認め、受け入れ、包み込む


 私は隣にいる幸之助を見上げた。

 彼自身もこの話を初めて聞いたらしく、とても驚いているようだった。


「幸之助……?」

「……知りませんでした。私には猫として生きてきた記憶はあっても、自分が亡くなる時の記憶はないので……」


 そう言うと、幸之助は後ろで眠っている鞍馬に視線を投げかけた。


「鞍馬は、私と黒川の為にここまで自分を犠牲にしてくれていたんですね」


 そう言うと感慨深い表情で、こちらの事など知る由もなくのんきに大口を開けて眠っている鞍馬を見つめる。

 

 亡くなる時の記憶がないのは、不幸中の幸いだったのかな……。死に間際の幸之助の状況は相当人間たちに毛嫌いされてきて、言うならば生前の真吉さんと同じような状況に置かれていたんだと思う。身も心も虐げられて過ごしてきた亡くなるまでの日々の中で、幸之助は人を憎んだりしなかったんだろうか……。


 そう思うと胸が詰まるような思いがする。

 本当の所は、人間なんて嫌いだと思っていたら……。


 私はやるせない気持ちのまま、幸之助の横顔を見つめる。


「加奈子殿」


 ふいに妖狐に呼ばれてそちらを振り返ると、彼は姿勢正しく座ったまま真剣な顔で私を見ていた。


「あなたから見れば、狸奴はかなりの年長者だとは思います。でも、我々あやかしの立場から見れば、まだまだ幼子同然です。どうか、狸奴が幸せになるよう導いてあげて下さい。これは、仮にも幸之助の義父ちちとしての頼みです」

「え!? ちょ、や、やめてくださいそんな……」


 妖狐は私に深々と頭を下げてきたから、どうしたらいいか分からなくなった。


 お嫁さんを貰う男の人の心境は、こんな感じなんだろうかと思うようなこのシチュエーションに慌てないはずがない。

 しかも、話を聞く限りだとあやかしの中でも上に立つような立場の妖狐が、まさか頭を下げて来るなんて……恐れ多くて困る!


「あ、あの、頭を上げて下さい」


 慌てふためいて何とかそう伝えると、妖狐はゆっくりと頭を上げた。

 

 あぁ、もう焦る~。こんな風にお願いされたことなんか一度だってない。でも、きっとそれだけ真剣に幸之助の事を考えているからなんだろうな。そう思うと、適当なことは出来ない。妖狐の思いをしっかり受け入れないと失礼だわ。


 私は妖狐と同じようにすっと背筋を伸ばして、彼の顔を見る。


「今はどちらかと言えば、私の方が幸之助から沢山幸せを貰えてる気がします。彼に会って、色々見聞きしたり体験したりしていく内に、大きな気持ちの変化があったと自分でも感じているんです。人や物を大切にすること、相手を思やること、相手の為に精一杯自分に出来ることをして、喜んでもらう事の大切さ……。私自身がとても勉強になっているんです。きっと、これからも幸之助からは色々教わっていかなきゃいけないことが沢山あるんだと思います。だから、私もそれに見合うだけの物を幸之助にも返していきます」


 もちろん、幸之助だけじゃない。幸之助を見守り続けている鞍馬にも、妖狐にも。

 彼らの過去を知れば知るほどに、私に出来ることで彼らにちゃんと返していかなきゃいけないと思う。

 例え見合うだけのものを返せなかったとしても、少しでも幸せを感じてもらえるように、私にできる精一杯で皆を幸せにしてみせる。


 私は真っすぐ、自分の本心を妖狐に告げた。すると彼はふわりと目元を緩めてとびきり優しい笑顔を見せてくれた。


「ありがとうございます。加奈子殿」

「いいえ。私の方がお礼を言いたいくらいです。幸之助をこれまで大切に見守り続けて下さって、ありがとうございました」


 私も深々と頭を下げると、ふわっと頭の上に暖かなものが乗った。

 驚いて顔を上げると、頭に乗っていたのは妖狐の大きな手だった。ぽんと置かれたその手は私の頭をそっと撫でてくれる。


「……っ!」


 大人になってから頭を撫でてもらうことはないから恥ずかしくも思ったけれど、同時に胸の奥からそれ以上に嬉しさが込み上げてきた。

 大人になっても頭を撫でてもらうのはやっぱり嬉しいことの一つで、自分を肯定して貰っているようなそんな気持ちにさせるんだ……。


「あなたはとても立派です。その心を忘れずに、どうぞ東京でも頑張って過ごして下さい」

「……っ」


 ただでさえ感極まっている中で、妖狐は優しい笑みを浮かべたまま私を褒めてくれた。

 

 どうしよう……何だか凄く、嬉しい……。


 胸がいっぱいになりすぎて、私は思わず涙が零れた。


「加奈子殿……」


 隣にいた幸之助が、すかさず手拭いを手渡してくれる。私はそれを受け取って溢れ出る涙を吸わせた。





 その日の夕方、妖狐はてんこ達を連れて自分の屋敷に帰っていった。

 私は幸之助と一緒に彼らを見送り、暮れていく陽を見つめながらぽつっと呟いた。


「……幸之助。一つ聞いてもいい?」

「はい」


 私が真っすぐに幸之助を見上げると、彼も私を真っすぐに見つめ返してくる。

 僅かに揺れる金銀妖瞳が、何を言われるのか不思議に思っているのがよく分かった。


「あなたにとったら愚問かもしれないけど、確認しておきたいの。……あなたは猫として生きてきた時、色々大変な余生を過ごして来たんだと思う。その中で、凄く嫌だなって思う事もあったと思うの。その時の事も踏まえたうえで、あなたは……その……人間を憎んだり、嫌ったりとか思った事はない? 今も、本当は苦手だったり、嫌いだったりしない?」


 私がそう聞き返すと幸之助は少しだけ驚いたように目を開いた。けど、すぐにニコリと微笑み返した。


「大好きですよ」


 思わずドキッとしてしまったのは、私が勝手に反応してしまったこと。だけどあまりに真っすぐに言われて無意識にも顔が赤らんでしまう。


「……そ、そっか」

「嫌なことも、辛かったことも、真吉殿や加奈子殿に会う為に必要だったことだと思えば、苦にはなりません。それに、悪いことばかりでもありませんでしたから」


 そう言う幸之助の言葉に、嘘はなさそうだった。それだけ幸之助はスッキリした顔をしていたから。だから彼は人を憎んだり嫌いだったりしてることはないんだろう。 

 まぁよく考えたら、人を憎んでいたり嫌っていたらいくら真吉さんとの約束だとはいえ、400年も安寧を願ったり守ったりしないよね。


 でも……幸之助は知らないんだ。真吉さんが斬られたあまりに酷い理不尽な本当の理由。鞍馬も懸念していたように、もしこれを知ってしまったら、彼は今のように穏やかに笑ってなんかいられないだろう。


 そう考えたら、とても複雑な気持ちになった。


「加奈子殿は……」

「え……?」

「嫌い、ですか?」


 小首を傾げて真面目な顔でそう訊ねられ、また違う意味でドキッとしてしまう。

 僅かに彼から目を逸らしながら、私はぼそっと呟くように答えた。


「嫌い……」

「……え?」

「って、言ってたかな。以前までの私だったら」


 そう、ここに来る前までの私だったらきっと「嫌い」って答えてた。


 いつもギスギスしていて余裕が無くて、良く落ち着いて考えればそこまで問題にならないような事が、その場の感情だけに駆られてビックリするぐらい大きな事件にまでなってしまったり、全員が全員そうじゃないのは分かっているけど、それでも相手を騙したり陥れようとしたり、傷つけたりする人がいる。自分勝手な人に、何の罪も関係もない人が巻き込まれて命を落とすことだってある。


 そんなことをして心が満たされるなんてこと、ないと思うのに。

 誰かを傷つけることで心が満たされると言うなら、それはとても心が弱っていてマヒをしているんだと思う。誰もが大なり小なり心に闇を抱えているものだけど、そこにばかり執着していたら良いことも全部ふいにしてしまうんじゃないかって、今なら思える。


 そういう人たちが悪目立ちするから、生き辛い世の中になる。

 そんな人たちが多くいるなら、私は人が嫌い。だから人との距離を取って、上辺だけ取り繕えばいい。真吉さんを斬った侍の事も、最初は話を聞いた瞬間から憎くて嫌いだと思っていた。


 だけど、そう考えることが違うと言う事をここで学んだの。

 相手に寄り添い、助け合うことの大切さ。それによって生まれる温かくて固い絆。


 暗く沈んだそんな時ほど、大事なのは闇を抱えるその心に寄り添う事なんだわ。

 寄り添って分かち合って、初めて心のマヒも闇も、無くなりはしないけれど緩和はされるはずなんだ。


 ただ、そうするのも中途半端に寄り添えば、それはまた新たな傷を付けることになる。それに見合う覚悟と真心を持ってやらなければいけないんだ。


 私はその本当の強さを、幸之助や、鞍馬や妖狐、ここに住むお爺ちゃんお婆ちゃん達から学ぶことが出来たと思ってるし、これからも学ばせて貰うべきだと思ってる。


 私は幸之助を真っすぐに見上げ、彼の頬に両手を伸ばして微笑みかけた。


「幸之助……今まで辛かったね。これからは私があなたの傍にいるから。離れてもちゃんと心は繋がってるからね」

「……」


 ポタっと、水が落ちた。

 幸之助はたぶん気付いてない。けど、ぽろぽろと彼の頬を涙が頬を流れ落ちている。


「加奈子殿……」

「……うん。いっぱい泣いたらいいよ」


 うつむく幸之助の頭をぎゅっと抱き寄せる。


 私は彼に一つ、これまでのお礼を返せたかな。

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