気まずさ

「何やと!? そんなんわしは聞いとらんぜよ!?」


 鞍馬はご飯が山盛りに盛られたお茶碗をやや乱暴にお膳の上に置きながら、バカでかい声で叫んだ。


 結局、鞍馬に四日後に東京に帰ると言う事を伝えたのは、この夕食の時だった。

 だって鞍馬全然起きないんだもの。日が暮れてもあのまま下座敷でぐーすか寝こけて、ようやく起きたのだって夕食の良い匂いがしてから。あんなに寝てたら、夜眠れなくなるんじゃないかってそっちの方が心配になるくらい。


 何か、本当つくづく子供みたいな人だと感じずにはいられなかった。


「ほなあれか! お嬢さんはもうここには来んがか!」

「来ないなんて言ってないわ。でも私は私のやることがあるし、帰らなきゃいけないところがあるんだもの」

「ほいたら狸奴はどうするが?! 狸奴も一緒に連れて行くがか!?」

「本当はそうしたいけど……幸之助は連れて行かないわ」

「何やと!!」

 

 ご飯粒飛ばしながら話すのやめて欲しい。本当行儀悪いんだから……。


 それはともかく、鞍馬は幸之助を連れて行かないと言った私に気を悪くしたらしく、眉間にいつになく深い皺が刻まれている。


「お嬢さん、そりゃああんまりやないかよ? 狸奴がどんだけ長い間この時を待ちよったか、知らんとは言わんやろ? 絆を結ぶだけ結んじょいて自分はおらんなるやなんて、そりゃあ、酷ぜよ……」


 鞍馬は箸を持ったまま顔を俯かせて、頭を抱え肩を落とす。

 

 どうでもいいけど、それだけ深刻に思っているならまずそのお箸を置いたらどうだろう。


「だから、それは……」


 鞍馬は知らないけど、鞍馬が寝ている間に聞いた彼の本来の姿の事を思えばそういう風に思われても仕方がないとは思うし、責められても仕方が無いと思う。でも、私だって中途半端にはしたくない。自分の為にも、幸之助や周りの為にも大事な事だから。


 それを伝えようとすると、幸之助が私の声を遮るように口を開いた。


「私がここに残ることを選んだんです」

「狸奴……」


 お膳を前に姿勢を正して座っていた幸之助は、持っていたお箸をそっと戻して真っすぐに鞍馬を見た。 


「加奈子殿は、今自分の成すべきことを成し遂げなければ私との絆さえも無下にしてしまう。そう考えての判断なんです。成し遂げたいと思うその想いは、私もよく分かります。それに、真吉殿との絆があるここから離れる事すらしたくはないと言う、これは私のわがままでもあるんです。加奈子殿が悪いわけではありません」


 きっぱりと、でも前よりもずっと自信のある話し方でそう語った幸之助の印象は、最初の頃と比べてだいぶ変わったような気がする。


 幸之助にそう言い切られた鞍馬は、それ以上何も言えなくなりパクパクと口を動かす事しか出来ないみたいだった。


「あのね、確かに私東京に帰るけど、来年の夏にまたここに来るわ。私が学校を卒業する二年間の間だけはどうしても離れてしまう事になるけど、一年に一回は絶対に会いに来るから……」

「……ほんま?」

「え?」

「ほんまに、来年の夏ここにもんて来るかよ?」


 私を見る鞍馬の目はとても真剣なものだった。

 鞍馬は、自分のあやかしの人生を投げ捨ててまで、真吉さんの代わりに幸之助のことを見守ってるんだもの。真剣に考えていることは分かる。


「帰って来るわ」


 私が鞍馬の顔を見つめ返してしっかりとした言葉でそう答えると、鞍馬はようやく「ほうか」と体から力を抜いた。


「ほんならそれでえい。その間はわしがまた狸奴の面倒は見ておくき安心せぇ」


 まだ表情も態度も憮然としてるところを見ると、納得までは行ってないのかもしれない。けど、幸之助自身の口からああ言われたら腹に落とさざるを得ないと言うところなのかな。


 まるで投げ捨てるような言い方をした鞍馬に、幸之助はすました顔で言葉を切り返した。


「私が面倒を見ているなら分かりますが、鞍馬に面倒をみて貰った事はないですが?」

「……ぷっ」


 キパッとそう言いながら何事もなかったかのように再び食事を続ける幸之助の返しに、私は思わず吹き出してしまった。


「何や二人とも! わしの事をバカにしよるやろう!」

「し、してないしてない! 誓ってしてないわ!」

「別に、そんなことは思ってません」


 あんまりにもおかしくって、私は食事の手を止めて笑い転げてしまった。

 結局鞍馬はその後また一人で「今日はほんにツイてない!」とむくれてしまうし、いつにも増して楽しい夕食の時間を過ごせた。






 夕食後、少し時間を置いてからお風呂に入った私は髪をタオルで拭きながら部屋に戻ろうとすると、角を曲がってすぐの縁側で幸之助が珍しく鞍馬とお酒を飲んでいる姿を見かけ、私は何となく咄嗟に身を隠してしまった。


 何で隠れてんだろ、私……。


 自分の行動を疑問に思いつつ、かと言って戻るにも戻れないからこの場にいることにした。


「それにしても、おんしもだいぶ大きゅうなったよなぁ」

「さすがにいつまでも小さいままではいられませんよ」


 こうしていると、二人の会話を盗み聞きしてるみたいで凄く嫌だな……。でも何か、出ていくタイミングを逃してしまって出辛い……。


「わしがおんしに会うた時は、こんなにこんまい時やったのにねゃ。それが今じゃこうやって酒を飲み交わすぐらいにまで育った事に、わしゃあ嬉しく思うちょる」


 そ~っと顔だけを角から覗かせて様子を見ると、徳利を傾けながらぐいっと煽る鞍馬は酔っぱらっているみたいで、ほんのり顔が赤らんでいた。それに比べて幸之助は顔色が変わらずに杯のお酒を飲んでいる。


 何か意外。幸之助お酒強いんだ。


「狸奴。聞いてえいか?」

「何ですか?」

「あのお嬢さんの事じゃ」


 鞍馬は手酌で杯に酒を満たしてまた一気に煽り、ややトロ目になりながら幸之助を見やる。


 鞍馬、完全に酔っぱらってる……飲みすぎじゃない? いや、それよりも一体私の何を聞かれるのかと思うと、少し緊張してしまう。


「あのお嬢さんは普通の人間や。わしらとは違う」

「……はい」

「生きれる時間も長さも違う。更に人の心は移ろいやすい。環境によって幾らでも変わってしまう。この二年の間、夏にはもんて来る言うても、その二年の間にどうなるか分からんぞ。おんし、それでもえいがか?」


 その話を聞いて、私は胸が痛んだ。


 私は、鞍馬に信用されていないのかな……。そりゃあ、彼の過去の生き様や経験してきたことを思えば分からないわけじゃないし、人間の汚い部分も見てきた分、不信感を持っているのも分からないわけじゃない。


 そう言う人が言うから、鞍馬が私に「簡単に心を許すな」と言ってくれた言葉に重みがあった。けど……信用されてないって思うとやっぱり、さすがに落ち込む。


 沈む気持ちに小さなため息が漏れ、鞍馬のその問いかけに幸之助がどう答えるのかが気になった。だって、もしかしたら「それは確かにそうですね」とか言って、この関係も期間限定にしようとか、そんな思いもよらない方向に話が転がる事だって十分に考えられるでしょう?


 聞きたくないけど、聞きたい……。

 矛盾している自分の心に、気持ちが落ち着かなかった。


「……」


 幸之助はすぐに返事を返さず、杯に満たされたお酒に視線を落としていた。けれどその視線を真っすぐ庭の方へ向けて口を開く。


「私は加奈子殿を信じています。あの方が裏切るような事はあり得ません。もちろん、私が裏切ることも。例え生きる時間が違っても……私は、今度はことが出来る立場にある。もう、真吉殿のように見送ることさえ出来ないのは嫌です。人は命が短い分、尊く、儚く、美しい。私は、加奈子殿のその瞬間までを見届けられれば、それが本望です」


 そう言いながら幸之助は、手元の杯をぐいっと仰いだ。


 幸之助……。


 その言葉は健気であり尊くもあり、何より悲しい……。だけど、最終的に私が早く死んでしまう事までも理解し、納得した上で絆を結び、信じてくれている。そして命の最期の一滴までを見届ける事まで考えてくれているなんて……。


 私はギュウッと浴衣の胸元を握り締めた。


 どうやっても私の方が先に旅立ってしまうのは否めない。でも、置いていく立場になったら……それも凄く辛い。きっと真吉さんもそう思っていたと思う。


 ずっと一緒にいられたらどんなにいいだろう……。


「ほうか……。おんしがそこまで考えちゅうなら、わしは言う事なんぞない」

「……」


 鞍馬はぽんと自分の膝を手打ちにすると、ふらり……と、その場に立ち上がり「厠に行ってくる」と言ってふらふらと歩いて行ってしまった。


 一人残った幸之助は何かを考えるように庭をじっと見つめ、そしておもむろにこちらを振り返った。


「加奈子殿」

「!」


 突然名前を呼ばれて、私はドキッとしてしまった。

 立ち聞きしてたなんて凄く嫌な感じだから、何も聞いてない風を装って出ていくしかない。


「あ、あれ? 珍しいね、こんなところでお酒飲んでるの?」

「……」


 わざとらし過ぎただろうか……。


 黙り込んだ幸之助の目線が何となく、痛い。

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