思い出の品
「……おんしら、何しよる?」
二日酔い気味の鞍馬が、おかしなものでも見るような目で私たちを見ている。
いつも通り朝餉の準備を済ませてご飯を食べているのに、私も幸之助もどこか上の空状態。私は手にお茶碗を持っているのだけど、お箸でおかずも何もない場所をつついていたり、幸之助はいつも通りに見えても、持っていたみそ汁の椀が傾いて下にあったご飯が雑炊状態になっていることに気付いていないと言う始末。
何も知らない鞍馬は、昨日の今日で何があったのかチンプンカンプンになっているのは分かっている。そもそもお互いにやたらと昨日の事を気にし過ぎているのも分かっているんだけど……。
チラッと目線だけを幸之助に向けると、彼もこちらを見ていたようでバチッと視線がかち合って、二人揃って慌てて目を逸らすと言うのを繰り返すありさま。
別に、私はこう言う気持ちになるのは初めてじゃないけど、何回経験してもやっぱり緊張してしまうわけで……。それに変に意識してしまうから、昨日までみたいなやりとりさえも突然出来なくなって、気後れしてしまう。
その一連を見ていた鞍馬は何かを悟ったようにふいにジト目になり、憮然とした表情のまま手に持ったみそ汁をすすった……けど、次の瞬間吹き出してしまう。
「ちょっ?! やだ! 吹き出さないでよ!」
「何や今日のみそ汁! えらいしょっぱいねゃ!」
「え、あ、すいません」
鞍馬の頓狂な声に驚いて、幸之助は急激に現実に引き戻され、自分のご飯が凄いことになっていることにも気が付いて相当慌てていた。
しょっぱい?
不思議に思った私も、一口飲んでみたけど……確かにしょっぱい。明らかにお味噌入れ過ぎたっぽい味だわ……。
「おいおい何や急に。今日の朝飯は散々やないか。二人ともどういた?」
「べ、別にどうもしないわよ。ねぇ?」
「は、はい」
如何にも苦し紛れに聞こえそうな言い方だけれど、そう言う以外言葉が浮ばない。まぁいずれにしても、散々な朝食には変わりが無かったわけで。
ぎこちない食事を済ませて、私は自分の部屋で帰るための荷物の準備をしていた。と、言ってもここで生活するものは全部ご近所さんから頂いたもので賄えたから、特別準備するものもないんだけど。
入れるものがあるとすれば、化粧品関係とかギリギリまでカバンには入れられない物だけ。お土産とか、そう言うものは帰り道で買えばいいと思っていたから、今は用意しなくてもいいし。
とりあえずもう触ることがないものだけをカバンの中に詰め込んで、忘れ物がないかどうかだけの確認を済ませ、私は何気なく部屋の中を見つめた。
「……」
ここにいられるのも、あと三日。その三日の間に私は何ができるだろう。
とりあえずお世話になったお爺ちゃんお婆ちゃんに挨拶をして回らないといけないよね。その為には何か簡単な手土産を用意した方がいいかな。
ここへ来てすぐの時は色々頂いたお礼に手作りの大福を配ったけど、また甘味でもいいかな。どら焼きなら簡単に作れるし、あとで材料買いに行かなきゃ。
そうと決まれば、私は小さなポーチに財布と携帯を入れて肩にかけると、衣服に乱れがないかどうかを確認してみる。
襟ぐりが広めの白のシャツに、紺色のスカーチョ。腰にはライトグリーンの薄手の上着を巻いて準備オッケー。汚れも無し、ヨレも無し。
「よし」
私は確認を済ませて部屋を出て長い縁側を歩いていると、反対側から猫姿の幸之助と出くわした。
一瞬ドキッとはしたけれど、人間の姿をしている時より今は猫姿の方がまだ接し易さを感じてしまうのは、仕方がない。それは幸之助も同じみたいで、さっきよりも落ち着いた顔をしていた。
「幸之助。私、ちょっと下のお店に買い物に行ってくるわ」
「買い物ですか?」
「うん、ここを立つ前に色々お世話になった人たちにお礼と挨拶回りをしたいから、ちょっとした手土産を作ろうと思って。その材料を買いに行って来る」
「では、私も一緒に行きます」
「え?」
一緒に?
そう思うが早いか、幸之助はひょいと私の肩に飛び乗った。その時に彼の長い尻尾が私の首筋を撫で、私は思わずピクッと反応をしてしまった。
「加奈子殿?」
「……ご、ごめん。何でもない」
出来るだけ意識しないようにと思っていたけど、そこに触れられたらどうしても意識してしまう。
真っ赤になった顔を俯けて何とかそう言うと、幸之助もまたぎこちなく視線を逸らした。
「と、とりあえず、行こうか!」
私は何とか気持ちを違う方向へ向ける為にそう声をかけ、幸之助を肩に乗せたままお屋敷を後にした。
外に出てふわっとした風が肌に触れると、ここに来た時よりも気温に差があることを感じる。あの時は本当に焼け焦げてしまうんじゃないかと言うほど、灼熱と言う言葉がピッタリなくらいの暑さだったのに、一か月も経つとこうも空気が変わるんだなぁ……。
「暑さ、だいぶマシになったね」
坂道を下りながら私がそう呟くと、幸之助も頷き返した。
「夕方にはヒグラシが鳴くようになる時期に入りました。お彼岸も過ぎましたし、そろそろ涼しくなってくる時期ですね」
そうだ。確かに最近はヒグラシが鳴くようになっていた。少し前まではアブラゼミやジージーゼミが煩く鳴いていたのに、今はツクツクボウシの声の方が良く聞くようになったんだった。
こうやって自然の音で季節を感じられることも最初は全然興味すら湧かなかったのに、今じゃそれを肌身に感じてしみじみしちゃうなんて、どれだけこの土地と生活に自分が馴染んだんだろうと思ってしまう。
「……ここの自然、持って帰りたいなぁ」
坂を下りて公道に出た私は、「そうだ」と、カバンから携帯を取り出すとおもむろに風景写真を撮り始めた。
カシャカシャ鳴る音に幸之助は驚いたようで、物凄い警戒心剥き出しのまま食い入るように私の手の中の携帯を見つめる。
「加奈子殿、前から思っていたのですがそれは一体……」
「あ、これ? これね、スマホって言うの。これで遠くにいる人と連絡とったり手紙を送ったりする事が出来るのよ。あと、写真も」
「しゃしん……?」
あ、そうか。写真が取り入れられるようになったのは、幕末も末期の時だったから幸之助は写真を知らないんだっけ。
「ほら、見て。ここに映ってるの、そこの山だよ」
「……そ、それはまた珍妙な……。でも、凄いですね。一瞬であの山がこの小さな箱の中に入ってしまうなんて」
「あはは。そうだね」
幸之助の表現がどうしてもそうなってしまうのはしょうがないよね。見たことがないんだもん。
「この自然を持って帰ることは出来ないから、だったら写真に収めて持って帰るしかないもんね」
「確かに、これでしたら持って行けますね」
その時、私はふと幸之助を見た。
そうだ。幸之助も写真に撮って帰ろう。きっと私の東京での活力になる。
「ねぇ幸之助。あなたを撮ってもいい?」
「私を、ですか?」
「うん」
初めて被写体になることに抵抗を感じるのは分からないわけじゃない。それに慣れない物に自分が写されると思うと、確かに尻込みしちゃうわよね。
あぁ、そう言えば。「写真を撮られると魂を抜かれる」とか何とか、そんな風に言ってた時代もあるって聞いたことがあるなぁ。あれは昔のストロボ写真の光がまぶし過ぎて目が眩んでしまった事から派生された物だとは思うけど。
「無理にとは言わないわ。でも、私が東京に行ってる間、幸之助の写真があれば頑張れるんじゃないかなって思って……」
「加奈子殿……」
「実際に傍にはいられないけれど、こうして写真に収めておけばいつでも傍にいられるよ」
そう言って幸之助を見つめる。
人じゃないあやかしに恋をしていいのかどうかも分からないけれど、でも心が惹かれてしまうのは誰にも止められない。私は一体いつから幸之助をそう言う対象で見ていたんだろう。それに、幸之助も……。
ついぼんやり、一人の世界に入ってそんな事を考えていた私をよそに、幸之助は意を決したように頷いた。
「分かりました。では、撮ってください」
「ありがと!」
幸之助は私の肩からぴょいと近くの石垣の上に飛び乗る。私はそんな幸之助にカメラを向けてみた……。
「……」
「加奈子殿?」
「あ、ううん。何でもない。じゃあ撮るね」
そう言って私はカメラのボタンを押した。
「と、撮れましたか?」
「うん。バッチリよ。ありがとう。私のお守りにするわ」
にこやかに微笑む私のその言葉に、幸之助はどこかほっとしたような顔をしてまた私の肩に飛び乗った。
「あ、あの……加奈子殿……」
「うん?」
「私にも、あなたのそのシャシンと言うものを頂けませんか?」
どこかもじもじとしながらそう言う幸之助に、私は一瞬目を丸くした。けど、そうだよね。私にはあって幸之助には無いなんてずるいわよね。
「分かった。後で私の写真、幸之助にあげるね」
「ありがとうございます」
幸之助は心底嬉しそうに笑ってくれた。
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