。
「キコ、やめよ。信長は決して考えを変えん」
市がキコを遮る。
市の声は落ち着き澄んだものだった。
「で、でも……」
「もしかしたらと……淡い期待を抱いておったが、所詮、はかなき夢であった」
「姫様……」
「信長は覚悟を決めたのじゃ。決して振り返ることなく歩み続け、天下を取ると。裏切り者を生かしては規律が守れず、組織が成り立たなくなる、今の信長にはブレることは許されぬのじゃ。……それゆえ、長政を生かす道はない」
信長は表情を変えず、ただあごひげをなでている。
「キコ、いや天の使いよ」
市はキコの手を取って言う。
「わらわの頭には二つの選択肢がある」
「はい」
「どちらをとっても、そちとの別れとなろう」
「え……それって?」
「長政とともに命を絶つこと。そして……」
「ダメです! 姫様!」
「許せ」
そう言って市は、呆然とするキコの腰に差した刀を抜き取った。
そして上座の信長に向かって突進する。
「姫様!」
「信長様―!」
「とめろぉ!」
「お守りしろっ!」
主君の危機に様々な声が飛び交う。
それでも市は足を止めず、信長に迫る。
一番近くにいるキコも、市を取り押さえようと追いかけるが間に合わない。
だが信長はつっこんでくる市を見据えるだけで動こうとしない。
「兄上、覚悟!」
市は刀を水平に構えて、まっすぐ突き刺そうとする。
切っ先が信長に刺さる瞬間、突然のまばゆい光で目を閉じてしまう。
再び目を開いたときには、市の手に刀はなく宙に浮いていた。
明智光秀だった。
光秀が神速の動きで、二人の間に刀を突き入れ、市の刀を防いだ。
跳ね飛ばされた刀は、回転しながら落下し、地に刺さる。
「光秀……」
「姫様、なりません」
市は光秀をにらみつけるが、信長の前に立ち、どこうとしない。
「刀をよこせ、光秀。もしくは、わらわを斬れ」
「どちらもできません」
「ならば押し通るのみ」
市は無造作に、光秀の持つ刀の刃を手づかみする。
「姫様……」
市は奪い取らんと力強く握りしめ、その手から血が滴る
光秀はうろたえて、刀を手放すしかなかった。
市は真っ赤に染まった手で刀をつかみ直し、信長に刃を向ける。
「信長、覚悟せよ」
「俺を殺したとて変わるまい」
「分かっておる。じゃが、わらわが生きた証にはなる」
「下らぬな。そのような古くさい考えを持つ輩がおるから、戦国が終わらぬのよ」
信長は床几からゆっくり立ち上がる。
小姓が慌てて、信長に刀を手渡す。
「貴様を斬れば終わるか?」
「え?」
「俺は下らぬ殺生を行う世を打ち砕かねばならん。市、貴様を見せしめとして、世が変わるならば、喜んで斬ろう」
信長は勢いよく刀を抜き放ち、鞘をそのまま打ち捨てる。
「この時代とともに散れ」
とてつもない威圧感。信長を殺して自分も死ぬ気で刀を奪い取った市も、信長の殺気には体の震えが止まらない。
周囲にいる家臣たちは想像できぬ展開に、どう関わっていいのか分からず、見守ることしかできなかった。
「市!」
硬直した場を動かしたのは長政だった。
光秀に打ちはねられ、地面に刺さっていた刀を拾い上げると、市のもとへ急行する。
「信長ぁっ!」
長政は走りざまに刀を振り上げて信長に斬りかかる。
「貴様もだ、長政。古き時代とともに消えていけ」
信長は長政に向き合おうとするが、市が身を挺して組み付いてくる。信長は、身動きを取れなくなってしまった。
「市……!?」
「どのみち終わりじゃ。長政、やれい!」
「ああ!」
長政は一瞬ためらうが、すぐに覚悟を決めた。袈裟斬りに市ごと信長を斬ろうとする。
しかし、長政の動きがぴたりと止まる。
「なに……」
長政の腹が貫かれていた。
「狼藉はそこまでです」
光秀が市の手から離れた刀を拾い、背後から長政を一突きにしていた。
長政は刀を取り落とし、口から血を吐く。
光秀が刀を引き抜くと、腹から大量の血が噴き出される。
「長政!」
市は信長を突き飛ばし、崩れ落ちた長政を支えた。
長政から流れる血が市の服を赤く染めていく。
「市……」
「死ぬな、長政!」
「お前は生きろ……」
「何を言う! 共に参ろうとゆうたではないか!」
長政は苦痛に顔をゆがめながらも、市に笑いかける。
何かをしゃべろうとして口を開こうとするが、そのまま息絶え、二度と言葉を発することはなかった。
「おい! 長政! 勝手に死ぬではない! わらわを一人にするではないぞ!」
市は激しく涙を流し叫びながら、長政を力強く揺すぶる。
しかし長政の反応はなく、揺すぶられるままに動くのみ。
「姫様……」
キコは目の前で起きたことをいまだに信じられないでいた。
市と長政を救うために、二人をこの場に連れてきたのに、長政は死んでしまった。自分はいったい何をしていたのか。
「光秀、よくやった。褒美を取らそう」
「はっ、ありがたき幸せ」
光秀は平伏して信長に答える。
信長は刀を小姓に渡すと、陣幕を出て行っていく。
キコはその様子を呆然と見ていたが、前に光秀が立った。そして、宗三左文字を手渡してくる。
「ありがとうございます……」
キコは市に奪われた刀を受け取る。
「油断せぬようと申したではありませんか」
それは小谷城にいく前に言われた台詞だった。
「すみません……」
返す言葉がない。自分がもっとしっかりしていれば、こんな大事にはならなかったのかもしれない。
結局、自分たちが小谷城に交渉にいったことで、おかしなことになってしまっている。兄弟が殺し合い、長政が目の前で殺されることもなかっただろう。
自分だって好きでこんなことをやっているわけではないのだ。自分はただの女子高生。戦国時代で外交をやったり、刀で立ち会いをしたり、そんなことをやる人間ではないのだ。もう誰かに迷惑をかけるのも、つらい思いをするのも嫌だった。
「こんなのおかしいだろっ!」
今にも口に出そうな本音を叫んだのはマキだった。
「長政は生きることができたんだぞ! 死ぬ必要なかったんだぞ!」
キコたちの気持ちを代弁してくれている。言い出せなかったことを言ってくれて、キコは嬉しく思う。
「あいつ何なんだよ! 意味分からないこと言いやがって! 気にくわないから殺しただけだろ! かっこつけやがって!」
「マキ殿、口が過ぎますぞ」
光秀がマキの肩に手を置き制止する。
「放せ! アタシはむしゃくしゃしてるんだ! 信長にちょっと文句言ってくる!」
マキは強引に光秀の腕を振りほどく。
そこで、光秀の目が変わった。
「これ以上無礼を働くようであれば、斬らねばなりません」
光秀に優しさというものが消えている。
「な、なんだよ……! あんたも気にくわなければ斬るって人間か?」
「場合によります」
光秀はまだ血の乾かぬ刀をマキに向ける。
「マキ! 光秀さん、やめて!」
どうしてこんなことに。
長政を助けようと思っただけなのに、自分たちまでもが危うい立場になってしまっている。
こんなことしたくない……。
キコは光秀の前に立ち塞がり、刀を構えることしかできなかった。
「あなたもですか」
失望した顔をする光秀。
「ごめんなさい、光秀さん。友達のためなら、私やります」
「それはこちらも同じこと」
光秀にも迷いはなく、キコに斬りかかる。
キコも負けじと刀を打ち込み、光秀の攻撃を受ける。
金属と金属がぶつかり合う瞬間、宗三左文字が輝き出した。
「これは……」
突然のことに驚く光秀。
キコはもう三度目だから分かる。また時代を超えるのだ。
「キコ!」
ナユタたちがキコのもとへ走ってくる。そして、あたりは真っ白な光に包まれた。
突然のタイムスリップ。
今度こそはという思いはあったが、その希望はむなしくも崩れ去る。
「ここは……?」
熱く真っ赤な世界。
一瞬地獄かと思った。しかし違う。寺が燃えている。
キコは火中の寺院にいたのだった。
「キコ、無事か!?」
ナユタが走り寄ってくる。
「ナユ! マキたちは?」
「分からない……。それよりここは?」
「お寺? どこの……? なんで燃えているの……?」
歴史に詳しくない二人にも、燃えるお寺には一つだけ心当たりがあった。
「天の使いか、久しいな」
「信長様!?」
そこには槍を片手に片肌脱ぎをした信長の姿があった。
ついさっき会ったよりも、だいぶ老けている。
「光秀が裏切りおった。ここで貴様らに会うということは……これも貴様らの差し金か?」
信長は槍の穂先をこちらに向けてくる。
「ち、違います! 私たちも来たばかりでよく状況がつかめなくて……」
「また、訳の分からぬことを言う……」
キコたちが原因でないことはすぐに分かったのか、信長は槍を引っ込める。
「あの、ここってもしかして……」
「本能寺だ。わずかな兵しか連れておらぬところをやられた。光秀め、俺は相当殺したいらしいな」
「やっぱり……」
日本人ならば誰もが知る本能寺の変。
天下統一を目前にした織田信長が、重臣の明智光秀に裏切られて横死する事件。自分たちがその重大事件に直面していることを知り、頭がくらくらしてくる。
「ここは危ないぞ。天の使いにはいらぬ心配かもしれぬがな」
これが本能寺の変であれば、信長は光秀の大群に攻められているはずだ。そして信長は追い詰められて死んでしまう。
「マキとミナミを見ませんでしたか?」
「知らぬな」
「そうですか……」
本能寺という重大事件も気にしないといけないが、今は何より友達のことが優先だ。
二人はタイムスリップしてどこに現れたのだろうか。安全な場所であればよいが、近くにいるならば燃える本能寺の中では探しようがなかった。
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