初めての地、知り得ないはずの場所


「ここだわ」


 神社の入り口の石段を見上げる。

 綺麗な白い石造りの鳥居に、山の上に続いている長い階段が見上げるほどの高さまで伸びていた。


「もうすぐ陽も暮れるし、参拝だけさせてもらおうかな」


 私は長い石造りの階段を登る。でも、誰も登って来る人もいなければ降りて来る人もいない。

 セミの鳴き声と蒸し暑さが踏みしめる石段から立ち昇って、体中に巻き付いてくるような感じがして重たく感じる。


 一段、また一段と階段を登る度になぜだが急に懐かしいような、そんな不思議な感覚を覚え始めた。


「……何だろう、この感じ」


 私はふと足を止めて、階段を登った事で多少息の上がる胸元を抑えた。


 私は生まれも育ちも東京で、田舎と呼べる田舎はない。ちなみに言えば両親もそうだ。だから懐かしいなんて感覚が沸くはずがないのに、なんでこんなに胸が締め付けられるような懐かしさを感じるのだろう。


 呼吸を整えながら何となく後ろを振り返ってみる。

 先ほどまでいた神社の鳥居が下の方に見えて、視界が開けて村全体が良く見渡せた。

 緑の山に囲まれ、谷合には清流。山肌に沿うように軒を連ねる家とお茶畑。山を縫うようにして走る舗装された道路。


 それらを見つめているとふっと吹いた風の中に、都会ではまず感じる事なんて出来ない自然の匂いが私を包み込み、目を閉じる。


「……っ!?」


 何となく閉じた瞼の裏に、一瞬見覚えのない古い村の風景と着物を着たお侍さんが数人見えて、私はパッと目を見開いた。


 今のは一体何なのだろう? 一瞬見えた村の風景はとても古くて……そう、言うなら江戸時代のような、そんな感じだった。


「今のは、何だったの……?」


 この景色が、どこかで見た古い写真か何かと被って見えて突然それがフラッシュバックしたのだろうか?


 私は目を瞬きながら落ち着きなく周りを見渡し、よく分からないまま暮れかけた太陽を見て私は慌てて神社のある後ろを振り返った。


「そうだ! こんな事してたら夜になっちゃう。早く参拝しちゃわないと!」


 現実に引き戻された私は石段に再び足をかけた。石段があるのは半分くらいで、あとの半分は地面を階段状に整えてあった。

 どの階段も比較的急なのは、山道だからだろうな……。

 ふと足を止めて上を見上げると鳥居が見えた。登り切るともう一つ、社の表門とも言える鳥居があり、手水舎が左手に見えた。目の前には比較的大きな本殿が現れ建物の一角には舞台のようなものが見える。


「凄く静か……。さすがにこの時間じゃ誰もいないか」


 私はぐるりと周りを見渡して、手水舎で身を清める。

 口にハンカチを咥えてから、洗った水が綺麗な水の中に落ちないように気を付けつつ右手に柄杓を持って左手を洗い、柄杓を持ち替えて今度は右手を洗う。また逆の手に持ち替えて左手で水を救い、それで口を濯いでお清めは完了。

 柄杓に残った水は柄杓を立てて水が柄を伝うように洗い流し、伏せて元の場所に戻す。


 ハンカチで手を拭きながら社に向かって足を進めると、ここでもやっぱりきちんとしたマナーに乗っ取って参拝を済ませる。


 参道は右でも左でもどちらでもいいから端を歩くこと。真ん中は神様が通る道だから開けておかなきゃいけない。横切る時は一礼してから通ったり、本殿に向き直って一礼してからじゃないと失礼だもの。

 

 コトコトと石畳を踏んで本殿まで歩き、鈴を鳴らしてからお賽銭箱に15円(いいご縁に恵まれますようにとの由縁があるらしい)のお賽銭を入れて、二礼二拍手一礼。

 二礼二拍手をして心を込めて祈る。この時に自分の名前と住所を先に神様に伝えると良いって話だったっけ。


 あんまり自分の事ばっかりお願いすると返って良くないって聞いたことがあるので、今日一日無事に過ごせたのは、ご先祖様のおかげです。とお祈りをしてみた。

 そして深く最後の一礼を済ませ、宿に戻ろうと背後を振り返った時、参道の先に一匹の黒猫を見つけた。


「猫……?」


 黒猫は階段に続く参道の先にちょこんと座り、じっとこちらを見つめていた。

 そしてそのお尻の下でゆるゆると振る尻尾が一本……二本?


「え? 二本?」


 私は思わず目を擦り、もう一度その猫を見つめると尻尾は間違いなく一本だった。


 あれ? 何だろう。何で二本なんて……。そんな事あるはずないのに。疲れているのかな……長旅だったし。


 私が一人困惑しながら首をかしげていると、いつの間にか傍に来ていた黒猫は私の横を通り過ぎて、神社の舞台の方へと飛び乗った。

 その猫の後ろ姿を追って私が視線を投げかけると、猫は背を向けたまま顔だけをこちらに向けてじっと見つめて来る。

 それはまるで、「おいで」と誘われているかのような、そんな感じだった。


 金銀妖瞳の怪しげな雰囲気を持った猫の姿を見ていると、また先ほど感じた変な懐かしさを覚える。


「あ……れ?」


 頭がぼーっとするのは、この暑さのせい? 熱中症か熱射病にでもなったのだろうか? 何だかクラクラする……。


 思わず目を閉じると、今度は先ほどとは別の映像が一瞬見えた。


 古めかしい納屋、片隅にうずくまる黒くて丸い何か。あとは、薄ら笑いを浮かべるお侍さんの顔と……赤……。満点の星空……?


 それらが走馬燈のように見えて、私はまたすぐに目を開く。


「今のは何……? 何であんなのが見えたの……?」


 眉間に皺を寄せ、動揺する私は自然とまた猫の方へ視線を向けた。

 すると猫は舞台の上に真っ直ぐにこちらを向いて座り、私が見た事に反応してお辞儀をするみたいに頭を下げたように見えた。


 私はそんな猫に近づこうと足を踏み出すと、猫はさっと動いて私と距離を取る。でも、逃げ出すのではなく視線だけはこちらに向けたままだ。


 物凄く警戒をしている猫が大体取る行動そのものではあるのに、何かこの猫との縁を感じて仕方がない。


 でも……きっとあの猫には近づけない。


 そう思った私は猫に近づくことは諦めて、もうだいぶ暗くなった神社に背を向けて宿へ戻ろうと足を踏み出した。


 階段の上に立ってもう一度何気なく振り返ると、舞台にいたはずの黒猫が一定の距離を保ったまま私を追いかけて来ているのが見える。


 近寄らせてはくれないのに、私の後を追いかけて来るなんて……。


 私がくるりと振り返ると、猫はぴたっと足を止めてしまう。私もその場にしゃがみこんで猫に話しかけた。


「猫くん。もし誰か貰い手を探しているんだとしたら、私はダメよ。連れて帰れないし飼う事もできないもの。誰かに飼われているんだったら、君も早くお家に帰った方がいいわ」


 私はそう言うと、今度こそ猫に背を向けて階段を降りた。

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